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第二章 一つ目の願い ~空~ PART1

衛は朝食を摂った後、ベッドの上で横になっていた。

いつもと同じように岬が運んできてくれた少量の病院食を半分以上残し、彼女の手を借りて歯磨きを済ませ、そしてこれ以上は用事がないことを彼女に伝えた後は朝の残りの時間を一人で過ごす。

この日もいつも通りの衛の日常であり、そのあまりの変哲のなさに、昨晩見た夢が本当に起こったことなのかと衛は疑わしい気持ちにすらなるほどであった。


まぁ、夢って時点で現実とは言えないか……。

そんな自嘲気味な笑いを浮かべつつ、衛にはそれでも自分の記憶が間違っていないと確信出来ることがある。

それは、朝起きた時に感じた下半身の痛みである。

激痛とまでは言えないものの、足から伝わってきたピリッと感じる痛み、衛がその痛みの先へとゆっくり視線を落とすと膝に小さな擦り傷を見つけることが出来た。

何せ現実ではほとんど動かすことが出来ない衛の体である。恐らく夢の中で激しく転んだ時に付けた時以外に心当たりは無かったのだ。

 夢の中で付けた傷が残っていることは不思議であったが、きっとこれはリリィからのメッセージなのだろうと、衛なりに解釈していた。


おかげであれはやっぱり自分が本当に見た夢だったのだと衛は確信が持てたのだが、それは同時にある選択を彼に迫っていることも意味していた。

 その選択とは、この代わり映えのしない死人のような毎日をこれからも続けていくのか、それとも今以上の苦痛を受け入れる代わりに、短い時間の中だけでも充実した時を過ごすのか、と言う二択である。

 正直、自分には選択の余地などないことに衛自身も気付いてはいるが、やはりそれでも迷いが生じてしまうのは、その代価について考えてしまう他無かった。

 視覚を奪われ目が見えなくなり、聴覚が奪われ音が聞こえなくなる生活……。仮にこの二つが失われるだけでも胸が張り裂けるほどの恐怖を覚えるのである。ましてや、味覚や嗅覚、そして触覚まで失った日には、ほとんど廃人と言っても過言ではないのではなかろうか、と考えれば考えるほど恐ろしい気持ちになるのだった。

衛は今、久しく忘れていたどうして自分だけがこんなに辛い思いをしなればならないのか、と言うそんな自分の境遇をも恨む気持ちを抱えながら、またいつもの様にゆっくり寝返りを打ち、窓の外へと目を向けた。

 

衛の目線の先には、例の少女が座っていた。こちらもいつもの様に、誰と話すわけでもなくただ一人であった。

衛はそんな彼女の様子を見ながら、ふと自分と彼女の違いについて考え始めた。

それもいつもだったら、勝手な自分の解釈から彼女のことを蔑むだけで済んでいただろうが、今日の衛は違った。

 昨晩見た夢の中で得た、リリィと名乗る妖精との出会い。そして、彼女に迫られる選択から、現実世界における自分の立ち位置を改めて知らされたことで、衛は彼女と自分に違いなんてないことを、今更ながら気付かされていたのだ。

本当はそのことにもっと前から気付いていたのに、今回の一件で再認識してしまったのである。いや、そもそも彼女を想う人間はいないだろうなんて、衛が勝手に決めつけたこじつけでしかない。

もしかしたら自分とは違って彼女の病室には人間の、そしてその愛で溢れているのかもしれないのだ。

そう考えると、昨日流したものとはまた違った涙が、衛の目から溢れて止まらなかった。その涙を自力では拭うことも出来ない衛の歪んだ目線の先を、今日はこちらを振り返ることなく彼女は歩き過ぎていった。


ほら、彼女は僕と違って自分だけの力で歩くことが出来るじゃないか……。もう自分には何も残ってはいない。

衛はそう考えると同時に、決心を固めたのだった。


 ※※※


『答えは決まったようね』

リリィの第一声はそれだった。

だが、また小馬鹿にするような笑いを浮かべながらからかわれると思っていた衛の予想に反して、彼女の表情に笑みはなかった。

 二人は昨日と同じ、広い草原の上で向かい合っている。もちろん、ここが衛の夢の中であることは言うまでもない。


「……うん。リリィ、お願い、僕の夢を叶えて」

衛は人生で初めて人に頭を下げて言った。おそらくこれは彼にとって最初で最後のお願いだったのだろうが、以外にもまっすぐ伸びるその背筋は美しくすらあった。

『あなたならきっとそう言うと思った。そんな気がしたわ』

リリィの声を聞いて衛が顔を上げると、どことなく悲しげな表所を浮かべる彼女と目が合った。

 だが、それは一瞬の出来事であり、リリィは直ぐにその表情を引きしめて言葉を続けた。


『あなたの願いを聞く前に、言っておかなければいけないことが幾つかあるから、しっかり聞いて』

「……うん」

『まず、あなたの願う世界は、一つの願いにつき一日の間だけよ』

「たったの一日だけ?」

『最後まで聞いて』

リリィはピシャリと言い放つ。

『一日と言っても、それは夢の世界でのことよ。現実の時間に直すと一晩。つまり、あなたが一度眠りに就いて覚めるまでの間、その間であなたの夢がなんでも一つ、それも一日間叶うと考えれば、これは決して短い時間ではないと思うわ』

リリィのその言葉を聞いて、衛は何かを考え込むように顎に手をやって視線を落とした。

リリィは構わず説明を続ける。


『それと、あなたから貰う「五感」のことだけど、それを失うのは現実の世界でだけのことよ。夢を見ている間は正常な体のままだから、その点は安心して』

 リリィはそう言った後、『もちろん、あなたが抱えている病気も夢の中では影響がないわ』と付け加えた。


 リリィに言われた通り黙って説明を聞いていた衛は、まだ納得がいかない様子で顔を上げた。

「二つ、質問してもいい?」

『どうぞ』

「まず、この後僕は一体どのタイミングから一つ目の見たい夢を見ることが出来るの?」

リリィは一度頷き返してから、質問に答える。

『本当だったら、また一日くらい考える時間をあげたいところだけど、こっちにも事情があってね。この説明が終わった後はすぐ叶えたい世界に入って貰うわ』

「え、この後直ぐ!?……事情って?」

『こっちの話よ。それに、私達がこの話をしてから一日は経っているのだし、それ位は考えておいて当然でしょ?で、二つ目の質問は?』

この話はここまでと言わんばかりに、リリィは次なる質問を促した。

衛はこの妖精と幾時間も共に過ごした訳ではないが、これ以上問い詰めても彼女が話す気にはならないであろうことは分かっていた。


「分かった。じゃあ、僕は一つ目の願いを叶えて貰う代わりに、まずはどの感覚を失うの?」

『それは当然の質問よね』

リリィはここに来て、今日初めての笑顔を衛に見せた。

『あなたに最初に支払ってもらう代価は「嗅覚」よ』

「嗅覚……」

『ええ、そうよ』

「……そう言えば気になっていたのだけれど、四つの願いを一つ叶えて貰う度に五感の内の一つを失うのだろ?だったら、最後に一つだけ感覚が余ると思うのだけれど、何が残るかも最初っから決まっているの?」

『質問は二つだけじゃなかったの?まぁ、いいけど』

リリィは直ぐに呆れたり、笑ったりと感情の変化がやや激しいものの、それでも衛の問いを無暗に跳ね除けることはしなかった。

『あなたの言うとおり、「五感」の内一つだけは取らないわ。でもそれが何かを今教えることは出来ない』

「そっちの事情、て?」

さっきの同じような質問をまた投げ掛ける衛の皮肉がリリィにも伝わったのか、彼女は小さく笑いながら『そうよ』とだけ頷いた。

『思ったよりも説明が長くなってしまったわね。そろそろ、あなたの夢を叶えてあげたいのだけれど、もう質問はない?』

「……うん」

そう返事はしたものの、衛は気持ちの整理を完全につけた訳ではなかったし、リリィの言っていることに納得出来ている訳でもなかった。

 ただ、これ以上ここで彼女と言葉を交わすことに大きな意味はない、それだけは分かっていたのだった。


『そう。じゃあ、あなたの一つ目の願い、それを教えてもらえるかしら』

衛は口の中に溜まった唾を飲み込み、大きく息を吐いてから口を開いた。

「……僕は、学校に行きたい」

『え?』

リリィは衛の言葉の意味が理解できず、思わず聞き返してしまった。しかし、そんな彼女の反応も、衛の想定の内ではあった。

「僕は普通に学校に行って、普通に友達とおしゃべりして、普通に授業を受けてみたい。君には分からないのかもしれないけれど、みんなが当たり前のように過ごす日常が、僕にとってはどれも眩しくてたまらないんだ」

語尾に近付くにつれて、自分でも声が小さくなっていっていることに気付きながらも、衛は決死の思いで自分の言葉を絞り出した。たとえ大事なものを失うことになったとしても、一度は体験してみたかった普通の生活。それを今、衛は初めて口にしたのだった。


「そんな当たり前のことを願うなんて、

 やっぱり人間は馬鹿な生き物だと君は笑うかい?」

衛が今まで以上に饒舌になっているのは、そうしていないと自我をを保つ自信が無かったからなのかもしれなかった。

『いいえ、笑ったりはしないわ。あなたの願いだもの、何を願おうとそれは自由よ。……それに、その気持ちが分からない訳ではないしね』

「え、それってどういう―」

衛は、上手く聞き取れなかったリリィの言葉を聞き返そうとしたが、それを彼女は右手を挙げて制した。


『これ以上の無駄な問答はよしましょう。さぁ、目を閉じて。次に目を開いた時、そこにはあなたの望む世界が広がっている』

衛は僅かに開いていた口を閉じ、リリィの言う通り、目も閉じた。目の前が暗闇に覆われる中、衛の意識はゆっくりと遠のいていった。



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