後編
窓と扉を開け放ち、午後の日差しに輝く体育館。高い天井にに声援が響く。
弾むバスケットボール、心地よくブレーキとダッシュを繰り返すバッシュの音。午後は体育の選択授業、バスケットボールだった。男子バスケ、お隣、緑のネット挟んで女子はバトミントン。
「うむ、遅いな」
俺、こと魔王はバスケットボールを保持するクラスメートの真横に走りこむと、腰を落として的確にディフェンスを行い、一瞬の隙をついて潜り込むようにボールを奪った。
さすが猫、ボール遊びが得意である。
素早く姿勢を整えつつドリブルし、ゴールリングへと駆ける。3人ほどに一気に囲まれたかと思うと難なくすり抜けて、あっという間にゴールリングの真横のフリースローレーンに足を踏み入れると、軽やかに高く飛んだ。そして優しい動作でボールを流すと、――――心地いい音で網が揺れた。
「すっげ!」
まるで吸い込まれるかのように綺麗なゴールに、クラスメートたちが感嘆の声を上げる。
「佑介まじかよ! バスケ急に上手くなったんじゃね」
「このまま圧勝しようぜ!」
クラスメートに囲まれ、友愛の印に背中を叩かれる魔王。ちょっと照れ臭そう。なにこれホモみたい。
「あんまり猫の得意分野発揮されても後々困るんですけど」
俺は体育館の下方にある小窓から顔を覗かせながら、歯ぎしりをした。
悔しい? そんなことあるわけないじゃないですかーヤダー。
一人(一匹?)蚊帳の外の俺を微塵も気にせず青春の汗を流す魔王。3ポイントラインからロングショットかましたりして本当良いご身分ですね。
「ねぇねぇ……なんだか凄くない」
隣でバトミントンをしていた女子たちがざわめいて、その手を止める。目線は魔王。ちょっと潤んだ瞳に赤い頬。なにそれ俺見たことない。君たちはバトミントンに集中したまえよ!
面白くない展開に溜息をついていると、突然ぬっと視界が暗くなった。
「あ、にゃーちゃん」
その声は。
「にゃあん……」
振り向きざまに甘い声で喉を鳴らす。移動教室の道すがらの、岬先輩だった。
「どうしたの? あ、ご主人様が体育なんだ?」
膝を折って小窓を覗く岬先輩。俺はその麗しい太ももに猫らしく擦り寄る。げへへ。
「バスケットかぁ。へー、あっ、佑介君だ」
そんなことよりも、ほら!
コンクリの床に転がり、お腹を晒して小首を傾げて「にゃぁん……」と喉を鳴らす。目を見開き、長いかぎしっぽをふりふりしてキュートに誘う。……抱いて良いんだぜ?
「佑介君、バスケ上手いんだ」
あれ!? 見えてない? 見えてない感じ? ちょっと目を横に向けるだけで良いんだけど! 真横にほら愛らしい、この愛らしい俺を見て! 愛でて!
「すごいねー」
ああもう! こんなに足元でサービスしてるのに! 遠慮せず抱っこして胸に押し付けて構わないのに!
やきもきする俺を、二つ目の影が覆った。
「可愛い~! 猫だ~、え~、岬、猫みつけたの~」
甘えるような、鈴のような声。どうやら岬先輩のお友達らしい。
「にゃあん……」
俺は再び精一杯の甘い声で上空を仰いだ。
「きゃ~! 可愛い!」
一気に抱き上げられ首がガクンとなる。おいおい、もうちょっと優しくしてくれたって良いんだぜ……。そして俺は、待ちに待った柔らかな部分に押し付けられた――――、胸筋に。
「大地君、猫好きなの?」
「好き好き~!」
豊かな胸筋、上腕二頭筋が俺を包む。
ふざけんなコイツなんでマッチョのくせに声が人気アイドル声優のそれの如くプリティなんだよ! プリップリッかよ!
「に”ゃー! に”ゃー!!」
「わー、すごくはしゃいでるね!」
違う岬先輩、これははしゃいでない、抗ってる。
脱出を試みうねうねと体をくねらせる俺に変声期喪失ゴリマチョは“カワイイー”と負けじと身をくねらせる。鍛え上げられた筋肉は俺の鋭い爪をマッサージ代わりに更に盛り上がる。
――――その時だ。
あまりの惨劇に気を失いかけた俺への力が、急に緩んだ。するんと腕から落ちる。
――――――――見つけた。
途端に、周囲から割れるような音が響いた。
地震!? いや、違う。
鼓膜をつんざく轟音に、体育館の硝子がひしゃげて割れたのかと思いきや、真逆だった。
激しい音に反して、次に訪れたのは静謐。ボールの跳ねる音も、人々の声援も一瞬に消え去っていた。まるで時を止めたかのように、人々が止まっている。
魔王と目があった。どうやら動けるのは俺と魔王だけのようだ。
「……なっ」
この感じ。不気味なほどの静けさに、全身の毛が逆立つ。
――――――――見つけたぞ、魔王。
威圧感のある声色に、体育館の天井を見上げる。そこに、浮かんでいたのは化け物だった。
「魔王、危ない!」
ドンッと床を破壊しながら降り立つ化け物。すれすれで飛んで、魔王はその巨体を避けた。
「でか……」
思わず息を詰める。2、3メートルはありそうだ。象のような頭部に、毛むくじゃらの体躯、二本の丸太のような腕の他に背中から何十本も伸びる手足。分厚い鎧をまとい、人間の背丈よりも遙かに大きい石斧を持っている。化け物は生臭い息を吐きながら、石斧をひと振りした。
「ようやく見つけたぞ、魔王」
お前の方が魔王じゃないか? と突っ込みたい衝動を抑えつつ、俺は体育館へとよじ登った。駆け足で魔王の下へと向かう。経験上、こういう時は魔王の近くの方が安全だ。
「勇者の手先か。久しぶりだな」
魔王は化け物をねめつける。
「永遠の闇に封じたはずの貴様が、まさか異界にいるとは。どうりで、世界の闇魔法の力が衰えていない訳だ。探索に出た我らの仲間が戻らないのも、貴様のせいか!」
「……大体半年に一回くらいの頻度で来ているな」
「貴様!」
魔王の冷静な返答に、化け物は魔王に一気に突進すると、石斧を叩きつけた。床がひしゃげ、瓦礫が軽々と空を舞う。化け物の攻撃を紙一重で避けつつ、「佑介。身体を返してもらうぞ」魔王はそう言うと、俺を黄金色に輝く球体の魔法陣で包んだ。
瞬く間に俺が俺に、魔王が魔王へと戻る。
「……猫、だと?」
愛らしい猫へと魔王の魂が移動したのを感じたのだろう、化け物が首を傾げた。
「まさか貴様、猫に転生したのか!」
化け物が哄笑する。それもそうだ。化け物の足にある、大岩のような爪と比べるとあまりにも小さい。だが魔王は、化け物の高らかな笑い声を一蹴した。
「黙れ、勇者の使いっぱしりの小物が」
空気が裂けるような威圧感。小さな猫から発せられているとはとても思えないであろう殺気に、怪物が呻いた。
「なっ……」
「吾輩が魔王たる所以、見せつけてくれるわ!」
そう言うと、魔王は俺を包む魔法陣へ手を向けた。
「やっぱりアレやんの!!」
俺の声を無視して、魔法陣が強烈な光を放つ。目を瞑った瞬間、どっと疲労感が全身を襲った。
「うむ、貰ったぞ」
激しい倦怠感に脱力しながら魔王を見やる。魔王の周囲は赤い霧のようなものが漂っている。
「俺の血~~ッ」
400ml2回の献血分はありそうな疲労に脱力しつつ俺は魔王を恨んだ。魔王は俺を一瞥することなく霧散する俺の血液を一瞬で集める。全身に血液を張り付かせ、深紅色に染まった魔王の身体が徐々に膨れ上がる。猫の体幹が広がり、手足が伸び、人のような形となる。深紅色が薄紅に、そして透明まで薄まって現れたのは――――――、4歳児だった。
「え……」
怪物が呟いた。当たり前だ。目の前に魔王らしい魔王が現れるかと思いきや、現れたのは可愛い盛りの4歳児である。青みがかった灰色の長髪に、グレーの猫耳にかぎしっぽを揺して英国風チェックの余所行きドレススーツでお澄まししたコスプレ小児である。おばあちゃんが飴を片手に、女子高生がスマホ片手にキャーキャー言いそうな可愛い幼女である。
魔王は大きなまん丸の瑠璃とルビーの瞳を瞬くと、
「どうした? 吾輩はまだ4歳である」
「うん……そうか。そうか」
化け物はしばし考え込むように腕を組み、ウンウンと首を振って、
「ふはははははははは!!」
再び調子づいた。
「魔王破れたり!」
咆哮を上げて石斧を掲げると、4歳児めがけて問答無用に打ち付けた。轢音が爆ぜ、辺りに土煙が噴き上がる。土煙を軽々と石斧の一振りで飛散させると、化け物は黒々と空いた穴を見下ろした。
「勝利!」
「……それは早計だ」
両手を掲げる勝利のポーズをとる化け物の頭上から、軽やかな声が振る。
「勇者の手下は皆、愚かだ。そこだけは勇者に同情しよう」
化け物の巨大な頭部に降り立ったのは、女性だった。猫のような目をした、美貌の少女。細い体躯を包むドレススーツの胸ははち切れそうなばかりで、チェックのミニスカートから伸びる足は蠱惑的な白さがある。魔性のような美しさは俺のタイプではないので怖いとしか感じないが、やはり、綺麗だ。だが、その美しさを怪物は拝むことはないだろう。
「太陽の如き火焔!! ―――――灰となれ!!」
冷徹な声と共に光が爆発する。クラスメートたちが吹っ飛ぶ。無数の火柱が上がり、竜巻のように円を描き踊ったかと思うと、まるで炎の竜となって怪物に食らいついた。激しい炎の奔流に、断末魔をあげる刹那もなく怪物は塵となる。眩しすぎて目がくらむ―――――。
あまりにもあっけない、一瞬の出来事だった。
次に目を開くと、地獄へと続くかのごとく深い大穴と、大穴を見下ろし浮かぶ魔王がいた。クラスメートは吹っ飛んで壁にぶつかりR18の規制がかかりそうなモザイク状態となっており、体育館は天井でぽっかりと口を開いて午後の太陽光を届けてくれる。まさに大惨事。青い空とってもキレイ。
「まったく、蓄積した魔力がまたゼロだ」
巨大隕石を落としたかのような惨状を気にもせず、魔王はただただ自身の予定外の魔力消費に溜息をついた。
*****
半年に一度の勇者の手下イベント。いつも通り魔王は、残った魔力でまるで飯事でもするかのようにチョイチョイと手を加え、怪物の死亡以外の事実を無かったことにした。
まるで全て、戯れだったかのように。
「ふぁ~、今日も天気が良いなあ」
授業を終えて帰宅すると、縁側の座布団で魔王が優雅にも日向ぼっこをしていた。
「おい、魔王」
「なんだ佑介よ」
「今日一日の俺の活躍が全部なかったことになっていたんだが」
「というと?」
「女子にモテる天才的な授業回答率とかバスケの超絶技巧ドリブルとかロングシュートとか」
「あれは吾輩の所業だろう。面倒だから全部記憶を変換したが」
「それどころかバスケで俺がボール拾いにも難渋してる設定だったようだが」
「別に良いだろう。おぬしのミンチ状クラスメートをちゃんと元通り蘇生して体育館もちゃんと元通りにしたのだから」
「体育館は若干新品っぽくなっていただろう」
「そこら辺は適当でも構わないだろう」
「俺の血を使うんだから、少しは察しろよ!」
「おぬしの血じゃ、大したことは出来んよ。文句を言うならレベルを上げることだな」
「ぐぬぬ……」
臍を噛む俺を尻目に魔王は座布団に横たわると、ふふんと鼻で笑ってから、小さく欠伸をした。