平均的視聴者とBD購入者のズレ
面白いと言う言葉を唐突に取り上げても知的な話しにならない。以前は正直失敗していたと思う。アプローチの仕方を変えてみよと思う。アニメに置いてギャグ、笑いはBDが売れにくい。これがかなり不可解なものになる。笑えないんだろう?そんな話ではない。BD購入者とただシンプルに見て楽しんでる人の価値観は違う。
勘違いしてはいけないが、根本的に違うわけじゃない。根本的に違うものもある。女性キャラを楽しみにしてる男性ファンとその逆の女性ファンは根本的に価値観が違う。ただ互いに異性キャラが軸だと言う価値観は同じなのだが。購入のキーとなる価値観が単純に面白いではない。だから笑い、ギャグに振りすぎた作品は購入のキーの何か?を犠牲にするようだ。
これは一例だが、様々なものがただ面白いと見てる人とキーが違う。売れたもの=すごく面白いとして変な価値観として覇権アニメというのが売りスレをコピペするやらおんなどアフィサイトで言われるようになった。これてんで勘違いだから。売れた=覇権アニメであって、すごく面白い=覇権アニメじゃない。それを拡大解釈してあおってるのがアフィサイトのやり口で、売りスレがこれらの住人に逆に乗っ取られてしまったのが現状になる。
本来過去の売りスレは売上げ分析と言うマーケティング分析みたいなのを素人レベルであーだこーだ言う面が強く残っていたが、それらを覇権アニメというアフィサイトのやり口が一掃してしまった形になる。
ただ売れたと言う結果があり、それにあまり一般的な面白さを求めないほうが良い。ただ売れる作品にはなんらかの意味がある。購入者にとっての意味で、それは面白いと言うより、強く面白い刺激になる。この強さが重要になる。次にこの強さが単純な軽い面白さの延長には無い。
相転移?そういったものを起こす部分がある。液体から個体にそれぐらい質が変わってしまう。だが平均的な視聴者あくまで普通の面白さの延長によってしかそれを考えない。だから、本来覇権アニメと言うのは意味が分からないはずなんだ。決して購入者が異質な面白さを持ってるわけじゃない。買うための強さへの移行がシンプルな延長じゃないとなる。
だから笑えると言う軽い面白さが、大爆笑でも買わないとなる。平均的な人は、大爆笑や笑う頻度の高さで作品の序列を決定するだろう。購入とはそういうものじゃない。単純にそれはコレクトするとかそんな話しでもない。根本的な購入動機が、強いだけじゃなくて、特別な面白さを持つ場合になる。
誰でも感じる分かりやすいものでは、喪失感こそが買う動機になりやすい。終ってしまうと何も手がつかなくなるほど強い失望に襲われる。笑いはこれが真逆になりやすい。笑いはちょうどこの後腐れが無さ過ぎるのが良い部分でもあるため、笑いが軸で売れるわけが無い無いんだ。そういった喪失感を埋めるために喪失しないって流れになる。なるほどこれはマニアのコレクトと繋がりやすいと分かると思う。
私は実際買ったことがあるわけじゃない。多くの人は突然冷めてしまうと、なんでこんなもの買ったんだろう?ってなるケースが多いので、そこからこれは一般的な経済観念から購入を検討するものじゃないと判断したからになる。
お金を払うというのと絡むと、人気と言うのも野が無料に較べて独特の意味を持つ。これは値段によっても細かく人の行動は変化する。最終的に無料と言う行き着く場所がある。なおかつこれに供給側は無料人気もお金を使わないと得られない。よってそれを得るためにはお金を使わないといけないから無料ではない。そこには目的によって最終的に利益が出せるなら、無料人気も供給側には有料の価値を持つ。
私が常日ごろから、無料だからタダだからと言って軽視するような意見は下らないと見てきている。ネットは人を集める集約に無料ユーザーでも多大なお金が動いている。なろうにはそういう部分があり、無料だからと軽く見る人は多分こういった分析向いてないと思う。実際なろうに大してカクヨムはさっぱりな面がある。多分なろうに較べてかなりのお金を使ってる。
それらがお金を払うとなってくるとより難易度が上がってくる。そしてそれは金額によって質さえも変わってしまう。私が常日頃書く、ネットの書き込みはただ見てる人とは異質さがあると書いてるのはここにある。お金だけじゃない。様々なものが別の理由によって歪んだ結果となりやすい。
そういった癖を知らずに安直にすべてのものを平板に人気で語ってしまうのを私は危惧している。そのための知識、知恵はどんどん出すつもりでずっと書いている。私のそういった影響が少しでも広がってくると良いし、私が数字による序列大好きな人気への単純化を逆に嫌ってる面があるのはこういう理由になる。
人それぞれで片付いてしまう面白さについて、数と層を捉える事で知的な言及にしようとした結果となる。
私が安直に一般と言う事場を使うのを嫌うのはここにある。私が今回上げた深夜アニメの視聴者は日本の一般的国民ではない。あくまで深夜アニメを視聴する限定の平均的な視聴者になる。そいうったものは、評価サイトやアンケートなど様々なものを見て何となく把握するのだが、出来る限りやり取りが無い常態が望ましい。
何故なら、何か手間が入るとそこに常に異質な集団の層を形成してしまうからである。なろうのレビューや評価者が極端に少ないのを知ってると分かると思う。ネットの評価サイト、感想の書き込みなどもそういった手間があり異質なコンセンサスが自然と出来る可能性があり、実際私はまともには信用して無い。
見えない出来る限り素のデータがほしいのだが、たとえば値段が安く無料視聴者にかなり近い配信サイトなどもサイトによって色がやはり多少出てしまうのと、有料って金額がやはり多少は影響が出る。
一体この人はどこからそのデータを持ってきてるのか?なら実は持ってない。様々なデータからBDの販売数のような歪みが無い、素の人気を推測してるとなる。
そういった私の経験が、なろうって特殊で偏ってるのは事実だが、アンチ的に否定されるなろう系と言うものが本当になろうの外では不人気なのか?はとても疑わしいと見ている。何故か?と言うと確かに異世界ファンタジーは偏りがある。だが、異世界ファンタジーってのはそれほど偏ったジャンルでは無いからになる。
時代的に昭和の時代ならマニアだったろうが、今の時代全くそんな事は無い。なろうの特殊性は、感じすぎるって部分になる。もちろん強い刺激ではない。微弱だが、パンより米が好き、こんな微弱な差がそうじゃない人には感じ取れない部分を感じ取ってしまう。それはなろう慣れによって発生するわけじゃない。
単純に異世界ファンタジーが好きというよりは、なろうの微弱な刺激を感じ取れる人だけが淘汰されてしまった。ここに多分なろうの特殊性があると思われる。何故それが発生したか?はそれほど難しくない。似たような作品ばかりになると、差別化が困難になる。それゆえ、そこに生じる些細な違いさえ重要になるからだろうと私は見ている。
異質なものに対する刺激以外の部分が発達した人だけが淘汰されて残るからだと思われる。今残ってる人達も早々飽きてしまった人は多分こういう部分の刺激弱いと思われる。
BDやラノベは、明確な特別性があるため作品の幅が狭くなってしまい必ず似たような作品になりやすい。だがそういった部分はなろうもとても似てるが、なろうの場合まず異世界ファンタジーと言う偏りで、それは金銭的な刺激で選ばれてるわけじゃない。それゆえ、BDやラノベは金額の違いであるていど強い刺激が必要になる。当然ラノベよりBDの方が必要とされる刺激は強く特別性もさらに重要になる。
それでも無料のような微弱な刺激とは違う。だから今ラノベでなろうが売れてるというのは、将来的にはかなり問題になると私は見ている。実際もうその曲がり角は来てる話はちらほら見る。
ただ漫画などはより一定の刺激を延長したものになりやすい。BDやラノベのように他メディアとは差別化された特別製の高い刺激じゃなくて良い。その点強い刺激は必要だが、根本的に水が氷になるような違いは無くて良い。
大爆笑や頻度の高い笑えるは、単純な直線の強弱の刺激であり、これが平均的視聴者が求めるものであり、ほかにも多分探せばいくらでもあると思う。ラノベは今は落ち目だが、BDも駄目だけど補助的に捉えればBDはこれからも意味は変わらないのは確か。その意味は、強さが重要でも購入動機は、こういった単純な直線の強弱による強さではない。
売れない作品を基準に見れば分かる。売れない作品でも全国でわずかには購入者がいる。その人にとっては特別な何か?があったと見ている。ようはその数が多いと知的に言及する意味があるだけで、無料や安価な娯楽にあるシンプルな強弱の違いで発生する数の原理はない。当然安価な娯楽にも無料とは違う何か異質さは出るだろう。ただその異質さはBDの異質さほどじゃない。
数が少ない作品について考えれば分かる。そんな例外、特殊な人間の好みなんて多分探っても微塵も意味が無い。ただの出鱈目と大差が無い。数の多いものだけがかろうじて言及できるって程度に過ぎない。根本的には何故売れたか?なんて個人的すぎて出鱈目に近い。