05話 『勇者と聖女』
二人の子供が夕日に照らされ、寄り添っている。
ソレイエル中央神殿裏口は、赤く美しい光と静寂に包まれていた。
「ねえ、私は、“聖女”になりたい。
今は僧術の勉強なんてしてるけど、本当はどうでもいい。
もしも私が“聖女”になれたら、貴方は“勇者”になってくれるよね?
だって、貴方は私を裏切らないもの。
貴方にまで捨てられたら私……」
「当たり前だ、僕は絶対に君を、いや、違う、僕が」
「最近、ずっと同じ夢を見るの。
わからないところに連れて行かれる夢。
でも、わからない所は破壊されるの。
貴方が破壊するの。
そうして、目が覚める」
「僕は最強になる。
でも、それには時間がいる、待っていてほしい。
いまはまだ……」
「待つわよ、いつまででも待つ。
貴方が死ぬか、私が死ぬまで待つわ」
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無数の魔法術式が刻まれた巨大な機械の中、一人の若者が佇んでいる。
彼の名はエリク。
ルクスコリ指折りの戦士、歩く兵器にして、“勇者”候補者。
彼は儀式を前にし、過去を回想していた。
自身の、戦士たるエリクの起源を。
ルクスコリにおける“勇者”は名誉称号ではなく、“勇者の儀式”を突破し、肉体が変質した者のみに与えられる。
つまり、称号や職ではなく種族の名称なのだ。
それを成すのは、長きに渡り受け継がれてきたルクスコリの秘術だ。
異世界へのゲートを開き、力ある魂を戦士に取り込ませる。
他国から“悪魔憑き”と呼ばれる事もあるほどに儀式のリスクは高く、廃人となることも、理性を失う事も、はたまた命を失う事も決して珍しくない。
しかし、“勇者”は“勇者”なのだ。
覚醒した“勇者”は魂二つ分の力と異世界の知識を併せ持ち、強い生命力でときに死をも否定する。
ルクスコリは“勇者”の力で、幾度も国の危機を回避してきた。
そして今回、五十年ぶりに“勇者の儀式”が行われる。
前回の“勇者”は強かった。
史上最強という説もあるほどに。
しかし、圧倒的な力は、ルクスコリ帝国がルクスコリ共和国となる原因となった破壊をももたらしたのだ。
その記録のせいで“勇者の儀式”は長い事行われていなかった。
だが、それも今日で終わり。
ルクスコリ聖堂騎士団、特に工作部隊の要望と、“光の聖女”覚醒に伴う“勇者”の必要性が合わさった結果だ。
エリクは儀式に対しなんら恐怖を抱いていない。
恐怖があるとしたら、それは他人が先に“勇者”となることぐらいだろう。
まもなく儀式が発動する。
エリクの心は喜びに震えていた。
ついに幼き日の約束が果たせるのだ。
「ゲート ヲ カイホウ シマス」
無数の術式が動き出し、コードが流れ、世界が暗転した。
無限の、星空。
力が渦巻いている。
おそらく、そこから異界よりの来訪者が、現れるのだ。
エリクは夢を見ているようだった。
時間がいつまでも進んでないように感じる。
体感で半日は過ぎた頃だろうか?
力の中心より、薄赤く透き通った掌の半分ほどの不可思議な塊がぬるりと出現した。
塊は静かに浮遊している。
エリクは“それ”を慎重に手に取った。
一オンスにも満たない……おそらく、四分の三オンスほどであろうかすかな重みを、エリクは感じた。
力の渦は、エリクが“それ”を拾ったのを確認するかのように点滅し、縮小し、消えてゆく。
しかし、星空は消えない。
エリクを試そうとするかのように瞬いている。
“それ”はエリクの掌の中で、ゆっくりと蠢いていた。
エリクは誰にともなく呟いた。
そうしなければあまりに不可思議な世界を前にして理性を保てそうになかったからだ。
「これが、勇者なのか?」
四分の三オンスの“それ”が頷くように瞬く。
“それ”の詳細は知らされていない。
ルクスコリ聖堂騎士団工作部隊隊長、エリクにも噂ですら流れてこなかった。
いや、そもそも知る者がほぼいないのだろう。
ルクスコリで初めて、つまり世界で初めて“勇者の儀式”を行った者ならともかく、それを引き継いでいるだけの連中は実際に起こることなど知りはしない。
実際ブラックボックスなのだ。
ともかく、エリクは薄赤いそれをしばらくの間眺めていた。
塊が、魂が悶えるように蠢き、指のような細い糸をその球形から伸ばす。
エリクは悩んでいた。
“それ”を取り込まなければいけないのは間違いない。
しかし、どうやって?
エリクは強い……実際、ルクスコリ首都全体でも五本の指には入るだろう。
とはいえ、それはあくまで耐久性や攻撃能力、技術面の強さだ。
別に頭がいいわけではない。
「だめだ、わからん!」
結局考えることを放棄したエリクは、“それ”を飲み込んだ。
無謀も時には勇となると信じて。
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「できるよね」
「できた」
「なんで、やらないの」
「あとでやる」
「やればできる子なんだよ」
「うん、できるって」
「できるじゃない」
「当然だ」
「でも、やらなかったね」
「チャンスがなかっただけだ」
「作りなさい」
「機会を作る機会がない」
「出来たんだよ」
「それがどうしたってんだ」
「お前は」
「出て行け!」
「以下、乙という。甲は乙に―――――――」
「…………」
夕暮れ時の電車道。
送電線の影と、無人駅から降りてよろよろと歩き始めた中年男の影が細く長く伸びている。
彼は人を失い、職を失い、家を失い、全てを失っていた。
いや、“彼”自身が彼の持ち物であるというならば話は違うのだが。
いずれにしろ、それもじき失われる。
赤い、紅い夕日だ。
彼は笑っていた。ニヒリスティック。
ひとしきり笑うと、彼は道に沿って低い山を登り始めた。
日は沈み始め、すれ違う人はいない。
中腹には、彼が幼少期に見つけた穴が、防空壕跡が残されているはずだった。
進むべき道は見えている。
星の煌きがレイラインを形成し、朦朧とした彼の頭を支えていた。
穴に入った彼は、蝋燭に火を付けて懐から古い手紙を取り出した。
彼がずっと若かったころ、今は亡き恩師から“死ぬ前にでも読めばいい”と渡されたものだ。
恩師の、意地の悪そうな機械マニアの老婆の顔が鮮明に思い出される。
彼が研究室に居たのは十年以上前のこと。
それでも、まるで昨日のように感じる。
彼は“開封厳禁”と書かれている白い二重封筒を切り、逆さに向けて振った。
二枚の紙が、ふわりと舞い落ちる。
一枚は、若い女性でも、常人の十倍の聴力を持ってもいない方の五千円札。
もう一枚は和紙の便箋で、有名な詩の和訳が写経めいて筆で記されていた。
「…………なべてよはこともなし、か。
でもよ先生、ちいと遅かったな」
口角を釣り上げた彼は、蝋燭の火に封筒と紙幣をかざした。
瞳から一筋の涙。
だが、今更戻る気はない。
遅すぎたのだ。
薄い鞄を開け、いくらかの書類を取り出してそれも焼く。
最後に鞄の底板を取り外すと、見事に研ぎ上げられた一振りの狩猟刀が姿を現した。
彼がまだ実家というものを持っていたころ、祖父からもらったものだ。
今や彼の法的な血縁は、顔も覚えてないような遠い親戚しか存在しない。
昔祖父に付き合ってよく使った狩猟刀の持ち手は今でも掌に馴染み、やろうと思えば五、六人は殺せそうだ。
しかし、彼は他人に手をかけるほどには理性を失いきっていない。
彼は。
「クソみてえな、人生だったぜ!」
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記憶の奔流が、わずか四分の三オンスの塊に含まれていた膨大なデータがエリクの心に流れ込んでくる。
エリクは異界人の生をクエストめいて追体験していた。
事件が起こるたび、成長するたび、エリクの身体には力が漲ってゆく。
反面、心は混乱の極みにあった。
儀式の力によりエリクの魂主導で人格の統合は進んでいるが、決して安全ではないのだ。
それは実時間にして数日を要する。
体感ではどれほどのものだろうか?
追体験の中、エリクは眠る事もある。
しかし、魂が休まる時間は存在しない。
それでもエリクは己が“勇者の儀式”を失敗する事は有り得ないと確信していた。
“あいつ”が望みを叶えられて、自分が叶えられないなどと言う事があるわけがない。
エリクは勇者となるために生きてきたのだから。
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「エリク!エリク!」
ソレイエル中央神殿付属研究所の廊下を、見事なシルバーブロンドの女性がどたどた走る。
通常の神官服と比べて、魔法銀糸の防御刺繍が三倍ほどもある特製のローブに身を包み、肌は比喩でなく柔らかな白い光を発していた。
彼女こそが今代“光の聖女”にしてルクスコリ聖堂騎士団特別秘密工作員、ジョゼ・ブランシュ。
パワフルで厄介なお方、という神官仲間たちの評価は、まさに彼女を体現している。
幼少時から“私は聖女になる”と言い切り、神官と聖堂騎士団両方に所属し、そして先日、奇跡を自ら引き寄せ“光の聖女”へと覚醒した。
自我も、戦闘能力も折り紙付きだ。
「ちょっとジョゼ様、あああ! ですからまだ検査が! 危険です!」
「お黙りカロリーヌ! 危険なんてあるわけないでしょ、エリクなのよ?
エリクの魂は、あいつは異世界のなんか知らない奴なんかに負けないの。
もし負けてたら私自ら消してあげるわよ、さあ!」
「ああもう、知りませんよ!」
ジョゼは“聖光”を操って部下にしてお目付け役でもあるカロリーヌ神官を弾き飛ばした。
固有形質調査室の分厚い扉を蹴り開ける。
マナーがなってない、などと言うものはこの場には居ない。
そもそも、彼女に何か言えるのは“ルクスコリ聖女法”に守られた政府高官と、付き合いの長い同僚や師、そしてエリクぐらいのものだ。
「ああ、よかったエリク、魂が変わったのに、変わらないのねえ……」
「僕は、僕だ。
……中に一人、飼う事になっちまったけど。
でも、ちゃんと僕だ、死ぬまで」
「当たり前よ、私のエリク」
薄暗い調査室で、ジョゼとエリクが恍惚と呟く。
数人のスタッフが今も作業を行っているが、そんなものは瞳に映りすらしない。
部屋の中央には、いくらかの調査用回線を背中に張りつけたエリクが佇んでいた。
傷だらけの美しい肉体。
魂まで達していない限り、あらゆる傷は回復魔法で修復可能だが、跡が残る事は稀にある。
エリクはそれほどに激しい日常を送っていたのだ。
しかし、ジョゼにとってそれらの傷は魅力を高めるものでしかない。
ジョゼは感極まって“勇者”に抱き付いた。
ルクスコリ共和国特殊暴力装置、秘密のワンマン・アーミー、“大地の勇者”と“光の聖女”の新たな伝説が始まる。