第2話 西西男女
果たしてそのおばさんは今年度の祭神高校1年1組の担任の先生だった。適当におばさんとか言ってごめんなさいと心の中で謝りつつ、連絡事項を聞く。しばらくしてから最後に、何か質問はありませんか?とクラス全体に先生が問いかけたので、私は恥を恐れずこう質問した。
「......先生?」
「何でしょう、えっと、西野さん」
「何でこのクラス、こんなに『西』のつく人が固まってるんですか」
「......あらあら、聞いてしまったわね」
「......?」
「それを聞いてしまうということは、それ相応の覚悟がある。そういうことでよろしい?」
「えっと......そんなに?」
「お答えしましょう。『西』が好きだから!!」
「なんて理由なんですか!」
「別にいいでしょう。もちろん各々嫌だということであれば、すぐにでもクラスの変更をしますから、それはご安心を。2年生からは文系理系に分かれ、さらにはある程度、学力別の編成になります。自由なクラス編成なのは、1年生の時だけです。『西』ファミリーで互いの個性を見出すのも自由ですし、様々なクラスのそれぞれのよさを発見するのも、また自由です」
「......あまり詮索しない方がいいと思うよ」
西原くんが先生に聞こえないようにぼそっ、と言った。
「あの人は祭神の名物先生なんだ。川際先生。確か......風水か何かの影響でしたっけ?」
「それももちろんそうですね。ですが最近はほかの理由もあります。夕焼けの美しさの虜になってしまって。西という方角がこの世に存在していなければ、夕焼けという現象もこの世にはなかった。休みの日は結構夕焼けを見に全国を飛び回ってることが多いですよ。......あら。ずいぶん深いところを聞いてくると思えば、西原君じゃありませんか」
「はい、母と兄がお世話になりました」
「よろしくお伝えくださいね?」
「はい」
その返事を合図に、川際先生がホームルームを再開した。
「今日は入学式ですからまだですが、次の登校日、あさってから部活見学が許可されます。みなさんこの祭神高校には非常にたくさんの部活がありますから、ぜひとも何らかの部活に入っていただきたいのです。ちなみにこの祭神高校、創立当初から現在に至るまで、帰宅部の人数はゼロです。近辺でも帰宅部率の圧倒的な低さで有名ですよ」
「ええっ!おいマジかよ?」
「普通帰宅部って学年に数人はいるもんだよな」
「それがゼロとは......みんなやる気あんだな」
別に帰宅部の人みんながみんなやる気ないわけではないと思うんだけど......と思ったが、やはり口には出さない。
「ただし」
川際先生が、よく通る声でその一言を言った。それでクラス中をしずめた。
「くれぐれもあの部活......『サイハレ』には注意してください」
「『サイハレ』?正式名称ですか?」
「ええ、まあ。本来は略称なのです。が、現在祭神高校側では、この名称が正式に認められています」
「どういう部活なんですか」
「それは実際に行ってから感じてください。この地域で重要な役割を果たしているようだ、ということは事実です。ただ、......気をつけて下さい先生方のほとんどは、あの部活に太刀打ちすることができないと、そう言われています」
「......!!」
「ねえ夏穂、ああ言われるとちょっと気になるよね、『サイハレ』」
「どうなのかなあ......」
「一度行ってみるといいと思うよ。うちの兄貴とか母親も『サイハレ』出身だったっていうし」
振り返るといつの間にか、西原くんがいた。
「うわっ!?......いつからそこに?」
「いや、実は少し前から......」
「後ろにいた?」
「......うん、まあ」
そのままかなり自然な感じで、西原君は私と夏穂の間に入ってきた。
「っていうか......よくわたしとあじさいのところに入る気になったね。男子なのに」
「い、いや......遠目から見ててもかなり仲いいんだな、っていうのは分かるし、それに入学式だからってあんまり緊張してる様子もなくて、楽しそうだったから、いいなって思って」
「......ふうん」
「それより今さっき、あじさい、って言ったよね。なんで?」
「この子の名前があじさい、って書いてしょうか、って読むの。変な名前だよね」
「じゃ、じゃあ僕も、『あじさい』って呼んでもいい?」
「別にいいけど......フレンドリーだね。まあそんな男子がいないのもおかしいか」
「ええっ!?そ、そう?」
「まいっか。あ、そうそう、それでわたしは箕島夏穂」
「......通称『成績上位の遅刻常習犯』」
「褒められた気がしない......」
「そりゃそうでしょ全然褒めてないもの」
「あはは。でも成績上位なら、それはすごいことなんじゃない?」
「ついでに言うと、私と夏穂は遠い親戚にあたるんだって」
「へえ!じゃあ小さいころから......」
「いや、それは違うの。初めて会ったの、小学校の時だから。夏穂の方、だから箕島家が本家で、私の方は分家の分家の分家......もはや別人、みたいな」
「あ、そうなんだ」
私はこの際、と思って、タイミングを見計らって、「ちょっと」と言って夏穂を遠ざけ、西原くんにだけ聞こえるように耳打ちした。
「やっと、......『僕』が板についてきたんじゃない?」
「え!もしかして分かってたの?」
「うん、こういうの、私やたらと鋭いから」
「早く言ってよー......。なかなかバレないからこのままそういうキャラで卒業しちゃうんじゃないかってヒヤヒヤしてたのに......」
「まあでも、なかなかバレにくいとは思うけどね」
私はちらっと、西原くんの上半身に視線を移した。
「そっか......もっと目立ってたらなあ......でも目立たせるわけにもいかないし......」
「まあ少なくとも、夏穂は気づかないと思う。そういうとこ......全部かもしれないけど、夏穂は鈍いから」
「うーん......」
「さ、あじさい、今何を話してたのか言ってもらいましょうか」
いつの間にか遠ざけたはずの夏穂は遠ざける前より猛烈に近づいてきていた。4月なのに暑苦しいぞ。
「別に?夏穂は鈍いやつだから、って教えただけ。夏穂が期待してるような、そっち系の話じゃないから安心して」
「こらあ、何余計なことを吹き込んで......」
「ま......まあまあ。落ち着いて箕島さん。怪しいことはしてないから」
「それで怪しくないというのは無理がありますぜ......うえっ......やっぱり何か、体がゾワッとした」
「そういえば今まで夏穂のこと苗字で呼ぶ人、見たことないよね。みんな夏穂か、それとも暑苦しいとか、某テニス選手とか、熱血漢とか、某高級アイスの天敵とか......」
「あのね、それ全部今即興で考えたやつでしょ。しかも分かってると思う......分かっててほしかったけど、わたしは女です。はい女ですよー、ちゃんと覚えてー」
「熱血漢」
「いやふざけんなあじさい!!駄菓子屋のおばちゃんって呼ばれてもいいのか!?」
「別に構わないけど?」
「ぐぎぃぃーっっ!!!」
ちなみに私はよく駄菓子屋で売ってる10円のアメとかチョコに目がない。そしてそれを隠すつもりも全くない。
「じゃ、じゃあ何か、いいニックネームを考えないと......」
「夏穂、でいいと思うけどね。特に発音しにくいわけでもないし、変な名前でもないし」
「ちょっと待て!そんな基準で夏穂って呼んでたのあじさいは!!」
「うーん、それじゃ、僕はなんだか単純すぎる感じがするんだよね......」
「フクザツですね」
「夏穂が名字呼びがいやだっていうからでしょ」
「あ、それなら!『みかん』っていうのはどう?」
「「『みかん』?」」
「そう。『みのしま』と『かほ』の頭文字をとって、あとは流れで」
「それならよろしい。どっかの誰かさんが嘘みたいな理由で名前呼びするのとは大違い」
「確かに。一気に可愛げが出てきた......って誰のことかなあ??」
「そうそう、脱線に脱線を重ねたけど、......『サイハレ』に入ってたって、どういうこと?」
「あの、うちは代々祭神高校出身でね、川際先生がまだいないころだけど、うちのおじいちゃんもおばあちゃんもそうで、学生結婚までしたそうなんだ」
「それで昔からずっと西原の姓だから、川際先生がいる限り、ずっと担任になるわけね」
「じゃあお父さんも?」
「そうだけど、あんまりお父さんっていうと、お母さんから怒られるから。それに、僕もその呼び方、あんまり好きじゃない」
「なんで......?」
「今、離婚調停中。僕もお母さんと同じで、最低だとは思うけどね。僕がこの年になってから、今更なんて」
「浮気、とか?」
「そ。よりによって、買い物に出かけたお母さんに見つかったんだ。やり口もガバガバ」
「やっぱり世の中って平和じゃないんだなあ......って、思うよね」
「親権がお母さんに渡って、『西原』じゃなくなっちゃうらしいし」
「何になるの」
「草津」
「へえー......ってそうだ西原くん、下の名前何なの」
「えっ!な、なんで突然、そんなこと......」
「そりゃあ、せっかくあだな、決めてもらったんだからお返しはしないとって思って」
「え、えっと......」
私はなんとなくこの理由も察することができた。また近寄って、こそこそ耳打ちしてみる。
「ちなみに名前は何なの?正直に言って」
「......ごにょごにょ」
「そ、それは......」
「どう思う?」
「うん。完全にアウト。さすがに夏穂も気づくかな。......学校には言ってあるの?そういうこと」
「うん、大丈夫。実は川際先生も知ってる。それで、今週末には一式が届くようになってるよ」
「ってことは来週からか......今週いっぱいの我慢だよ、ってことなんだ」
「そういうこと」
「それならもう、言っちゃった方がいいかもね。どうせ来週バレちゃうわけだし」
「そっか......そうなる?」
私は再び定位置に戻った。
「で?話はまとまりましたかあじさいさん?」
「うん」
「下の名前、なんて言うの?」
「結乃香」
「へえ......最近は珍しい名前の男の子もいるんだね」
き......気づかなかった!
私と西原くんは、思わず顔を見合わせた。
「......とでも言うと思った?」
き......気づいてた!
「それ思いっきり、女の子の名前じゃん。本当の名前言ってよ~」
そ、そっちか......
「だ、だから、本当の名前なんだって!」
「は?」
「ぼ......私、西原結乃香は、女だってこと!!!」
「よし!よく自分で言った!」
「え......?どういうこと?」
「だから、男の子の制服着てるけど、実は女の子だってこと」
「何っ!?こんな近くに男装趣味がいる、だと......!?」
「違う!違うから!!」
「じゃあ何で?」
「入学するための書類をお母さんが書いてたんだけど、たぶん忙しくて頭がいっぱいで、いらいらしてたっていうのは私もよく分かってたんだけど......私の名前の欄には結乃香、って書いといて、性別の欄で『男』にマルつけちゃったらしくて。お母さんが書いてたから私は知らなくて、気づいたのも制服採寸がすぐそこまで迫ってた時で。仕方ないからその場では男の制服で採寸して、急いで女の子用も注文したっていうわけ!悪気がないのは分かってるから......」
「そんなことって本当にあるんだね......今どきマンガでもそんな展開ないんじゃない?」
「もうちょっと遅くに発覚してれば、もっと面白い展開になってただろうに......ねえあじさい?」
「夏穂!」「みかんちゃん......」
「でもまあ、来週から突然服が変わっても、それはそれで大騒ぎだと思うけどね」
「川際先生には姓が変わることも、私が女子の制服を着てきたら、その旨を先生から伝えてほしい、っていうことは言ってあるんだけど......」
「ところでさ......」
その時私はふいに、
「西原と話してみ。面白いと思うよ」
という、西沢くんの言葉を思い出した。
「西沢くんと知り合いなの?」
「ああ、だって同じ中学だったから。たぶん一番つるんでた男子じゃないかな」
「じゃあ今回の話も知ってたんだ」
「とりあえず一番先に相談したのは西沢くんだったよ。どうしよう助けてって言ったら、とりあえず他人事のように笑い飛ばされたけど」
「ん?けっこうひどくない?」
「うんまあ、表面的に見ればそうなるけど、じっくり話してると案外そうでもなかったりするよ。なんだかんだで鮮烈な高校デビューにしてしまえって、励ましてくれたし」
「仲良いんだね」
「ん?えーと、まあ」
「ほうほう、”そういう関係”、か......」
「ち、違うよみかんちゃん!西沢くんと付き合おうものなら、双方の親から殺されちゃう」
「なんで」
「私も西原くんも、せっかく祭神に行くんだから、もっといい男とかいい女を見つけなさい、って言われてる」
「『祭神に行くんだから』、か......」
今は入学式の帰りの電車の中である。すでに気づいてしまった私にとっては、あんまり新しく聞こえる言葉ではない。
「それで?『いい男』は見つかったの?」
「そんなわけないでしょ!まだ入学式だし、今のままじゃそんな余裕もないよ......万が一男子に気づかれて、その場で騒がれでもしたらって思うと......」
「男子ってけっこうその場で騒ぐやつ多いよね」
「そんなに思い詰めてるのに、張本人のお母さんは責めないんだね。さすが」
「お母さんは悪くないから。私もお母さんも、早く西原の姓を捨てたい、って思ってるし」
「そっか。でも西ファミリーの人数が一人減るね」
「西原の家自体はなくなるかどうか分からないよ。お兄ちゃんがもう少しで結婚して自立するから、西原にするのか、それともいっそ婿入りして苗字変えるか、とも言ってるの」
“さくらのおかー、間もなく桜ノ丘です”
「あ、降りなきゃ。じゃあね、今日は楽しかった!」
「家近いんだねー」「バイバーイ」
祭神高校の最寄駅から、3駅しか離れていない。
すぐにドアは閉まって、動き出した。
私と夏穂はまだまだ。私の方が少し近いけど......
「あじさい?」
「なに」
「結局西原さんのあだな、決め忘れちゃった」
「あ、そうだね......」
あれだけたくさん話していて、しかも西原さんの名前を聞き出すところまではいってたはずなのに......
脱線って怖いなあ......
そう思っていた。
それからしばらく、沈黙が訪れた。
そういえば中学の時も、こんな感じだったような......
電車の外を見れば、大小さまざまなビルが次々に過ぎ去ってゆく。
“くぎはまー、間もなく久樹浜です”
「じゃあね夏穂、また明後日」
「うん」
「どうかした?」
「モーニングコール、もうしてくれないよね」
「......そりゃ、もう高校生だものね。自分で起きなきゃ。それにモーニングコールなんかしなくても、どちみち起きなかったじゃん」
「そっか、そうだよね。じゃあ」
そこまででドアが閉まった。にこにこしていた夏穂はほとんど誰もいない座席に寝転んで、眠りに入ってしまった。
私たちの利用している区間では鈍行しか走っていない。車窓からはやけに都会な姿が映るが、それはあくまで祭神高校最寄りの祭神駅近くだけの話だ。遠くの方に行けばそれこそ地方らしさ全開の風景が目に飛び込んでくる。
夏穂は私の家の最寄駅より、さらに七駅も離れたところを利用する。夏穂はよく寝ないと、生きていけない。西原さんと私とを見送るために起きておくのはつらかったかもしれない。もう慣れたのかもしれない。
中学の頃も私たちは電車通学だった。その頃も夏穂は遠くからの通学だった。なら余計に、そのさみしさや孤独さに慣れてしまっていたのかもしれない。