第10話 海遼女子
「西原......サイハレ......結乃香ちゃん?」
「うん、ずいぶんぶっ飛んだ思い出し方だな。結乃香を知ってる?」
「ええ、同級生で友達です。入学式でいろいろやらかした子なので、友達になりやすかったです」
「やらかした......ああ、そういやあいつ、男の制服がどーたらこーたらとか言ってたな。あれほんとだったんだ。そう、その結乃香の兄です」
「よろしくお願いします!」
「こちらこそ」
駅を出た夏穂と西原先輩――もとい、結乃香の兄は、駅前のターミナルを抜け、まっすぐ歩いてゆく。
「そう言えば、どうして西原先輩はここに?私はここが家の近くだからなんですけど」
「俺が『地域史』でここについて調べたのは知ってる?」
「知ってます。天照よりこっち側で調べる人なんてそうそういないっていうのは先生から聞いてましたし、私の前に一人いたけど、それでも十年くらい前だって聞きました」
「まあざっくり言えば俺もここを調べたからなんだよな。別に今この辺りに住んでるわけでもないんだけど。昔はもしかしたら海遼女子の人にたくさん会えるかも、とか考えてたけど」
「下心満載じゃないですか」
「でもまあ残念ながら無理だった。そりゃそうだ、俺は男子だから仮に海遼女子について知りたい! とか言っても、何血迷ってんだの一言で終了だし。まあ強いて言えば帰りの女子大生に、それはそれはたくさん会った」
「ここほんと利用者多いですよね」
「電車通学の学生が、な」
実際電車が来るまでの間駅員さんと話したりして、駅員さんと親身になったので聞いてみたことがある。統計的にもこの駅の利用客はほとんどが海遼女子の学生らしい。もともとそこまで利用者が多くない祭神線だが、特に天照駅よりこちら側はさびれている。隣の西海遼駅がいい例だ。本来ならそんな利用者の少ない駅は人件費削減のために無人駅となるのだが、この駅だけは女子大生の利用客で乗降客数が多いように見える上、女子大学なので犯罪の危険性も心配されて駅員が配置されている。
もちろん海遼女子以外に何もないわけはない。が、地元民の夏穂でさえ、地域史のレポートに書くネタが正直この大学ぐらいしかない、と認めてしまっているので仕方あるまい。
「だから大学以外のスポットならたくさん調べたから、そこは任せてくれ。なんせちゃんと調べなかったら留年させるぞって脅されながら書いた記憶しかないからな」
「そんな下心でここ選ぶからですよ~......って、そう言えば今回はどうするんですか?」
「俺、もう結婚してるんだけど、うちの嫁が海遼女子で教員として働いてるんだ。だから、勉強のために特別に大学構内に入る許可を取ってくれた」
「そうなんですね」
「忍び込むとかそんなんじゃないから大丈夫」
「必死の弁明を試みるあたり結乃香ちゃんと同じ匂いを感じます」
「弁明じゃないからな?」
何かと話すうち、目の前に大きな建物が見えてきた。海遼女子大学、そのものだ。
海遼女子大学。
実はまあまあレベルの高い大学で、祭神高校からだと上位の人たちが目指すところだったりする。学部も経済・文・教育・社会などの文系と理・農・工・医などの理系がバランスよくある、大きな総合大学だ。そんなに大きいのにこんなへんぴなところに建てた理由はやっぱり分からないが、まあ何か考えはあったのだろうということで済ませておく。
そして家のごく近くにありながら、夏穂はこの大学についてあまり調べたことはなかった。家から相当近いし、もし今回の取材で収穫があればここを目指すのもいいかも、と夏穂は思っていた。
「でも確かここのキャンパスって、理系の学部だけですよね」
「そう、文系学部のキャンパスはもっと離れたとこに......どこだっけな」
「父川ですね、それは昔調べたことがあります」
父川駅は祭神線の駅の中でも一二を争う大きな駅で、この間七絵や奈津菜と会ったところだ。駅の前に大きなショッピングモールが構えていて、また少し離れたところには大きな住宅街が広がっている。祭神高校の生徒が最も多く住んでいるところだそうだ。
「まだまだどっち目指すかは決めてないですけど、こういう機会でないと大学見学なんてしないと思いますし」
「講義の様子なんかはオープンキャンパス行けば分かると思うし、今回は部活とかサークルばっかりいろいろ見てくのもいいと思うんだ」
「なるほど」
「じゃ、入ろうか」
「はい」
夏穂は西原先輩の後について、警備員のお姉さんが見守る門の横を通り過ぎていった。それにしても警備員さんまで女の人なんて、ちょっと男に過敏すぎやしないか。あれか。男性アレルギー的なやつか。
* * *
「……どうだった?」
「だいたい他の大学にありそうなサークルはありましたね。変わってたので言えば、ロボット同好会とAI同好会とAIプログラミング同好会と、モールス信号解読同好会でしょうか」
理系の話にイマイチぴんと来ない夏穂には、どれも一緒に見えた。が、実際は活動内容も会員の顔ぶれも違うし(当たり前だが)、何より大きな確執があってもとは一つだった同好会が分裂したのが今の姿らしい。それにしても分裂しすぎだし、一度でも「あれ? 私たちやってること一緒じゃね?」って思わなかったのか、と夏穂はますます疑問に思うばかりだった。もし海遼女子の理系の学部に進むとしても、とりあえずこの四つは避けてみるか、と思うばかりだった。活動内容がどうこうより、めんどくさいケンカに巻き込まれそうだ。
「あと俺が書いたのは、ここかな」
一通り大学構内を回った後夏穂が西原先輩に連れられてきたのは、駅から少しだけ歩いたところにあるお好み焼き屋「おつきみ」だった。なんでも何十年もここに店を構えている老舗らしく、西原先輩が高校生の頃は愛想のいいおばちゃんが店長だったらしい。それからもう何年も経つが、いつも通り開店していた。
「いらっしゃい。お、西原君」
「ご無沙汰してます、覚えててくれたんすね」
急に砕けた口調になって、西原先輩がおばちゃんに話しかける。どうやら店長は変わっていないらしい。
「そりゃねえ、地域史のレポートでここを選んだせいで書くことがないって言って、泣きついてきた子だもの、よく覚えてるわよ」
「……え」
いや自分のことだろ、覚えとけよ、と夏穂はツッコミをしたくてたまらなかった。
「海鮮お好み焼きでいいね?」
「はい。それでお願いします」
「懐かしいね。あの時締め切りに間に合わないって泣いてた西原君に出したのも、海鮮お好み焼きだったわね」
「余計なことは思い出さないでください」
流れでカウンター席に隣同士で夏穂と西原先輩が座った。目の前にある鉄板に二人分のお好み焼きのもとが広げられ、じゅう、と音を立て始める。粉ものの焼けるいい匂い、それに続いてソースの焦げる香ばしい匂いがあたりに充満した。
「そういえばあの時よりはお客さん、少なくなりましたね」
西原先輩が特に何でもなさそうなことのようにそう言った。本来そういうことはお店の人に言うことではなさそうだが大丈夫か。
「昔はね、そこの大学あるでしょう? そこから学生さんがいっぱい来てくれてたんだけどね。最近定員が減っちゃったらしくて、オープンキャンパスとか学祭の時も、お客さんが減っちゃって」
お客さんが少なくなっている、というのは本当だったらしい。
「ああ、そういやうちの嫁も言ってたな。少子化のダメージが他の大学よりもろに来てるとかで、ここ何年かでちょっと定員を減らさざるを得なくなったらしい」
「そうなんですね……」
「ちょっと惜しかったな。あと何年か年上だったら、倍率が低めで入りやすかったかもしれない。今は定員が減ったおかげでまた相対的に倍率が上がってるから」
「ああ、なるほど」
出来上がったお好み焼きが、夏穂たちの目の前に差し出された。お腹のすいていた夏穂がそそくさと割り箸を取って食べようとすると、おばちゃんからストップがかかった。
「うちはもう一つサービスしてるの。卵、嫌いじゃないね?」
「大丈夫です」
ちょっと確認が遅い気もしたが、夏穂は卵が嫌いどころかむしろ好きな方だったので、流れるようにそう言った。
さっきまでお好み焼きを焼いていたところに金属の小さな囲いが置かれ、その中に卵が割り入れられる。じゅう、と音を立てながら白身が色づいていく。白身が少し固まったタイミングで軽く塩コショウが振られ、コテですくってソースの匂い香ばしいお好み焼きの上に乗せられた。
「いただきまーす」
「うわ、邪道かよ」
夏穂はいきなり割り箸で黄身をつぶした。生に近い黄身は遠慮なくとろっと溢れてお好み焼き全体に塗り広がる。見ただけでまろやかになっているだろうそのお好み焼きを、西原先輩は訝しげな表情で見つめていた。
「あれですか。先輩はつぶさない派ですか」
「派閥もなにも、つぶさないのが普通じゃないのか」
「それは人の自由です。ほら、つぶした方がおいしいですよ」
夏穂が迷わず西原先輩の分の黄身もつぶそうとする。必死な表情で防衛する先輩と、完全にいたずらっ子の顔をした夏穂の軽いケンカが始まった。
「おいマジでやめろ、わっ、ぬおおおおお」
「にしし」
実は西原先輩が夏穂の分もおごることにしていた、という話がチャラになってしまった瞬間だった。




