二話
和美ちゃんに紹介されたのは、古いタイプの喫茶店だ。間違ってもカフェとかは呼べない感じ。お客さんも、殆どが常連さんで新規の客は数える程なんだって。
私の仕事は、いわゆるウエイトレスだ。接客なんてやった事ないから最初は失敗ばかりだったけど、お店のマスターも常連さん達も笑って許してくれた。
でもそればかりじゃ悪いから、必死で仕事を覚えたんだ。おかげで二週間経った今、そうそう失敗はしなくなった。
「いらっしゃいませー」
店のドアベルの音に振り向いていつもの挨拶を口にする。今日の常連さんは、ご夫婦で通っている人達だ。 何でも、奥さんの方が昔占い師をやっていて、今も常連さんを占ったりしているらしい。
この奥さん、最初に会った時に私の顔を見て、怖い事を言ったんだよね。
『あなたの家に、古いお人形、ないかしら? おかっぱ頭でお着物着た』
『え? 何で知ってるんですか!?』
『うーん……あなたを護っているような、そうでないような……ちょっと微妙な感じね』
『???』
てっきり和美ちゃんが教えたのかと思ったけど、そういえば和美ちゃんはいちま様の事、知らなかった。彼女は父方の従姉妹で、いちま様関連は母方だから。
それにしても、いちま様が私を護るかー……って、ないない。いちま様、私の事嫌ってるもん。子供心に、あの睨み付けるいちま様の迫力は本当に怖かった。
まあ、そんないちま様は実家にいるので顔を合わせずに済んでるから、いいんだけどね。
お二人をいつもの席にご案内した時、またしても奥さんが私をじっと見つめた。何かヘマをしたっけ? と思ったけど、これはあのいちま様の事を言い当てられた時と似ている。
じゃあ、またいちま様関係?
ちょっと身構えた私に、奥さんが眉間に皺を寄せた。
「美羽ちゃん、どこかおかしな場所へ行った?」
「おかしな場所……ですか?」
「そう。肝試しとか、廃墟とか」
肝試しはまだしも、廃墟っておかしな場所なのか。それはいいとして、特に行った覚えはないんだけど……どうしたんだろう?
「いえ、行っていませんよ」
「そう? ……何か、おかしな事はない?」
「おかしな事ですか? いやー、特には」
別に変化に富んだ生活している訳じゃないから、おかしな事ってものに思い至らない。大体、おかしな事って何さ。あえて口にはしなかったけど。
私の返答に、奥さんは少し考えて笑顔になった。
「そう……ならいいのよ。まあ、あなたはあのお人形さんに護られているから、大丈夫でしょう」
何故ここでいちま様? 私は首を傾げながらオーダーを取った。
◆◆◆◆
だるい。これ、完全に寝不足だわ……。それもそうか、夕べもまたぼそぼそ声が気になって眠れなかったんだ。今日はバイトがあるのに、これじゃまた失敗しそう。
それでも学校が終わると、店へと向かった。休んだらその分給料減るし、そうしたら生活が苦しくなる。親の反対を押し切って一人暮らししている手前、生活費が足りなくなったと実家に泣きつくのは避けたい。
店に行ってエプロンをつけ、店内に出ると既にお客さんが一人いた。まだ若い、ちょっと神秘的な印象の女性だ。
カウンターにいるって事は、常連さんなのかな? 今まで見た事がなかったけど。
何となくお客さんを見つめていたら、マスターからトレイを渡された。上に乗っているのはココア。あの女性客のオーダーらしい。
珍しいなあ。いつもならカウンターのお客には、マスターが出すのに。
「お待たせいたしました」
いつものように声を掛けて、女性の前にソーサーに載ったカップを置く。本を読んでいた女性は、顔を上げてこちらを見た。
「ありが――」
そのまま、彼女は固まってしまった。あれ? 私、何もしていないよね?
しばし何とも言えない空気が二人の間に流れたけど、彼女がため息を一つ吐いた事でそれは解除された。
「ああ、大丈夫ね」
「はい?」
何が? 何が「大丈夫」なの? 首をかしげる私に、彼女は綺麗な笑顔を向ける。
「大丈夫。あなたは護られているから。一度ご実家に戻ってみればわかるわ」
「はあ……」
一体何の事やら。お客さんが言ったことがさっぱり理解出来ず、私は胸の辺りにもやもやとしたものを感じながら、その日の仕事を終えた。
バイトがある日は、寝付きがいい。きっと立ち仕事で体を使ってるのが原因だろう。この日もぐっすり眠れた。
寝不足が解消されると、当然体調も良くなるので、翌日はとても気分がいい。今日も好調のまま学校が終わった。
そろそろ学内でも友達らしき存在が出来てきて、お互いに近況を話す事も多くなっている。
そんな中でも、一人暮らしの子は寮などに入っている子からうらやましがられる事が多かった。
「いいなあ、うち、学生会館だからか規則とかうるさくて」
「寮も似たようなもんだよ。やっぱり高くても普通のアパートにすれば良かった」
そんなもんかねえ、と思いつつ聞いていたら、当然のように私の住んでる部屋の話になった。
「へえ、じゃあ下村さんはマンションに住んでるんだ」
「うん……といっっても、築十五年の狭い部屋だけど」
「それでもいいじゃん。家賃、高いんでしょ?」
「えーと……このくらいかな?」
私の提示した金額を見て、その場の全員が言葉をなくしていた。……そんなに非常識な金額だったのかな。
ちょっと嫌な汗が流れる中、集まっていたうちの一人飯島さんがおそるおそる聞いてきた。
「……その部屋さ、事故物件なんじゃないの?」
「じこぶっけん?」
意味がわからなくて首を傾げる私に、飯島さんが続けた。
「ほら、自殺者が出たとかそういうやつ。その手の部屋って嫌がられるから、家賃安くするんだって。下村さんのマンション、その立地でその間取りだと、もっと家賃は高いはずだもん」
「ええ!?」
ほら、と飯島さんはスマホで検索した近所の家賃相場を見せてくれた。え? こんなに高いの? 下手すると、うちの二倍近い値段なんだけど。
駅から歩くとはいえ、その駅が複数路線入ってる大きな駅だし、どこへ行くにもアクセスがいい。だから周辺住宅は人気で、築三十年のマンションとかでも高い家賃が設定されているんだとか。
マジで? じゃあ、格安のあの部屋って皆が言う通りいわく付きとか? えー? 誰が死んだの? それとも何か出たとか? やだ怖い!
私が考え込んでいる間にも、飯島さん達の話は進んでいた。
「あ、でもそういう部屋って、説明受けるんじゃなかったっけ?」
「間に一人でも挟めば説明責任なくなるのよ。だから不動産屋はヤバい部屋の家賃を安くして、どんどん借りてもらおうとする訳。今回の場合、下村さんの前に誰かがその部屋に入居していたら、前の人には説明責任があるけど、下村さんに対してはないのよ」
「えー? それって不動産屋の丸儲けじゃない?」
「でも、そういう部屋ってなかなか借り手がつかないっていうよ? 不動産って、空き部屋があると利益にならないから、大変だって聞いたなあ」
だからって、そんな怖い部屋を貸し出さないでほしい。とはいえ、マンションの一室だとそこだけ取り壊すとかも出来ないだろうしなあ。でも怖い。
私、怖いのは苦手なんだよ。何せうちには怖いの筆頭のいちま様がいるし。そのせいか、昔からホラーは全般苦手だ。
お化け屋敷も駄目なんだよね。一度友達に無理矢理連れて行かれたけど、怖さのあまり、途中でしゃがみ込んで動けなくなった程だし。
その時を思い出してしまい、がたがたと震えていると、みんなが「しまった」という顔をした。
「だ、大丈夫よ、ね?」
「そ、そうよね、まだ事故物件だと決まった訳じゃないし」
「そうよ、たまたま安くなってただけかもしれないし」
うん、皆が慰めてくれてるのはわかるんだ。でも、怖い考えを植え付けられた私は、もうそれを払拭する術がない。
その日は一日、どんよりとした気分で過ごす羽目になった。