第二章 一つ目の願い ~空~ PART5
衛が予想していた通り、テストのできはひどいものだった。
と言うより、衛は今日受けた授業の内容のそのほとんどを理解することが出来ていなかったのだが、何故か教師から指されることが一度もなく事なきを得ることが出来ていたのは、リリィが何かしらの計らいをしていてくれたおかげなのかもしれない。
そうして現在、教室ではHRが始まっており、壇上で担任の狛江が先日行われたと言う学力テストについて苦言を呈しているところであった。
他のクラスの中には既にそのHRも終了しているところもあるらしく、窓越しに生徒の姿が衛の座る席からも見えていた。
衛には狛江の言うテストの内容など全く記憶になかったので、退屈なこの時間を紛らわすように横目で廊下を通る生徒の姿を見ていたのだが、不意に自分の袖が引っ張られたのを感じた。
衛がそちらに目をやると、隣の席に座る野原がニヤニヤしながらこちらを見ていた。
「さっき、来てたよ」
狛江の目を気にしてか、野原は声を潜めた。
「え?」
「能登さん、来てたよ」
野原の言葉を聞き衛がすぐさま廊下へと顔を向けると、確かにそこにはこのHRが終わるのを待っていると思しき女子生徒が数人いた。携帯を弄りながら時折目をこの教室に向けていたり、誰かと話しながら待っていたりとそのスタンスは様々であった。
この中に自分の彼女となる女の子が?
だとしたらきっと一人でいる子だよななどと思いながら、誰がその人物かなど分かる訳もないのに忙しくその目を動かす衛の耳に、再び野原の声が届く。
「ま、もう行っちゃったけどね♪」
それでも衛は、野原の方を振り返りもせずに、しばらくは廊下へと目をやっていた。
暫くすると、以後他校の生徒に後れを取らないようにとの旨の言葉で狛江の話は絞められ、最後は学級委員による号令でようやく長いHRが終わった。
それを合図に教室内が生徒達の声で溢れだすなか、衛は何故か席を離れようとしなかった。
『ちょっと何しているのよ』
先に痺れを切らして声を上げたのはリリィであった。
『彼女、待っているわよ』
衛は再び廊下へと目をやるのだが、そこは更に人気が増していた。
(待ってる?彼女の名前も知らない僕のことを?)
『もう、何怒ってんのよ?』
廊下に目を向けたまま、衛は(べつに……、)とだけ吐き捨てた。
『全く、子供ね』
(そんなんじゃ―)
『彼女の本名は能登由仁』
リリィもまた、吐き捨てるように衛の言葉を遮った。
『これで満足?まさか、どんな見た目か?とか性格はキツイのか?なんて説明まで聞いてくるつもりじゃないでしょうね?』
(僕はただ……、)
『いいえ、聞きたくないわ!』
リリィはピシャリと言い放つ。
『自分が望んだ世界なのだから、とか。どうせ夢なのだからもっと好きにさせて欲しい、とか言うのでしょう?確かにここはあなたの夢の中だし、もっと自由が利く方が楽だって言うのは分かるけれど、でもあなたに時間が無かったように、私にも時間は無かったの。それとも、人間ではない私があなた達人間の世界を創り上げる苦労を、考えたことがあるって言うの?』
ほとんどの生徒が自分の席を離れていく中、衛は一人俯くように頭を垂れてリリィの話を聞いていた。
(でも、いきなり彼女なんて……。僕はどうしたらいいのか分からないよ)
周りが生徒の声で喧騒に包まれる中、衛の頭にはリリィの声がはっきりと響いていた。
『あなたやらなければならないことは一つ。今すぐ隣のクラスに行くことだけよ』
リリィは落ち着いた、そしてはっきりした口調でそう言い放った。
ここでリリィと言い争っていても仕方がないことは、もちろん衛にも分かっていた。そんなことをしていても、もう残り半分も残っていない時間を無駄にするだけだと言うことぐらいは気付いていたのだ。
衛は組んだ手で額を数回叩いた後、ようやくバッグに手を掛けるのだった。