03話 『饑』
「えっ」
リュミエラがあんぐりと口を開ける。
到底、若い女がするような表情ではない。
視線の先にはサンカント。
「な、弱かったろ?
他の獣みたいな奴らの方が、ずっと強いぜ」
「うーん、そうねえ。
……サンカント、ほんとどういう生き物なのかしら。
でも、武器も魔法も使ってないし、やっぱり“勇者”じゃないわよねえ」
サンカントはハイ・レイスを文字通り一瞬で葬った。
リュミエラの警告に対し、心底理解できないといった表情を浮かべたサンカントは、拳に鏡のように煌く力を収束させると無造作にハイ・レイスに近寄ったのだ。
拳を振り下ろされた怨霊は薄い玻璃のように砕け散り、魔力の残滓も残っていない。
肉体強化の亜種のようだが、リュミエラが見た事も聞いた事もない技だ。
「そんな事言われてもリュミエラさん、俺もわからん」
「あっそ。
まあいいわ、家に帰るからついてきなさい、母さんならあんたが何なのかわかるかもしれないし」
「え、家……家……」
「どしたの?」
「えっと、だって、あの、さっき会ったばっかだし、俺は」
「なによ……ここに放置していくとか、あたしに殺されるとか、怪しい男として官憲に突き出すとかの方がいいの?」
「それは嫌だ!」
「じゃ戻る、いや行くわよ」
「わ、わかったよリュミエラさん……あ、待って、待ってな」
「ん?」
「えと、あの、さっきのお礼だぜ」
言うと、サンカントは背負っていた魔物の部品であるらしい薄汚い袋を開き、中を漁り始めた。
硬い何かが打ち合わされるような音が静かな森に響く。
しばらくの後、力を感じる半透明の物体が数十個ほど地面に転がった。
親指程度のものから、田舎なら庭と畑付きの家が買えるであろう一フィート近くもある透明度が高い上級品まで様々だ。
ファルギ高地管理者の一人たるリュミエラが凍りつく。
サンカントが山林の中を放浪していた期間は、十日強、いって二十日ほどではなかったのだろうか?
上位の水晶集めであるリュミエラ達は、魔物資源の管理も担当しているのだ。
つまり、事情があったにせよ……。
「こ、この数の処理は……いや……ごまかしてあたしか父さんが売れば……でも……うむむ……ウアアアアア!!」
深い森の中、リュミエラの、ファルギ村水晶集めの絶叫が響き渡った。
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数十日後。
ファルギ高地の森の中を、三人のグループが歩いていた。
先頭を行くのは、官能的に赤い竜鱗の鎧に身を包んだ、見るからに歴戦の戦士であるファルギ村警備隊長ロドリグ。
殿は赤黒く分厚いフードマントで全身を包み、フードの影になっている瞳を光らせ周囲を警戒している不気味な水晶集め、リュミエラだ。
そしてその間。
「へっへ、だいぶ地形とか覚えてきた」
不確定名ゴブリンの少年であるサンカントが嬉しそうに笑う。
妙な瞳と、異常な体の重さが特徴だ。
あの日偶然リュミエラに拾われたサンカントは、アネットや村長をはじめとした繊細な魔法の使い手により色々と調査されたが、結局何らかの作用で変異したゴブリンだということしかわからなかった。
語る言葉に嘘や悪意が無かった事と、都市部に連れて行き詳しい調査をするにも金がかかることなどから、しばらくの間ファルギ村警備隊宿舎の空き部屋に置いておくことになったのである。
そして現在、サンカントは水晶集めの免許を取るために色々と勉強しているのだ。
彼は特別水晶集めがやりたいわけではない。
しかし、他所からの出身者がファルギ村に定住するには水晶集めか神官の免許、あるいは婚姻が求められるため、やらないという選択肢は存在しなかった。
「それはいいんだけどね、少しは記憶戻らないもんかしら」
リュミエラが呟いた。
サンカントの記憶は、ファルギ村長自慢の精神回復魔法を受けてすら何一つ戻っていない。
村長によると記憶喪失の原因は障害や精神魔法ではなく、物理的なものの可能性が高いということだ。
「むーりー」
「おいリュミエラ、村長もギヨームも無理だっつうんだから、無理なんだろうよ。
ところで、聞いたか?」
「何をよ」
「やはりまだこっちまでは伝わってないか、まあ俺も街まで降りて初めて知ったんだが。
遂に“光の聖女”が覚醒した。
それも、ソレイエル中央神殿の神官だそうだ。
都市部は祭りになっているらしい……“勇者の儀式”も近く行われるとかなんとか」
「へえ……あれ、ちょっと待って父さん。
あたしってば本格的に偽者扱いじゃないの、困ったわ。
改名が必要ね、うん」
フード奥の瞳が、リュミエラの不快感を表すようにちかちか点滅した。
彼女は“偽りの聖女”の通称がそれほど嫌いなわけではなかったが、本物が実在するとなると話は変わる。
彼女は比較的自我が強いのだ。
「わからんでもないが、“偽りの聖女”はカルヴェが、神官長補佐が付けた名前であるしな。
今は神官長か」
「でも父さんの友達なのよね?
締め上げてかっこいい名前もらってきてよ」
「アホか、んなことのために中央神殿は遠すぎる、自分で考えろ」
「“発光”とかどうかな、リュミエラさん」
「二人とも人事だからってひどいわ、うぐぐ」
くだらない話をしながらも、警戒は解かない三人が山道を進んでゆく。
今日は仕事ではなく、サンカントの訓練のためだ。
彼の固有形質と出自には不明な点が多い。
そのため周囲の安全と情報秘匿の両面から、ファルギ村内の訓練場ではなく山中で行う事になっている。
魔力を帯びた重い打撃と特殊な肉体を持つサンカントだが、技術面はほぼ素人であった。
しかし未熟な分、伸びしろは大きい。
実際サンカントの成長は著しく、ロドリグ、リュミエラともに体術のみでは模擬戦がしづらくなってきているという状況だ。
あと一年もたてば、近接戦闘だけならファルギ村で最強の戦士となるだろう。
逆に魔法、特に四属性魔法に関しては、リュミエラほどではないものの体質的に向いてないのか進歩は無い。
アネット曰く、属性抵抗力の強い高密度の体組織が魔力の属性変化を妨害しているということだった。
サンカントが元々使っていた魔力操作系身体強化は問題なく機能しているため、自身の体内で使う分には問題無いようだが。
ともかく、訓練は水晶集め用の座学を除き、なるべく長所を伸ばす方向で進められている。
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「じゃ、あたしは見てるから。
父さんもサンカントもあんま無茶しちゃだめよ、こないだみたいにさー?」
大きな岩に体を預けてリラックスしたリュミエラが、少し離れた場所で向かい合うロドリグとサンカントに野次を飛ばした。
標高が高いためか空は透き通るように青く、近くに大きな樹も無い。
ファルギ村から少し離れた高台にあるこの岩場は、ロドリグお気に入りの修練場である。
それなりに広くて周囲から隔絶されており、冬に雪で分厚く覆われることと、ある程度強くないと往復に危険があること以外は体を動かすのに最適だ。
ここならばリュミエラの危険な固有形質による周囲への被害が抑えられるし、同様にロドリグの魔法やサンカントの怪力も問題ない。
「仮にも父親に何たる失礼な! 無茶などせんわ」
フードを下ろしてシルバーブロンドを風に靡かせるリュミエラに向かって、靭性の高い魔物の骨で作られた戦闘棒を持ったロドリグが叫ぶ。
ロドリグは普段部下や同僚と訓練や模擬戦を行う場合、木剣に革を巻いた物を使う。
だが、サンカントに対しては別で、殺傷武器といって過言でない特製の戦闘棒を振るうのだ。
別にスパルタ教育だとか、リュミエラ等がサンカントより弱いとかいうわけではない。
単純に、通常の材質では強度が足りないのだ。
サンカントの異常に強靭な肉体を相手に木剣や棍棒を使用すると、武器の方がすぐに破損してしまう。
一方のサンカントは素手であり、野生的な構えを取っている。
使えるならば使った方がいいに決まってはいるのだが、彼は武器の心得が一切無い上、使う身体強化が持ち物にまで及ばないため、今のところ得物を持っても意味がないのであった。
防具も特につけず、山歩き用の丈夫な服のみ。
竜鱗の鎧を、肉体の一部であるかのように自然に着こなしているロドリグと対照的だ。
サンカントの拳が光を反射している。
魔法的なものではなく、彼の固有形質によるものだ。
長く使うと激しく腹が減る特徴から、リュミエラが勝手に“饑”と呼んでいるそれは、接触した対象を振動破壊する特性を持つ。
生命体よりも非物質存在や無機物に対し、より効果が高いところは“先代勇者”の力の一つ、“神聖武器”に近いといえば近い。
(実際、サンカント自身は“勇者”と呼んでいる)
ともかく、この風変わりなゴブリンもどきが歩く兵器なのは間違いのないところだった。
「……一昨日、体術の訓練なのに途中から攻撃魔法を使い出したのは父さんだし、サンカントも暴れるし」
「そいつは気のせいだなリュミエラ。
さあ、始めるぞサンカント」
「あれはロドリグ師匠が悪いんだぜ!
いや、なんでもない、今日こそ勝つ!」
「はいはい」
全く説得力の無い同時反論を、リュミエラは適当に聞き流した。
あまり人のことは言えないが、どうにも男二人は負けず嫌いの気がある。
異種格闘めいた模擬戦闘を開始したロドリグとサンカントを、リュミエラは静かに観察し始めた。
鋭い視線が文字通り光を発し、様々な反射を情報として取り込む。
「砕け散れ!」
物騒なセリフを叫び、石を踏み砕いて跳躍したサンカントの拳が唸りをあげてロドリグを襲う。
見た目上の体格はゴブリンとヒト族の間ほどであるサンカントだが、いかなる超自然的変異か体重が千ポンド以上もある上に素早い。
ロドリグはその恐るべき鉄拳を、魔力を通したしなやかな戦闘棒と竜鱗で補強したガントレットを使って受け流してゆく。
直接受けることはできない。
サンカントの打撃は重すぎて、受け止めると逆に不利になってしまうからだ。
連打を捌き切ったロドリグが攻勢に出る。
戦闘棒の先端が水を纏い、氷の棘となって広がった。
単に殴打しても異常にタフネスの高いサンカントはかわそうとすらしないため、ゴブリンが嫌う水の魔力をエンチャントしているのだ。
特殊な耐性を持つサンカントは普通のゴブリンのように低温を弱点とするわけではないが、種族の本能として反射的に身を引くため訓練にはなる。
氷のモーニングスターと化した棒による中距離打撃を、サンカントは身体能力に任せて強引に回避してゆく。
それが途切れると再びサンカントの番だ。
しばらくの間一進一退の攻防を眺めていたリュミエラは、二人が性懲りもなく過熱し始めているのを確認し、立ち上がってマントを開いた。
そして。
「うわあああ!」
「ぬお?!」
暴れるロドリグとサンカントに対し、閃光が照射される。
もちろん放ったのはリュミエラだ。
視界を塞ぎ感覚器を混乱させる強烈な光の点滅が戦いを強制的に中断した。
「はぁ、無茶するなって言って即これだから」
呆れ半分、怒り半分といった様子のリュミエラが瞳を光らせる。
どこからどこまでが瞳孔か判別しがたい漆黒の虹彩が、透けた収束光により赤く染まった。
実際かなり心配しているのだが、そう見えないのは彼女の性分だろうか。
蹲っていたサンカントがよろよろ立ち上がる。
「ウウウ……まだ大丈夫だったのに、ひどいやリュミエラさん……」
「大丈夫じゃないわ、だいたい父さんとあんたが疲れたら誰が今日あたしと遊ぶのよ?」
「馬鹿な! 俺がこの程度で疲れるわけが、いや……加齢とはなんと残酷なものだ」
憮然として地べたに胡坐をかいたロドリグが、ガントレットを外した己の腕を見つめ、大きく息を吐いた。
長年に渡って鍛え上げられたごつごつとした腕。
しかし、ここ数年で衰えが見え始めている。
魔力で自己の命と自我を繋ぎ止め、寿命を延ばす技術は才能さえあれば難しいことではない。
魔法技術教育が一般人の手にも届くようになった最近では、百を超えて生きるヒト族も珍しくなくなった。
知的生物が最も恐れるものは、精神の老化と記憶の喪失だ。
自分が自分でなくなっていくことほど恐ろしいことがあろうか?
太古の昔より、様々な種族が自我の保持に躍起になっていた。
現在もっとも一般的な自我保持は、記憶と思考を司る部位を脳と心の臓から魂へと段階的に移行するというものだ。
これに適性がある者は、死が近づき魔力が操作できなくなる寸前まで思考能力を保つことが可能である。
また、難易度は高いものの外見を自身の過去の姿で固定する魔法技術も存在している。
特殊な固有形質の持ち主や、ハイ・エルフやエルフ、ドラゴン等一部の古代種族の老化が極端に遅いことから、肉体の劣化を止める手段もないわけではないのだろう。
だが肉体の劣化自体を抑制する魔法体系は、今のところルクスコリでは確立されていない。
そんなわけで、五十近いロドリグの体力が落ちてきているのは仕方のないことと言える。
「ううむ、俺も遂にスタイルの変更を迫られる時が近づいているというのか」
「父さんなら後五年ぐらいは肉体依存でも大丈夫なんじゃない?
うん、もちろん適当だけど。
けど魔力優先の戦闘に移行するのに早い方がいいか遅い方がいいかなんて、昔からずっと意見が割れてるんでしょ。
あたしはそんな言い合いさ、永久に決着つかないと思うわ。
……さてと、あたしと遊ぶわよサンカント」
大きく伸びをしたリュミエラは赤黒く分厚いフードマントを脱ぎ棄てた。
そして父ロドリグから戦闘棒をひったくり、軽快に回転跳躍してサンカントの前に立つ。
「えっ、もう」
サンカントが目を見開いて距離をとり、息を整えながら身構える。
彼の高密度肉体が地を揺らし、足元の石を砕いた。
「あんたが大丈夫だって言ったんでしょう、サンカント?」
格闘戦の準備を整えたリュミエラの周囲が陽炎で歪み、風が発生。
肌が文字通り光を放っているため、その輪郭は崩れ、定かでない。
リュミエラの物理戦闘能力はその固有形質により体温に依存し、そこに感情の起伏による上下が加わる。
つまり。
「お、怒ってるのかリュミエラさん」
サンカントが拳を煌めかせつつ、じわじわ後退した。
表情には焦りと怯え。
彼の畏怖には意味がある。
単に彼がリュミエラに恩義や好意を感じているからというのも当然あるが、それだけではないのだ。
サンカントは元素魔法に対し免疫といって過言でないほどの強力な耐性を持つが、リュミエラの固有形質による魔力を含まないエネルギーの塊、閃光と高熱に対してはフィルターが働かない。
一応、高密度の頑強な肉体そのものは、通常の生物が茹で上がるような温度でも機能する……だが、それだけだ。
真にリュミエラがサンカントを殺す気なら、確実に灰にされてしまうだろう。
“勇者”は“聖女”より強いが“勇者”は“聖女”に勝てないというルクスコリの通説が、偽者にまで適用されているというなら実に皮肉な事である。
「あたしが怒ってるわけないじゃない」
リュミエラが笑う。
実際、この程度のやんちゃで自ら助けた可愛い弟分にキレる事は無い。
ただ単に、身体を動かして遊びたいのだ。
謎が多く危険な固有形質を持つ上、砦めいた村で育ったリュミエラは友人に飢えている。
厳格な魔法技術者である母アネットと、英雄じみた戦士である父ロドリグに育てられたせいで、多少その愛情表現が歪んでいるだけだ。
「あ、うん、それならいいけどさ、俺、あのさ、お昼食べてからが」
「問答無用!」
「うわあああああ?!」
若いゴブリンの悲鳴が深山に響いた。