Chapter1.0.5 戦後の残響
「暁の容態は?」
「一応、応急の手当てはしましたが特に目立った外傷もありませんでした。もう普通に動いています。」
「そうか、すまなかったな。お前に手当てをさせてしまった。」
「いえ、気にしないでください。」
「そういえばまだ正式に名乗っていなかったな。私は神納木マシロだ、これからよろしく頼む。」
(神納木マシロ……!)
その名前は確か……。
「ん、どうかしたか?」
「い、いえ、何でもありませんこちらこそご指導ご鞭撻よろしくお願いします。」
私はまたぺこりとお辞儀をして答えた。神納木さんは見たところ礼儀正しく、とても凛々しい。女の私から見ても格好いいと思えるほどの女性だ。とても……には見えない。
「……お前、私を恐れているのか?」
「え?」
何を思ったのか突然、少し寂しそうな声で彼女がそう言ってきた。そんな態度で応対をしてしまっていただろうか。
「違うのならば構わないが……。」
「いえ、少し気になることがあったぐらいで…別に怖がってなんていません。」
本当のことなのでそうはっきりと告げる。
「そうか、それならよかった。」
ホッとしたのか声音も少し明るくなった。存外かわいい人でもあるのかもしれない。
「恐れを抱いたままでは本来の実力も発揮できないだろうからな。暁がそうだったようにお前もなかなかやるのだろう?あれのパートナーなのだからな。」
「……いえ、私は……」
彼女の言を否定しようとしたのだが、
「準備はできたかい?そろそろ試合開始の時間だよ。」
隊長代理によって遮られてしまった。
「私は問題ない。」
「……私も大丈夫です。」
進行を妨げてはいけないので私も返事をした。
「それでは決勝戦…」
「開始!!」
そう高々と開戦の火蓋が切って落とされた。そうだ、私のパートナーである彼があんな戦いぶりを見せたのだ。私もしっかりしないと合わせる顔も面目もない。そんな一瞬の逡巡の後武器を握り、前を見据える。
「いない!?」
見据えた先には誰もいない。
「……この程度か。……ガッカリだ。」
私の懐深くから声が聞こえる。彼女の姿を認知する間もなく、私は斬られた。
「…………ぁ、ぐっ………………あ……」
ドサッ
「ふむ、暁のことがあったのでな。お前には少しいらぬ期待を抱いてしまっていたようだ。それは私の落ち度ではある。」
切り捨てられ、膝から崩れ落ちた私に彼女は、神納木マシロは続ける。私にたいしての興味も関心もすべてを失ったような空虚な瞳で。
「…………だが、満足に戦う気もない人間が、私の前に立つな。」
そう彼女が冷たく言い放ったのと私の負けを告げる声が聞こえたのはほとんど同時だった。
「それではな。しばらくすれば動けるようにもなるだろう。」
そういって彼女は出て行ってしまった。私はそこで初めて自分が無傷であることに、ただ彼女の圧に押し負けただけであることに気づいたのだ。
三乙女さん、エレナ、そして神納木マシロ。今日でさらした三度の無様を全て暁ナユタに見られてしまった。今すぐこの場から逃げ出したいという恥辱の中で、しかし私の崩れ落ちた膝は満足に動いてはくれなかった。
◆
「あらら、これは堪える負け方をしてしまったかな?」
相変わらずのにこにこ顔でそんなことを言う七星さんだ。
「一回や二回負けたぐらいでそんなにダメージありますかね。」
ありのままの感想を述べる。
「う〜ん、彼女の中ではきっと今日で3回負けたことにはなっていそうなものだけど……。というよりも全部を君に見られたことが問題なのだと僕は思うけどね。」
「何でそこで俺が出てくるんですか。」
「さあね、それはパートナーの君が自分で彼女自身に聞いてみたまえ。今から行ってみてはどうだい?ちょうど今立ち上がるのに苦労してそうなことだし。」
「はあ、じゃあ行ってきますね。」
この人はもはや何にも教えてくれそうにないので、言われるがままにクオンの元へと向かうことにする。
扉を開けて廊下を出ようとすると後ろから、
「立ち上がれなくなってしまった女の子を助けに行く、なんてとてもかっこいい話じゃないか。」
だの何だのと聞こえてきたが、振り返ってもあのにこにこ顔が待っているだけだと決めつけた俺はそのまま隊長室を後にした。
だからその言葉を放った時の七星さんの顔付きが少し真剣味を帯びていたことなんて一切の気づく余地などなかったのだった。
試合場へと向かう1本の廊下を歩いていた。向かいから歩いてくる人影が見えた。その人影はふとこちらに気づくと少し駆けて近づいて来る。
「クライスツェフには確認したのだが、大事はなかったのか?」
そういって尋ねてきた人影は神納木マシロその人だった。試合終わりだというのに相変わらず凜とした女性だ。
「クライスツェフ……ああ、クオンのことですか。はい、適切な処置のおかげもあって特に身体に問題はないですよ。」
クライスツェフ……、やっぱりどこかで聞いたことがあるような…………。
「そうか、それなら安心した。責任の一端は私にあるようなものだからな。」
「いや、あれは俺の暴走みたいなものなのでマシロさんに責任はないです。」
「ならいいのだが……。ところでどこに行こうとしているんだ?もう試合は全ておわっただろう。」
「ちょっとクオンのところまで。」
「…………そうか。」
何か言いたげな彼女だったが一言そう言うとどこかへ歩いて行ってしまった。
「……?何だったんだ?」
誰もいなくなった廊下でポツリと呟くと想像以上に響き渡った。ちょっぴり恥ずかしくなった俺はそそくさとクオンのいるであろう試合場まで進んでいくのだった。
「大丈夫か〜、クオーン」
何を思ったかとびきり気の抜けた声と呼びかけで試合場の中に入ってしまった。
「………あ、暁さん………。」
未だ崩れ落ちたままのクオンは顔だけこちらを向ける。その目元は真っ赤に腫れ上がっていた。
「……泣いてたのか?」
「!……泣いてなど…いません。」
そうキッパリと言い放ったクオンは俺から顔を背けて袖で目元を拭った。
「…それで、何をしにきたのですか?私にパートナーの解消でもいい渡しにきたのですか?ええ、別に構いませんよ、どうせ私とあなたの実力なんてこれっぽっちも釣り合っていないですし。……そもそもここで1番弱い私と釣り合う人間なんて誰も……」
「ちょっと待て、誰もそんなこと一言も言ってないし、そんなつもりもない。」
恐ろしい自己完結ぶりで話を進めるクオンだったが結構な見当違いだ。
「それじゃあ、いったい何をしに……!」
「隊長曰く、『立ち上がれなくなってしまった女の子を助けに行く、なんてとてもかっこいい話じゃないか』…だとさ。」
「………なっ!私は1人で立てます!」
そう言ったクオンは自力で立ち上がろうと試みるが…
ドサッ
すんでのところでまた倒れ込んでしまった。
「言わんこっちゃない……ほらっ、手。」
そう言って俺は手を差し出す。
「だから私は1人でもっ……!」
「うーん……あっ、ほらっ、上で七星さんも見てるからさ、俺の顔を立てると思ってさ、な?」
思い付きで言ってみたがチラッと上を見ると本当に見ていた。……見ていやがった。
「…………そういうことなら……まぁ。」
そう言ってクオンは渋々手を取ってきた。俺はすぐに力を入れて引っ張り上げる。とにかく上からの視線から早く逃れたかった。……故に、クオンの足元がおぼつかないことを失念していた。
「きゃっ!」
「おっと!」
可愛らしい声とともにバランスを崩したクオンがよろめく。俺はとっさに抱きとめた。
(…………まずい。)
一つ、クオンを胸に抱き寄せる形になってしまったこと。
一つ、一般的に女性はこういう状況を好まないこと。
一つ、現状誰かに見られると誤解が生じること。
一つ、見ている人間が存在するということ。
一つ、あのニコニコ顔でこちらを見ていることが簡単に想像がつくこと。
(…………全部まずい!)
俺は恐る恐る顔を上げた。
(あれ?)
覚悟していたニコニコ顔はそこにはなかった。果たして見ていなかったのか見た上で隠れたのかは定かではない。
しかし、そうなると目下最大の問題は胸元の彼女だ。再び恐る恐る、今度は目線を下へ下げる。
耳まで真っ赤にしたクオンとばっちり目が合った。
「えーっと………」
何とか言い訳をしようと考えるが……、
ガチャッ
扉を開ける音。同時に互いの視線がゆっくりと扉の方へと向いていく。
俺の顔はクオンと対照的にみるみる青ざめていった。
なぜなら俺はクオンを抱きとめたままで、そこにいたのは最悪の来訪者、風利フーリその人だったからである。
「………これは小生お邪魔だったかな?」
しばしの沈黙の後、ふざけたような男はふざけた人称でふざけたようにふざけたようなことを言い出した。
「説明しても?」
かけるのは一縷の望み。
「い〜や、皆まで言わなくても……、小生そういうの理解あるから。………実に決め手は?一目惚れ?」
(こいつ……、楽しんでやがる……)
そんな望みもぶち壊され、ヘラヘラ笑いながら話すフーリである。
「ち、違います!」
ここで顔が真っ赤なままのクオンが突然の大きな声。
「これは男女間のまぐわいではありません!」
「ぶっ!?」
とんでもないことを言い放ち、俺の胸元から離れた。
「まぐわいって……さすがの小生もそこまでは考えてなかったんだけど……。」
ポツリと呟くフーリ。
「なっ………」
一瞬で固まるクオン。
「クオン嬢もなんだかけっこうやらしいのね…。」
「違います!!」
さっきよりも大きな声で否定するクオン。
(こいつ……、楽しんでやがる……)
そんな状況を察した俺。
「そういえばクオン、もう大丈夫そうだな。」
差し出すのは救いの手という名の言葉である。
「え……あっ………」
クオンはもう立てていた。足の震えも収まっている。
「おっ、ようやくかい?小生の怒りを煽って恐怖心ごと震えを吹き飛ばす作戦は大成功かな?」
わざとらしく肩をすくめるふざけたような男である。
「え?」
「やっぱりお前楽しんでただろ。」
「おっ、バレてた?」
俺が突っ込むとフーリはおどけた様子で喋り出す。
「ぶっちゃけ入った時には察しはついてたけど、面白そうだったからさ、ちょっとね〜。」
「えっ、えっ……」
ちなみにずっと展開についていけていないのはクオンである。
「つまり今までのは全部適当に話合わせて盛り上げてみただけでした〜。」
「なっ………!?」
ようやく理解が追いついてきたからなのかクオンが別の反応を示し出した。
「だから何が本当かっていうと〜、クオン嬢が思ったよりやらしかったっていうことかなぁ〜。」
「ち…」
彼女はこれ以上ないほどの真っ赤な顔で息を吸う。
「違いますからーーーーーー!!!」
この日最大の大きな声が3人だけの場内に響き渡るのだった。