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三 事務所

 火曜日、移動時警護を終えて戻ってきた葛城が事務所に入ると、遅い時間に似つかわしく、暗い事務室内はもちろん無人だった。

 明りをつけ、自席でしばらく携帯端末とパソコンをチェックしていたが、そのまま背もたれに体を預け、ぼんやりと宙を見つめる。

 しばらくして、事務所の入口をカードキーで開ける音がして、葛城ははっとして入口側を振り返った。入ってきたのは、高原だった。

「今日は遅いお帰りだね、怜。」

「晶生・・・。」

「河合じゃなくて、がっかりしたって顔だな。」

「そんなことはないよ。」

 高原が台所の冷蔵庫から麦茶のピッチャーとグラス二個を持って戻ってくる。先に応接室に入って、手招きする。

 麦茶を入れたグラスの縁を唇に当てたまま、再びぼんやりと静止している葛城を、高原はしばらくの間見ていたが、いつまで待っても葛城のほうから言葉がなさそうなので、自分から口火を切った。

「河合のやつ、日曜も月曜も、そして今日も、こっちに立ち寄ってないんだね。」

「まあ別に、用もないからね。警護は順調だし。」

「比沙子さまをご自宅前でお見送りしたら、そこで解散。でも先週までのあいつなら、その後この事務所で麦茶を飲みながらお前や俺と無駄話してるはずだよね。どんなに遅い時間になっても。」

「・・・・」

「そろそろ白状しろ。京都であの後、あいつに何を言った?」

「メールに書いたとおりだ。茂さんが、奴らから接触されたことを言った。俺は、俺たちにできることは限られていると言った。それだけだよ。」

 葛城は、自分のことを俺と呼んで話す、数少ない相手である高原に、正面から目を凝視されてたまらず目をそらした。

「いいかげんにしないと、俺が河合に直接聞くよ。」

「・・・・わかったよ・・・。」

 観念したように、葛城は土曜の夜に京都のホテルの中庭で、自分が茂に言ったことを全て正確に高原に話した。

 聞き終わった高原は、予想通りだという顔で、頬杖をついた。

「怜、お前さ・・・・・、ちょっと言葉足らずなんじゃないか?・・・それって、ものすごく中途半端だよ。誤解されてるよ。最悪だ。」

「わざわざ言うようなことでもないだろう。茂さんは、わかってくれると信じているよ。」

「それだけか?」

「・・・・」

「お前が河合にそんな言い方をした理由は、それだけか?」

「どういう意・・・」

「”彼ら”の迫力に、圧倒されてないか?」

「そんなことは・・・」

「そうか。俺は、圧倒されてるよ。」

葛城は不意を突かれたように唐突に顔を上げ、目の前の高原の、愛嬌が消えると刺すような知性だけが底光りする両目を見た。このときはじめて、自分が慰めの対象ではなかったことに気がつき、背筋を少し伸ばして、高原のメガネの奥の目をじっと見たまま、何か言おうとした。が、言葉が出ない。

 高原が先に言葉をつづけた。

「三村英一さんの話と、土曜日のお前たちのクライアントからの話を聞いた当初、俺は、あいつを止めることだけしか頭に浮かばなかった。」

「・・・・」

「だが、今は、ちょっと自信がないよ。俺たちのことを、そもそも、わかってほしいというような・・・そういうことを、あいつに求める資格があるのかと、疑問に思う。俺たちに。」

「晶生・・・・」

「・・・・・ごめん、」

「・・・・」

「自分でも、何言ってるのか、よく分からない。」

 葛城はこの旧友から、確か過去に一度も”自信がない”という言葉を聞いたことがなかった気がしたが、それより驚いたのは、これほど他人と思いが一致してなおかつこれほど身の置き所がない感じになることが、あるのだということに、だった。




 翌水曜日の正午過ぎ、珍しく人がやや多めに出入りしている大森パトロール社の事務室の、自席で電話していた高原の脇に、事務員の池田さんがやってきた。彼女が机上に置いた電話メモには、走り書きで「至急お会いしたいそうです。三村英一さんより。電話番号・・・・」とあった。

 折り返し電話をかけた高原に、英一は駅から少し反対側に行ったところにあるコーヒー店を指定してきた。事務所と、彼の勤める会社との中間あたりだ。

「河合が、今週、会社に出てきてません。」

 高原がテーブルに座るなり、英一が言った。

 高原がその視線に愛嬌を湛えるのを忘れて、メガネの奥の目をかすかに泳がせたのを、英一はその整った真っ黒な目でしっかり見てとった。

「おそらく、大森パトロールさんの事務所にも、来ていないでしょう。」

「はい。」

「あれから、実際に何か、ありましたね?」

「・・・三村さん。貴方は、ずいぶん、お友達思いでいらっしゃるんですね。」

 英一は意外そうに少しだけ微笑んだ。

「ありがとうございます。そうですね、俺は河合警護員のもとクライアントですしね。」

「・・・・・」

「それに・・・・これは、蒼風樹の、意思でもあります。彼女の、罪滅ぼしです。ご迷惑かも、しれませんが。・・・俺の話に、もう少し、おつきあいくださいますか?」

「はい。」

「河合を、彼らが・・・”奴ら”が、どうしたいかは、高原さんたちはもう確信されておられるのでしょう?」

「そうですね。」

「彼らとか奴らとかではなく、もう名前で呼びましょう。阪元探偵社の人間たちはつまり、手間のかかった、しかもこれ見よがしなリクルート活動を、しているわけです。あんなボケの新米警護員ひとりをターゲットにして。」

「・・・まあ、そうですね。」

「その目的も、きっと、わかっておいででしょう?」

「そのつもりです。」

「立ち入ったことをお尋ねしてすみませんが・・・・、高原さん、このことについて貴方がたは、なにか対応策をとっておられるんでしょうか?」

「・・・・」

「もしもこのまま、阪元探偵社の目的が達成されたら、貴方がたが失うのは、第一にひとりの将来ある警護員、そして第二に・・・・」

「河合警護員を、引き止めよとおっしゃるのですか?」

「うちの会社でさえ、社員の引き抜きが来たら何らかの対抗措置はとりますよ。」

「三村さん、貴方は、河合が大森パトロール社にいることが、本人にとって本当に一番よいことだという確信が、おありですか?」

「え・・・?」

「三村さんは、我々の仕事のやり方を、あまりまともじゃないとおっしゃったし、我々もそれは一部認めるところです。それでもあなたは、友達の河合がこれからも、我々のやり方に・・・・巻き込まれることを、よしとされるんですか?」

 英一はまじまじと、この知的な、そつのなさを絵に描いたようなプロのボディガードの、初めて見る表情を見つめた。それは疑問や不安とともに明らかになにかの”訴え”を含んでいた。

「よしとする?」

「・・・・」

「よいことかどうかなんて、俺に分かるはずがないでしょう。俺が蒼風樹の意思とともに自分の意思を、貴方がたにお伝えする理由は、単純です。俺が、貴方がたの仕事に、少なくともその一部に、敬意を払っているということ。そして我々が、河合茂警護員に、大森パトロール社の警護員として、また仕事をお願いしたいと思っていることですよ。」

「・・・・」

「蒼風樹は、阪元探偵社を非常に信頼し評価しています。それはこれからも変わらないでしょう。しかしそれでも、彼女が知っている彼らの情報をすべて、貴方がたにお伝えしてほしいと言っていました。それは・・・」

 黙って英一の顔を見つめる高原を、英一の言葉が畳みかけるように追いかけた。

「・・・それは、彼らには絶対にできないことが、あるということも、同時に蒼風樹が理解しているからだと思います。」

 時計が午後一時を回り、人がほとんどいなくなったコーヒー店の静けさの中で、さらに高原はずいぶん長い間、黙っていた。

 コーヒーカップを一度持ち上げ、そのまますぐにまたソーサーに戻し、高原がやがてもう一度英一の顔を直視した。

「三村さん、つかぬことをお尋ねします。」

「はい。」

「もう一度、貴方が、金曜日の夜にあの公園で見た、女性の特徴をおさらいさせてください。」

「・・・はい。」

「身長は河合とほぼ同じくらい。髪は耳下くらいのショートカット。非常に明るい茶色のストレート。顔色はよく日焼けして、童顔。声は女性にしては低め。」

「そうです。」

「これは・・・・京都で葛城たちのクライアントの・・・笈川さまを、ホテルに訪ねてきたふたりの女性のうちのひとりの、特徴です。」

「・・・クライアントが、教えてくれたんですか?しかし・・・」

「そんなことはできません。クライアントと別れた後、ホテルのフロントで、葛城が自分を彼女の雑誌社の記者の同僚と偽って聞き出したものです。」

「阪元探偵社は実際に貴方がたのクライアントに、接触してきたんですね。」

「はい。そして、その日のうちに、河合をどこかへ連れ出しました。」

「河合がなにを言われたか、想像はつきますか?」

「つきます。」

 高原は、テーブルにコーヒー代を置き、ゆっくりと椅子をひいて立ち上がった。

「三村さん、今日は、ありがとうございました。」

「いいえ。」

「また後ほど・・・ご連絡いたします。」

 英一は狭いテーブルの下でやや窮屈げに、長い脚を組みかえ、高原が静かに立ち去った後をしばらく見つめていた。


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