プロローグ
あなたが初めて温もりを感じたのはいつですか?
この問いに関する返答は、きっと人によってまちまちなのだろう。「母親の腕の中」と答える人もいれば、もしかすると「人のやさしさ」なんて感慨深い回答を返してくる人もいるかもしれない。
皆が皆、それぞれ違った人生を歩んできている以上、答えの数は予想し難いものに膨れ上がっているのだ。
しかし、小さな吐息を吐いて眠る少年、藤木衛の選択肢はかなり限られていた。
その理由は衛が眠るこの空間にある。白いベッドに白い羽毛、その他カーテン、棚、電灯、etc…。
衛の正面に置かれたテレビ以外、度が過ぎるほどの白色で覆われたこの空間は、とある病院の一室であった。
衛が患っている病気、名は「小頭症」と呼ばれている。この症状は大きく二種類に分けることが出来る。まず生まれながらにして頭部の骨格そのものが小さいものと、もう一つは頭の中にある、脳だけの体積が小さく、体の成長に反してその大きさが変わらないものである。
前者の頭部の問題に関してはまだ治療法が無い訳ではないのだが、後者の場合、現在の医療では良い解決策が見つかっておらず、不幸中の不幸と言うのは言葉が過ぎる気もするが、生憎衛が該当するのはこの治療策が見つかっていない後者であった。
衛の幼少時代、周りの子供達と比べて息子の物覚えの悪さを不思議に感じた彼の父親が、自身が勤めるこの「心淳大学附属病院」で精密検査を行ったところ、例の病気が発覚したのである。
それ以降、衛はこの病院での入院生活で、人生の大半を送ることになった。
いや、これは言い方が間違っているのかもしれない。
それは、彼が「入院している」のではなく、「監禁されている」と言った方が正しいからである。
先述したとおり、衛の父親はこの大学病院で働いている。また、ただ働いているのではなく、次期院長の呼び声も高い程のエリート医師であった。
自分の息子が障害を抱えていることを知った父親は、それを恥じと考えたばかりか、一部の親族を除いてこの事実を隠すべく、こうして衛の自分の手の下で拘束することにしたのだった。
そして、呆れたことに現院長の娘である母親さえも、夫と同じ感情を抱いていた。病院の医療技術は整ってはいるが、それが衛にとって幸なのか不幸なのかは分からない。
事実、衛は生まれてからの十四年間、ほとんど人と接したことない。
いくら知能障害があるとは言え、衛には自我があるし、それにゆっくりではあるが言葉を話すことも出来るのだ。
それでも、同年代の子供達と同じように学校へと通うことはおろか、病院内での行動すら制限されている。
これを「監禁」と言わずになんと言えるのか。
しかし、日本はまだまだ権力社会。
ここらの地域で最も大きな大学病院の院長やその親族が収めた納税額は大きく、その分彼等の言い分に自治体や教育委員会も従わざるを得ないのである。
かくして、人とは違う希有な人生を送ってきた少年、衛。
この物語はそんな彼が直面した、これまた珍しい体験を中心に進められていく。