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第一章 四つの願い PART2


 いつもと同じように、心淳大学附属病院には夜が訪れた。

 たくさんの命を救ってきたこの施設に対してこれは適切な表現では無いのかもしれないが、夜の病院に蔓延る何とも言えない薄気味悪さの中には、三大心霊スポットとして名を馳せているが要因が充分含まれている。

 因みに、残りの二つのスポットは「夜の学校」と「墓地」である。

 時折夜勤の看護婦や警備員が見回りに来るものの、基本的には「無」と言っても過言ではない静かすぎる空間が広がる中、衛もまた、いつものように静かに眠っていた。

 いや、眠るはずだった。


『……きて』

 

 ん?

 

 衛は普段から夢を見ることはほとんどない。それが今日に限っては驚くほど健やかな睡眠を遂行していた彼の耳に、かすかな声が響く。

 しかし、所詮は眠っている最中に聞こえてきた声である。どうせ空耳だろうと衛は思い、目を開けることもなく再び眠りに就こうとした。


『……、起きて』

 

 しかし、また聞こえてきた。

 意識がまだはっきりとは回復していないせいだろうか、それでも衛は目を開ける気にはならなかった。


『衛、起きてよ』

 

これが幻聴と言うやつだろうか?

 

 初めての体験に対する好奇心よりも、眠りを邪魔されたことに対する煩わしさが勝り、衛は眉間に皺を寄せるばかりで、やはりその両目は開かれようとはしない。


『起きろ、つってんだろうがこのボケ!』


 脳に直接語りかけられたかのような、体の芯にまで響くその大声に衛は思わず飛び起きた。

 え、飛び起きた??

 衛は上半身だけを起こした後、瞼をぱちくり動かしながら自分の体を見ていた。そしてそのすぐ目の前で、先程大声を出し少女が頬を膨らませていた。

『もう、ようやく起きた』

 実はこの「少女」と言う表現は正しくない。

 薄ら茶色がかかったそのショートヘア、それに割とくびれがしっかりと付いている腰回りや大きいバストは、魅力的な女性であることに間違いはない。しかし、なんと彼女は衛が片手で握れるほどの大きさしかないばかりか、左右二枚ずつある透明の羽を動かし、宙を飛んでいるのである。

 簡単に言えば、彼女はファンタジーの世界にしか存在しない筈の「妖精」だったのだ。


『まったく。日中あれだけ横になっているくせにそれだけ眠れるのだから、良い神経しているよ、ほんと』

 彼女は尚も怒りが収まらない様子で衛を罵った。

 が、しかし。

 今の衛には彼女の容姿よりも、そして今彼等が居るのが病室ではなく、見渡す限りに広がる緑の草原の上であることよりももっと気になることがあった。

 それは、人の手を借りなければ片手を上げることも出来なかった自分が、上半身を起こしていることだった。

 

 もしかして……。

 衛は、目の前にいる「小さな少女」がまだ何か文句を言っていることを気にも留めず、恐る恐る下半身にも力を入れてみた。

 するとどうだろう。衛が今だかつて味わったことがないほどスムーズに、彼は立ち上がることが出来た。

 衛は、今度はその場で足踏みをしてみた。

 もちろん、何の違和感もなくそれをこなすことが出来た。

『……ちょっと、さっきから何をやっているの?』

 少女は腰に手を当て衛の顔を覗き込むように、いや、睨みつけるように彼の前まで移動した。

「……んだ」

『え?』

「治ったんだ!」

 衛は唐突に「おおおおー!」と叫びながら女の子を手で払い除けて走り出した。

 初めての全力疾走、そうすることで感じる初めて体感した息切れ、風の勢い、その全てが新鮮だったこと、そして何より自分一人の力で動くことへの喜びが衛の全身に駆け巡った。それと同時に、終わりの見えない草原を駆ける彼の目には止まることのない大粒の涙が流れていた。

 これはきっと、当たり前のことを当たり前に出来なかった衛だったからこそ、得られた感動なのだろう。

 生まれた場所、親、周りの人間、そして体質。

 この世に生を受けた時点で平等なんてことは有り得る訳もなく、そんなことは皆、百も承知である。

 それでも、それぞれが個々の人生を歩んでいく内に、いかに自分が恵まれた存在であったかを認識しなくなり、毎朝当然のように朝食を摂り、歯を磨き、必要とあればトイレに行って一日をスタートさせるのである。

 その人がもし、そんな傍から見たら「普通」と言える環境に身を置いている人間ならば、衛がこの「普通」でいられることに対して感動していることをより馬鹿にしてしまうのかもしれない。

 しかし、誰に何と言われようとこの瞬間が幸せであると、その時の衛には言い通せる自信があった。

やがて体力の限界が訪れた衛は、草原の上に勢いよく倒れこんだ。


 受け身の取り方など知らない衛は、ドサッという鈍い音とともに強く体を打ち付けてしまったのだが、その痛みは全身に広がる爽快感に勝るものではなかった。

『気は済んだ?』

 仰向けになって空を見上げる衛の上から例の少女が言った。衛があまりに勢いよく飛び出したせいか、心なしか彼女の息も上がっていた。

 少女が真上に止まったことで、彼女がスカートの下に穿いている白いパンツが丸見えになり、衛の中でまた初めての感情が湧き上がった。

「……はは」

『何よ、気持ち悪い。派手に転んだみたいだったけれど、何処かぶつけた?』

 心配すると言うより、怪しむような目線を送りながら少女は一歩後ろへと下がった。

「いや、ごめん。何でもないんだ」

 衛はまだその表情には笑みが残したまま、体を起こしながら言った。

「大丈夫、色々といきなりのことだらけでビックリしただけ」

『あんまり大丈夫には見えないのだけれど』

 ため息交じりにそう言う少女のことを、ここにきて初めて衛は真っ直ぐ見た。

「そうだね、もしかしたら僕は変になっちゃったのかもしれない」

 本来なら最初に驚くべきものが目の前に飛んでいることに衛も気付いていたのだが、敢えてそれを口にしようとはしなかった。

 当然、少女はそんな衛の態度が気に食わなかった。

『それよりもあなた、もっと私に言うことがあるんじゃない?』

 苛立ちを隠すことなく言い放つ少女から、衛は一度目線を外すように横を向いた。そして、衛はその目線を少女に戻すことなく再び口を開いた。

「そうだね。でも君に何かを聞いたって、ただ困らせるだけになるんじゃないかな?」

『え?』

「だって、これは夢なんだろう?」


 再び自分の方へと向けられた衛の視線が、あまり落ち着いているように見えたせいか、少女は次の言葉を失ってしまった。しかし、この彼女の一瞬の沈黙は、衛が自分の予想を確へと変えるのには充分な反応であった。

 衛は小さな笑みを浮かべつつ、「やっぱり」と声を漏らした。



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