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五 事務所そして三村家

 少し離れた駐車場に車を停め、念のため三人は別々に、それぞれが少し回り道をしてから事務所へ戻った。

 雷雨がようやく収まり、少し空が明るくなっている。

「着替えあったかなー」

 高原が宿直室のロッカーを覗いている。

「これしかないか」

 着替えを二着取り出し、一着を茂へ投げてよこす。いつか葛城が泊まり込んでいたとき使っていた、ひざ下まである長いシャツ型の寝巻だった。

「こ、これですか・・・・?」

「文句を言うな。服が乾くまでの辛抱だよ。」

 葛城が二人の濡れた服を洗濯室の乾燥機に入れている。

 応接室で、茂はピッチャーから三個のグラスに麦茶を注いだ。ソファに座った高原と葛城に差し出す。そして改めて、床に正座をした。

「今回のこと・・・本当に、申し訳ありませんでした。」

 膝に両手をつき、頭を下げた。

「よいよい、許してつかわす。もう頭を上げろよ、河合。」

「そうですよ、茂さん。」

 葛城が立ち上がり、茂の腕をとってソファに座らせた。 

 茂は麦茶を一口飲み、先輩たちの顔を改めて見た。

 頭が冷静になればなるほど、客観的な事実とともに恐ろしい勢いで罪悪感が押し寄せてくる。

「いくら高原さんがスリングロープの名手でも、あの激しい雷雨の中を、俺を連れて一〇〇メートル下の地面まで・・・俺のために・・・本当に、何て言っていいか・・・」

「確かに、ちょっと間違えたら死んでたのは確かだねー。」

「・・・・」

「それに、通行人に大騒ぎされなかったのも、ある意味ラッキーだね。まあ、天気予報が雷雨だったし、大雨のときに上を見上げる人間はあまりいないことを、期待はしてたんだけどさ。」

 高原がメガネの奥の理知的な目に楽しげな色を浮かべて、茂の顔を見ながら、さらに続ける。

「河合、お前、スリングロープの降下訓練は何メートルまでやった?」

「さ、三十メートルです。」

「よかったな、じゃあ今日で一気に体験記録を三倍に更新できたってことだね。」

「は、はい・・。」

「・・・・なにかほかにも、聞きたいことがあるか?」

「あの・・・・あのマンション、大森パトロールが警備を請け負っていたと思うんですが・・・この後、大丈夫なんでしょうか・・・・高原さんたちのことがもしもわかったら・・・・」

 高原は一杯目の麦茶を一気に飲み干し、片目をつぶってみせた。

「大丈夫。俺たちは今日は、非番だ。」

 茂はなにも言えず、高原のグラスに二杯目の麦茶を注ぐと、頭を垂れた。

「俺に比べて、怜は、あまり悪いことはしてないよな。」

「そうだね。」

「葛城さん・・・?」

「はい。私は、晶生が屋上へ出るための、扉の鍵を、ちょっと同僚から失礼したくらいです。」

「・・・・・。」



 高層ビルの一室の事務所の空気が、帰ってきた長身の男性エージェントによって一気に変わる。

「お帰りなさい、酒井さん。」

「ああ、お疲れさん。」

 まだ雨に濡れている上着を脱ぎ、椅子にかけ、応接セットのほうへ歩いてきた酒井を、吉田が座ったまま見上げる。

「酒井、お疲れ様だったわね。」

「恭子さん、今回は、完全に俺の負けのような気がしてますわ。」

「そう?」

 酒井は吉田を名前で呼ぶ。そのまま向かいのソファに腰かけ、背もたれに体を預ける。板見がコーヒーの入ったカップを持ってきて、酒井の前のテーブルに置いた。

「ああ、おおきに。」

 吉田と和泉の空のカップに、二杯目のコーヒーを淹れるために板見がパントリーへ持っていくと、後から和泉がついてきた。

「和泉さん?」

「・・・淹れるの、手伝うわ。」

「・・・・あ、ありがとうございます・・」

「・・・あのね・・」

「はい」

「酒井さんが、”完全に俺の負け”って言うの、私、初めて聞いた。」

「・・・・」

「吉田さんが・・・おっしゃった、とおりだったわね。」

「・・・はい。」

 二人が新しいコーヒーの入ったカップを持って応接セットに戻ると、酒井はあの細身のダガーの柄を持ってもてあそんでいた。

「酒井さん」

 和泉が声をかける。

「ん、なんや?」

「あんまり悔しがらないでください。板見さんが、嫉妬しますから。」

「は?」

 目を丸くして、それから酒井は、長身を揺らしておかしそうに笑いだした。

「そうやな、確かに・・・うちにはもう、すごい新人が、おるもんな。」

「そうですよ。」

 酒井は再びソファにもたれ、頭の後ろで手を組んだ。

「それにしても、大森パトロールさん、なんか変人度にさらに磨きがかかってますな。特に・・・」

 吉田が、メガネ越しにちらりと酒井の顔を一瞥した。

「・・・特に、あの高原っちゅう警護員、かなりむかつくやつやわ。」

 和泉が目を少し見開いて、酒井を見る。

「ほかのやつとは、もう全然、クラスが違うわ。しかも、なんかちょっと俺と、キャラかぶってるやん。」

「そうですかね?」



 英一の自宅は、門から車が入り、そのまま少し走ってようやく玄関にたどり着く。約束してあった客人が到着したのは翌日土曜の昼過ぎだった。

 父である家元からの舞の稽古を受け終わったばかりの英一が、着流し姿で客人を出迎えた。英一に匹敵するようなすらりとした長身の、メガネが似合う知的な青年が、一人で白い車から降りてきた。

「こんにちは、高原さん。わざわざご足労いただいてしまい、すみません。こちらから事務所へ伺いましたのに。」

「いえ、今回はお礼のご挨拶も兼ねてますから。」

 英一に導かれて、薄暗くてやたらと広い客間に高原が通される。

 家政婦の真木さんがお茶を出して部屋を去ると、高原は両膝に拳をつき、英一に向かって頭を下げた。

「今回も、本当に、ありがとうございました。」

「高原さん、そのようなことは、どうか・・」

 高原はやがて頭を上げ、知性と愛嬌の同居した目を少し緩め、微笑んだ。

「三村英一さんは、我々大森パトロールの大切なクライアント・・・お客様であるだけでなく、我々にとって、かけがえのない人ですね。改めて、実感しています。」

「身に余るお言葉です。でも」

 暗い部屋に、障子越しにかすかに入る日の光が、外がかなりの快晴であることを示している。

「でも俺は、大森パトロールさんから、いつも面白い勉強をさせてもらうのが、実は楽しみなんです。会社の同僚が勤めていることも、自分が顧客であったことも、たぶん、なにかのご縁でしょう。」

「我々などが三村さんに・・・お役に立っていることが、ありますでしょうか・・・」

 英一は昔の映画俳優のように、完璧に整った顔に、意外な笑顔を浮かべた。

「それは・・・あなた方のお役に立ってみたい、と、俺にちょっと思わせてくれることなどが、そうですね。」

 高原が少し目を丸くし、そして目を伏せた。

 しばらくして、高原がふっと顔を上げた。

「三村さん、そういえば、お尋ねしたかったことがあるんですが」

「なんでしょうか?」

「あの日の夜、なぜ、あの女性と河合とが公園で話すことを立ち聞きしようと、思われたんですか?」

 英一は、聞かれることを予想していたができれば聞いてほしくなかった、という感じで、苦笑をした。

「たぶん、あいつは、女性にだまされやすいし、それに・・・」

「それに?」

「俺は、女のことは、だいたいわかります。あのタイプは、一番やばい女のひとつです。」

「男を簡単にだますタイプとか?」

「いえ、男をだますような女はまだかわいい。あれは、強靭で真摯でしかもなにかを強く信じている・・・・つまり、本人も意図せずに、全身で相手の心に本気で入り込むタイプです。」

「・・・なるほど」

「男は、多分ひとたまりもないですよ、ああいうタイプにかかると。」

「・・・三村さん、すごいですね。さすがです。」

「・・・ありがとうございます。」

「あの、今度、うちの河合と葛城に、女性にもてる方法を、伝授してやってはもらえないでしょうか」

「はあ」

「・・・それから、俺にも。」

 高原は理知的な瞳にそれを上回る愛嬌を浮かべて、片目をつぶった。

 そろそろ、長居を避け帰ろうとした高原に、英一が最後に声をかけた。

「高原さん。あまり詳しくはお聞きしませんが、今回、河合は大森パトロールさんの仕事のやり方に、おそらくなにか疑問を持ったのでしょうね。」

「そうですね。」

「でも、今回の仕事で、一番迷われていたのは、多分、高原さんと葛城さんなんでしょう。」

「・・・そうですね。」

「答えは、多少であっても、みつかりそうですか?」

「・・・・無理かも、しれませんね。今回のクライアントのように・・・・長年の、友情のもつれのような、ものですから。我々の会社が、今あるのも、そもそも。」

「・・・・」

 英一は広々とした玄関まで高原を見送り、そのまま、後ろを振り返った。

 和服姿の、三村蒼風樹が、優しい笑顔で、会わずに返した客人の帰った後を見送っていた。

「事情は我々にはわからないけれど・・」

 英一のはとこであり、兄の許嫁でもある痩せた小柄な女性は、静かに言った。

「わたくし、阪元探偵社さんに依頼をしたことがある人間として、なんとなく、あの人たち・・・・大森パトロールさんの、お役に立たなければいけないような、気がするのよ。なんとなく、なんだけれどね。」



(第三話 終わり)

「ガーディアン」第三話~スプリット~、いかがでしたでしょうか。

第四話も掲載予定です。よろしければ是非お読みいただけたら嬉しいです。

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