浮かび上がるもの
カーテンの隙間から、朝日が溢れていた。
この季節にしては力強い、陽の光だった。
朝になると、彼女はあきなより先に起きた。
あきなは背の低いテーブルの横に布団を敷き、寝ていた。チラッと見える寝顔は10代の頃のままだと彼女は思った。
彼女は友人を起こさぬように、朝の支度をはじめた。
日課の顔のチェックはしなかった。それは勿論、あきながいるからだ
だが、ちょっとした物音で友人はすぐに起き、おはようと挨拶をしてきた。
彼女もおはようと言った。
今日は2人とも休日だった。だが、あきなはこれからやる事がいくつかあるという事で、早い朝のうちに帰る事になっていた。
彼女は朝食の準備に取り掛かった。
あきなは持ってきた寝巻きを脱ぎ、昨日着ていた服にまた着替えた。
彼女はそんな朝を不思議に思ったのだ。
誰かが居る事で、彼女自身の行動も変わる。
環境が変わってしまえば、思考も変わるのだ。
それはとても大切な事だと、久しぶりに感じた。
2人の朝ご飯はトーストとまだ残っていたカボチャのスープだった。
食事を始めるまでは静かだったが、あきなはこう口に出した。
「さやかがさ、歳取るのが怖いってよく言ってたじゃん。心も歳とった気がするって。」
彼女は、うん。と言った。
以前何度も、あきなに歳を取るのが怖いと話した事があった。だけど、皆んなそうだよ、特に女子は。だから今を楽しもう!と言われ、いつも深い話にはならなかった。
「私も急に怖くなったんだよね。彼と別れてから。
5年も彼と一緒にいたのに、また振り出しに戻った気分で、、、。私、今から新しい恋をしようなんて、考えられないけど、結婚を早くしたかったから、、。」と言うと、再び、暗いムードが部屋に漂った。
「今、新しい恋をしたとして、結婚しても30……、子供は31か2……、昔思い描いてた未来と今が全く合ってなくて、、ただ歳を取っただけな気がして、、、それこそ、気持ちとしては、海の中に沈んでいくみたいな感じ、、、」
あきなは話しながら、恐らくあきな自身でも、コントロール出来ず、渦に巻き込まれているような感じがしてとれた。
「けどさ、このカボチャのスープ、、、」と言ったところで、少し笑った。
「このカボチャのスープのおかけで、また浮上できそう。」
彼女はその切り返しに笑って、馬鹿にしてんの?と言った。
あきなは笑って、ちょっと頷いた。
「そんな事言ったら、私もどうすんの?って感じだよ。現代じゃ、30代で結婚、子供を産む人も沢山いるから!そんなに悲観する事じゃないよ。」と彼女は強い口調であきなにそう言った。
2人は温かいカボチャのスープを飲み終え、それぞれ朝の支度をし、玄関まであきなを見送り、またね、ありがとね。と言いお別れをした。
彼女は部屋に1人っきりになると、またいつもの彼女に戻りそうだった。
環境が心を変える。それはよく分かっているのだが、環境から抜け出すのは難しかった。
彼女は皿洗いをし、部屋の掃除をした。そして、ベランダに出て、見慣れた風景をしばらく眺めた。外の風は相変わらず冷たいが、あの力強い陽光を浴びたかったのだ。
ここに引っ越してきてから、街の風景は少しは変わっているはずだった。だけど、その変化が彼女にはよくわからなかった。
そして、私はどうなんだろう?と彼女は思った。
何か変化があったのだろうか?
そらから彼女は数日間、毎朝の日課をしなかった。
鏡は見ていたのだが、細部までは見なかった。
友人には悲観するなと言ったのに、彼女は自分自身を悲観していたのが、嫌になったのだ。
それからまた、いつも通りの日常を過ごし、淡々と若さを失っていた。
だからといって、何か新しい事を始める事もしなかった。
季節は新しい季節へと足を踏み入れている気がした。
彼女は置いてけぼりな気分にもなっていた。
耳をすませば、足枷の鎖の音がまだするのだろうか?
私はまだ水面下にいる。
私はまだ浮上できていないのだ。
彼女はあの男と2回目の食事をしていた。
最初に会ってからは、もう2週間が経っていた。
仕事終わりに2人はこの前と同じレストランに集まり、
偶然にも同じ席に着いていた。
彼女の服装はいつもながらのカジュアルなものだった。男の服装、髪型もこの前とさほど変わりなかった。
出会ってからすぐ、2人の会話にはぎこちなさのカケラもなく、2週間前に会った時のままの延長線上みたいに、はじめからスムーズだった。
メッセージのやり取りはその間、何度かしていたが、淡白なやり取りだった。
そして、男はあきなの婚約破棄を知っていた。
悪い話の伝達は、いい話の伝達の数倍も速いのだ。
男は酷い話があるんですね。と自分の事のように同情した。自分と比べる訳にはいかないが、その喪失感を理解できると言った。
男の瞳の奥には、男の元カノの姿があるんだろうなと彼女は思った。
それから以前と同様、2人は深い話をした。
取り調べで自供をするように、どんどん言葉を吐いていった。
結婚観についても話をした。男と女の違いや、付き合うなら、結婚を意識した相手しか選べない事なども話した。
そして、彼女が歳を取る事が怖い事を口にした。
女の若さは失われていく資産ではないかと。
鏡を見て、顔の点検をしていた事も話した。何かに縛られ、精神がおかしくなったのでは?と思う時があると、若さを失う恐怖をあれこれと男に話した。
そして、あまり暗い話で終わらないように、一方、男はいいよねと、なるべく最後はおどけた風に話をした。
男はその話を黙って聞いていた。
しっかりと彼女の目を見ながら、聞いていた。
そして、「わかりますよ。」と男は口にし、話をはじめた。
「確かに、男は若い女性が好きな傾向にあります。仕事仲間と話をしていても、若い女性がいいと言う人もいます。それは生物学に仕方のない面もあるのです。人間はそういう風に出来ているのです。勿論、違う例も沢山ありますが、概ね、否定を僕はしません。
この前、僕がさやかさんに会うと決めた理由を話ましたよね?綺麗だと思ったからと。
さやかさんからすれば、僕はあなたの資産に惹かれて、会いに来たという事ですよね。
そして、さやかさんは歳をとって、若さを失って、美も失い、若さや美にすがっていた自分を失う事が怖いんですよね?」
彼女は小さく頷いた。
「僕はさやかさんに会う前、あきなさんから年齢を聞いていました。そして、年齢を意識したか?と聞かれたら、正直、多少はしていました。わかっています。そう言ってしまうのは正直過ぎると。
だけど、考えるのです。綺麗事に聞こえるかもしれませんが、若さは美しいですが、美しさは若さだけではないと思います。
若さは失われていく資産ですが、
美は失われていく資産ではありません。
美しさは年齢関係なしに、増やせていけます。
それに僕はあきなさんから、さやかさんの事を色々聞いていました。さやかさんは自分で選びにいく人だと。選ばれるより、選びにいく人だと。」
彼女は「まぁ、それで、失敗したけどね。」と言った。
「失敗したとしても、能動的になって、何度でも自分で選び、掴みにいく、その姿勢はこの世で生きる為にとても重要な事です。だけど、僕も元カノには選ばれなかった。」と男は笑った。
「そう、さやかさんのその考え方、僕はそれが決めてで、さやかさんに会いたいと思ったのです。嘘だと思うかもしれません。美人じゃなかったら、会わなかった訳ではありません。」と言って、男はしばらく口をつぐんだ。
「この前、会った時、別れた彼女の話を覚えていますか?」と男は聞いた。
彼女は「もちろん、覚えてますよ。」と言った。
「あきなさんからの話を聞いた時、元彼女の性格がさやかさんに似てると思ったのです。
性格が似ている人と会えば、理由なき別れの原因が少しでも分かるのではないか?と思っていました。馬鹿げた話ですが。
実際会って話してみても、彼女とさやかさんはとても似てると思いました。最初から思いの丈を口にする所とか、すぐ会う約束をするとか。だけど、まぁ当然ですが、大きく違う点もありました。彼女は自分にとても自信があって、現状に満足している人でした。」
後ろのテーブルの方から、大きな笑い声が聞こえ、
男は視線を一度その方向に向けてから、また戻し、話を続けた。
「一方、さやかさんのその考え、スタンスだと、結局、他者依存ではないのか?と聞いていて思いました。他者からの目線が怖いのです。
それだと、選ばれているんだと思いますよ。自分から選びにいっているのではなくて。
さやかさんは歳をとるのが怖いと言いますが、それは僕も同じです。もうじき30です。本当にここまで、あっという間でした。
結婚観などにおいて、男と女は違うと言っていましたが、それはそうかもしれません。全く一緒ではないのです。
けど、その一つの価値観が世の全てではないんです。ある種の大きな総意だと感じるかもしれません。それに自分を押し込めてしまうのは、あまりに勿体ない事です。
勿論、価値観からはみ出したら、辛く感じる事もあります。だけど、無理してそれらに従い、考え、行動して生きていくと、心が痩せ細っていきます。」
男は一度言葉を止めて、コップを取り、水を一口飲んだ。
「全部、意味のない慰めなのかもしれません、僕みたいな、2回しか会った事がない、よく知らない男から妙な事を言われ、なんだ、コイツと思っているかもしれません。
現代を生きている人間の人生は長いんです。若い内なんて、最初のちょっとだけです。
これから若さは失っていくけど、新しい何かを沢山得ていけば、いいんだと思います。
たくさん、たくさん幸せを得るのです。
等価交換以上に得るのです。
たまに恐怖がさやかさんの足を掴み、離さないかもしれません。だけど、避けられないものを、避けようとする事は無駄なんです。
他者、世間からの視線は関係なく、幸せは自分で決めるものなんです。
前を向き、失っていく何かと引き換えに新しい何かを掴んでいくのです。
そうやって人生を楽しみ、生きていれば、あなたの美しさは失われません。
失うはずがないのです。」
男は一呼吸を置くと、
「すみません、話が散漫になってしまって。」と言った。
彼女は「大丈夫ですよ。何かが伝わった気がします。」と言った。
男は「なら、良かったです。ところで、デザートを何か食べませんか?」と言った。
彼女はそうしようと提案に乗った。
そして、彼女はメニュー表を見て、季節限定のカボチャのケーキを頼んだ。
「カボチャ好きなんですか?」と男は聞いた。
「えぇ、罪悪感を少し逃れようと思って」と言い、少し笑った。
「その気持ちわかりますよ、カボチャは栄養がありますからね。」と男は言って、男もカボチャのケーキを頼んだ。
そして、2人でカボチャのケーキを黙って食べた。
フォークでカボチャのケーキを切って、口に運んだ。
男は食べながらこう言った。
「この前会った時、食べ物の好き嫌い話をしましたよね?僕ね、実はカボチャが1番苦手なんです。なんでかこの前、それを話すのを忘れてました。だけど、このケーキ、とても美味しいです。」
彼女は男と別れ、1人で部屋に戻った。
今日の話をもう一度、頭の中で繰り返してみた。
彼女は彼女の内側で沈んでいた感情が少しずつ、浮かび上がってくるのを感じた。
若さは失われていく資産ですが、
美は失われていく資産ではありません。
男のその言葉が頭の中で泳いでいた。
考えがひと段落すると、お風呂に入って、パジャマに着替え、ベッドに入った。
彼女は今夜、なかなか寝付けなかった。
月明かりが部屋の中を微かに照らしていた。
見慣れた天井が視線の先にあった。
見慣れた天井…
彼女は何か新しいものが見てみたい、新しい何かを感じたい、そう思いながら、目を閉じ、そっと眠りについた。
彼女は夢を見ていた。
彼女は水面の輝きを目指して、浮上していた。
彼女の右足首にはまだ足枷が付いていたが、その先は何にも繋がれてはいなかった。
彼女は必死で水をかき、太陽の光を受け、煌めく水面を目指した。
手と足を必死で動かし、上へ上へと目指した。
何が彼女を浮上させたのかは、彼女にも明確にはわからない。
深い海の底にあったカボチャは何だったのかも分からない。
彼女はただひたすらに、必死に水をかくだけだった。
今はとにかく、太陽の光を浴びたかったのだ。
そして、煌めく水面がすぐそこに見えた。
彼女は勢いよく水面に顔をだし、口で大きく息を吸って、吐いた。
太陽が彼女の顔を照らし、水面の輝きが彼女を光らせた。
そして、彼女は目を細め、
目の前に広がる、新しい景色をじっと眺めた。
どこまでも広がる景色がそこにあるだけだった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
話はあと、短いエピローグで完結します。
もし宜しければ、感想、評価、アドバイスを頂けると嬉しいです。
ありがとうございました。




