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弱いほど強くありたい  作者: いにえこころ
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神谷優也(かみたにゆうや)

 ―――頭がくらくらする。

 まだこんな生活が1年も続くと思うと吐き気がする。

 気がつけば、扉を開けていた。

「どなたかな?おー、優也くんか。いらっしゃい」

 相変わらず優しい声で招き入れてくれる。

「ちょうどお茶を淹れようと思っていたんだ。しばらく付き合っておくれよ」

「先生、俺はこれからどうすればいいですか?」

「まあ、そう焦りなさんな。焦りは冷静さを欠くよ」

 いつもこうだ。決して答えを教えてはくれない。

 ―――それでもここに来ると、先が見えてくる。

「どうぞ座って座って」

 先生はお茶をお菓子を差し出し、ゆっくり座った。

「へんば餅っていうんだ。僕はこれが大好物でね。それと今日は伊勢茶だよ。これが合うんだ」

 先生は毎回、こうして落ち着かせてくれる。

「おいしいです…」

「それはよかった」

 先生は微笑みながら、どうぞと紙を渡してきた。

 この紙は考えをまとめるためのもので、辛かったことや苦しんでいることを書いて、それを見ながら先生は色々な話をしてくれる。

 書いている間は、先生は窓から外を眺めている。頬杖をついて、木をずっと見ている。

「先生、あの木をいつも見てますよね」

「桜の木、素敵な表情をするんだよ。あの木を見ていると色んなことを思い出すんだ」

 先生は視線を変えずに独り言のように話した。

「思い出?」

「そう。僕が学生の時から出会ってきた悲しみや喜び、怒りや苦しみ、たくさんね」

 先生はこちらを向くと、さあ、と紙を手に取った。

 しばらく、顎を触りながら、うーんと考える。

「1番大切にしてるのはこれなんだね」

「そうですね…」

「今の自分に10点満点で、何点あげられる?」

「2点か3点」

「そうか、じゃあ4点にするにはどうすればいいだろうね」

「えっと…」

 しばらく考えても、その場で答えが出せなかった。

「よし、じゃあ宿題ね」

「はい…」

「来週は火曜日と木曜日どっちか」

「じゃあ火曜日でお願いします」

「おっけー」


「失礼しました」

「優也くん、僕は君に8点あげる!」

 恥ずかしくなって、無言で頭を下げた。




 先生は俺の唯一の理解者で、人を殴って担任に暴言を吐いても、他の先生とは反応が違った。

 怒らず、叱らず、しんどかったねと声をかけてくれた。

 変わった先生だなっと思い、話しかけてみると、その時は一言「幸せってなんだろうね」と呟くように言った。

 呆気にとられていると、おいでおいでと手招きされ、ある一室に行き着いた。

 扉には紙が貼ってあり、そこには「なんでも相談室」と綺麗な字で書いてあった。

「相談することなんてねえよ」と出て行こうとすると、

「ごめんね。お菓子が切れてて」と熱いお茶を出した。

「今、出て行くと、めんどくさい先生に捕まるぞー。ちょっとだけお茶飲んできなよ」

 ストンと椅子に座った。他の先生のことをめんどくさいと表現したことに納得がいったからだった。

「今時の高校生って何して遊んでるの?」

「知らね」

「そうかー。忙しいか」

 こんな調子でほとんど応答せずに時間を潰して帰った。

 先生は帰り際に、またおいでと言っていた。

 今まで、孤独で誰にも必要とされてこなかった自分にはこの一言が頭に残った。

 この後も渋々学校には行った。ほとんどが遅刻で、飽きたら早退するような生活だった。

 担任からあと2日休むと退学になるぞと言われた。正直、それでいいと思っていた。

 そんなとき、またあいつに会った。

「優也くん、久しぶりだね。帰るの?」

「帰る…」

「友達からイチゴを貰ったんだけど、どう?」

 イチゴとか何年ぶりだろうと思い、ついていった。

「この組み合わせ最強だと思わない?」

 大量のイチゴが笊に乗せられ、小皿に練乳、温かいココア、これが最強の組み合わせらしい。

「へたは袋に捨ててね。練乳とココアはおかわりし放題だから。勝手にやってくれ」

 2人は黙々とイチゴを頬張った。その日は特に何も聞かれることもなく、食べ終わるとすぐに帰宅した。

 不思議な感覚だった。学校だけど学校じゃない。先生だけど先生じゃない。相談室だけど相談しない。帰宅してすぐにベッドに入り、目を閉じた。

 イチゴで腹一杯になったのは初めてだった。甘い香りに包まれて、あの一時は確かに幸せを感じていた。

 そこで、ふと思い出した。初めて会った時に先生が言った「幸せってなんだろうね」の一言だった。



 母が自殺した。また自分勝手だ。

 いつも俺のやることなすこと全てを否定して、たまに褒めるときは自分の思い通りになったときだけだった。

 母が変わったのは離婚が原因だった。

 母はどこか幼かった。何をするにも父の意見を聞き、依存しているみたいに、自分一人では何も決断できなかった。

 父はそんな母を守ろうとしていた。しかし、母の依存は強く、真面目で誠実な父に対して、浮気を疑うようになった。

 父はうつ病になった。誰もが認める真面目さを一番信じてほしい相手に打ち砕かれたのだから、日々のストレスは凄まじいものだっただろう。

 父は長年勤めた会社を辞めざるを得なくなった。これに激怒したのは祖母だった。その結果が離婚だった。

 父はうつ病になりながらも、ずっと離婚を拒み続けた。

 しかし、母の方が耐え切れなくなり、離婚が決定した。

 当日のことは鮮明に覚えている。何度も忘れようとして、何度もすり替えようとした記憶である。

 俺は、父の実家に預けられていた。その時、すでに12歳になっていた。来年には中学校に入学して、何気ない毎日を過ごすはずだった。

 父は離婚調停中に俺のことを抱き寄せて、ずっと謝った。全て自分のせいだと言った。当時の俺はどっちが悪いとは考えていなかった。

 そんなことよりも、父の涙を見て、胸が締めつけられるようで毎日が苦しかった。

 時折、母の言葉を思い出していた。

 それは俺が7歳のとき、父が交通事故を起こして、頭を打ち、2日間意識失ったことがあった。

 医師には、命に別状はないが、後遺症が残る可能性が高いと言われていた。

 その時、母は「大丈夫。優也がいれば大丈夫だから」と言った。

 当時、俺が母を守らなくてはいけないと思った。母は弱い人間だった。子どもの前でも弱さを見せた。

 強くなる。離婚しても俺が母を支える。そして、いつかまた3人で暮らす。そう心に決め、その後、母とともに暮らすことを自ら宣言した。




 暖かい日差しを浴びて目が覚めた。

 泣いていたようで、顔が突っ張っていた。

 また、一日を耐える。もう強くある必要はないというのにだ。


 相変わらず、学校は退屈だった。

 周りの高校生が楽しそうに話しているのも、羨ましいと思うことはなかった。

 一人でいたい。こいつらは何も知らない。知る必要もない。普通の人は幸せに生きていくんだろう。

 でも、俺は違う。


 また、相談室に来ていた。

 たまに相談室に先客がいることがある。でも、彼らもまた人目を避けるように入っていくため、会うことはない。

 それに先生が気を使って、色々と配慮しているらしい。相談室の扉には「ノックして、その場でお待ちください」と貼り紙がある。これは先客がいる場合に勝手に入って、生徒同士が鉢合わせになるのを防ぐためだろう。また、入ってすぐに敷板があり、中を覗けないようになっている。

 今日は、先客がいるようで「準備中」の立札が掛けてある。ちなみにこれは100均で売っているらしく、裏には営業中と書かれている。

 仕方ない、帰ろうと歩き出したとき、扉が開いて先生が顔を覗かせた。

「おお、ちょっと待ってくれるかい」

 先生はそう言うと、中に戻り、また出てきた。

「ちょっと来て」と相談室の隣の準備室に連れていかれた。

 相談室と準備室は中に扉があり、繋がっている。

 もう相談室に先客はいないだろう。もともと相談室は生徒があまり出入りしない棟にある。資料室や理科室が近くにあるが、1年間で数回しか行かないところである。

 先生は体育教師であるため、普段は体育館の中にある教官室にいる。

 先生は普段から相談されることが多いらしく、相談したいことがあったら教官室に来てねと宣伝もしている。教官室では割と多くの人が進路相談や恋愛相談をしているらしい。

 相談室はより深い悩みを持つ生徒が一対一で話したいときに利用する。

 先生自身がこの生徒は危険だなと感じることがあると、相談室を紹介していらしい。

 俺自身も先生に目をつけられ、相談室に来るようになった。

 先生は嘘をつかないし、つかせない。嘘をついても見破られてしまう。でも、嘘を指摘することはない。

 たぶん嘘だと気づきながら嘘の裏にある感情を汲みとってくれている。先生はその感情を確認するかのように言語化する。だから、こちらとしては気づかれているとなんとなくわかる。

 母が死んで良かったと言ったことがあった。すると先生は辛かったんだろうけど、もう少し肩の力を抜いてみようかと言った。

 強がっていたことを見抜かれ、自然と涙が出た。

 人前で泣くなんてことはこれまで一度もなかった。先生は少し席を外すねと準備室に入っていった。これも先生の優しさだった。俺の性格を把握した上で、一人にしてくれたのだろう。

 泣くとすっきりする。先生は脳の神経伝達物質の分泌がどうのこうのと詳しく説明してくれたが全然理解できなかった。



 今日も気分が晴れていた。

 最近は学校に行くことが目標ではなくなった。

 当たり前に学校に行って、自分を変えることが目標となっていた。

「先生、持ってきました」

「はいはい、じゃあ見てみようか」

「4点になったと思います。次は……墓参りしてきます」

「そうだね」

 先生は優しく微笑んでいた。たぶんこれで正解なのだろう。




 卒業式

 あれから先生のところへは行かなくなった。それでも体育の時に先生と顔を合わせたが、先生からは何も言ってこなかった。

 無事に卒業できるようになった。それだけでなく、大学にも合格していた。必死に遅れを取り戻した。

 3教科のみを勉強して、私立の一般入試でなんとか合格したのだった。

 実はこの手段も先生に教えてもらったものだった。

 先生は、遅れを取り戻すには時間がかかる。だから国立に行くのは我慢して、私立に行きなさい。そして、遅れたぶんを大学院で取り戻したらいいと言ってくれた。

 凄く気持ちが楽になった。

 先生にはカウンセラーになりたいと話した。カウンセラーになるなら大学院に行く必要がある。資格を取るためと心を成長させるためらしい。詳しくは大学で教えてもらいなさいとのことだった。

 自分でも調べてみたが、臨床心理士という資格を取得する条件に、国が指定する大学院で心理学を専攻し、修了する必要があるらしい。


 先生は校門で卒業生に囲まれていた。話をしたかったが、俺はその中には入っていけなかった。

 先生は俺に気づいたのか、周りにいる卒業生に向けて大きな声をあげた。

「たくさん親孝行をして、幸せになりなさーい!」

 多くの生徒と親御さんに聞こえていただろう。くすくすと笑われていた。

 俺は、そのまま帰路についた。

「結局、ご挨拶できなかったな」

「いいさ、また来ればいいんだから」

「あまりご迷惑をかけんようにな。それにしても面白い先生だったな」

「だろ」



 今となっては、あの時の苦しみは自分の人生の糧となっている。

「母と父を愛せる人間になりたい」と掲げてから、自分の人生は変わった。先生がいなければ、この目標を掲げないまま、ぐだぐだな人生を送っていただろう。

 この恩を父と先生に返していこう。そして、お母さん産んでくれてありがとう。




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