プロローグ
どんよりとした空から雨が降り続く中、凄まじい熱と光を放つ怪物と、見事な全身鎧に身を包む無数の戦士が恐るべき“何か”と戦っていた。
周囲には竜巻めいた熱風が吹き荒れ、蒸気が立ち込めている。
更に異常なのはその明るさだ。
戦士達は熱と光から感覚器官を守るため色眼鏡のような特製バイザーをフルフェイスに仕込んでいるが、それでも視界はおぼつかない。
各種の魔法が、バリスタや砲弾までもが飛び交う。
怪物は怯まない。
周囲の地面をマグマに変え、破壊的攻撃を繰り返し、空を駆ける。
だが、数と統率は戦士達に分がある。
戦士達は怪物の高熱と特殊な耐性による防御を少しずつ切り崩す。
しかし怪物の反撃により一人、また一人と焼却されてゆく。
熱は更なる風を呼び、天は嘆き雷を落とし、そして…………。
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各所に荘厳な装飾が施され、繊細な魔法で空調が施された黄白色のドームの中、年齢も性別も種族も様々な人々が忙しそうに、しかし礼儀正しく往来する。
ドーム中央には光沢ある白い石で形作られた三十フィートの雄々しい彫像。
きらびやかなマントを羽織り、顔は磨き抜かれた鏡だ。
ルクスコリ共和国中央神殿主祀、光神ソレイエルの似姿である。
そして、その厳粛な空間に似つかぬ無骨なヒト族の中年男性が一人。
男は帯刀こそしていないものの、見るからに鍛え上げられた戦士の体を、荒々しい魔力を発散する赤みがかった軽鎧で包んでいる。
強者の証として有名な竜鱗の鎧、それも鎧にするには最も優れると言われているレッド・ドラゴンのもの。
誰が見ても一級の危険人物としか言いようがない。
「それでカルヴェ、いや、今はソレイエル中央神殿神官長補佐、カルヴェ殿か。
リュミエラは、俺の娘はどんな祝福を持っているのだ?
早く! 早く教えろ!」
鎧の男が、カルヴェと呼ばれたもう一人の男の服を掴み、詰め寄った。
カルヴェの着ている、光神ソレイエルの意匠である銀の楕円を刺繍された研究者白衣めいたローブは彼が上位神官であることを示している。
竜鱗の鎧の所持者と上位神官がぶつかるなど、下手をすれば大事件として報道されてもおかしくないのだが、当人からするとさほどでもないらしい。
ともかく男はある重要な用事のため、まだ十歳にもならぬ娘を連れて遠路はるばるやってきたのだ。
「まあ落ち着けよロドリグ団長、仮にも十二年ぶりに会う親友だというのに、なんたる仕打ちかね。
それから、“祝福”ではない、今は“固有形質”と呼ぶ。
技術革新でだいぶ精密に調べられるようになったのだ。
“祝福”の名を変えるかどうかずいぶんと会議でもめたがな、ソレイエル教徒以外にも現れるものである以上、普遍的な名前が妥当だろうということになった。
祝福は、固有形質は良きにつけ悪しきにつけ、各人の進む先にかかわる力、個性さ。
とにかく、お前があの田舎でアレットさん達と暮らしている間も時代は進んでいる」
「……すまん、あともう団長じゃねえだろうが。
今の俺はしがないファルギ村警備兵よ、いや、あそこの魔物の強さからすりゃしがないって程でもねえんだが、ともかくな、もう」
「お前は今でも俺達の、“大牙”討伐の生き残りにとっては団長だよ。
たしかに死者は沢山出たかもしれんが、お前の剣と采配がなければ“勇者”も無しにかのレッド・ドラゴンを倒すことは不可能だったろうよ。
まあいい、でリュミエラちゃんの件だがな、もうじき詳細な分析結果が出るだろう。
詳細が出なくとも確実に言えるのはだ、あの子の固有形質は“光の聖女”ことソレイエルの祝福ではない、年齢的にも。
……まあ私も一瞬ぎょっとしたがね、冷静に考えれば明白に違うものさ。
それに、覚醒前の“聖女”は固有形質による特殊技能や才能を持たず、むしろ無能と言われるそうだ。
リュミエラちゃんは逆で、力強い固有形質を持っている。
つまりロドリグ、お前の心配は杞憂ということだ」
“光の聖女”はルクスコリが共和国となる前の帝政であった時代、いやその前のルクスコリという名で呼ばれていなかったころからの伝説存在だ。
伝説といっても根も葉もない神話時代のものではなく、およそ二百年ほどの周期ごとに出現する特徴的な姿と強力な固有形質を持つ者の通称である。
必ず女性であり、また通常の固有形質と異なり、ある程度身体が成長してから突然覚醒することから特別視されている。
聖女は素足で焚き火の上を歩けるほどに四元素に対する耐久性が高く、また全身より放つ白く柔らかい光の粒は“ソレイエルの光”と呼ばれ、癒しの力と破壊の力を併せ持つ。
聖女はある時は民衆を救い、ある時は力を求めるものに利用され、ある時は“勇者”と二人で世界を旅し国を興したという。
人々にとって聖女は希望であり、渇望なのだ。
ルクスコリ“共和国”になってから聖女が現れたことはまだない。
が、前回の聖女が覚醒して(彼女は“光の聖女”としては珍しく、幸せな家庭を持ち長く生きたらしい)から百九十年が過ぎている。
次世代の聖女の扱いは、長年にわたる話し合いにより“ルクスコリ聖女法”で定められているのだ。
すなわち、中央神殿もしくは軍で働き、“勇者”の儀式の成功を待つ。
そして、今代の勇者が誕生した暁には、ペアとなりルクスコリの象徴かつ、最強の秘密工作員となる。
実質、生きた最終兵器であり、権力はあるものの個人的自由は少ない。
その扱いにおいては識者の間でも意見は割れ、聖女学などという学問すら存在するが、結局のところ聖女の尋常でない影響力を考慮した結果だ。
“光の聖女”が信仰対象になるほどに尊敬を集める英雄で、聖女となることを嫌がる者はあまり存在しないであろうことが唯一にして最大の救いである。
とはいえ、準“勇者”とでもいうべき存在として、国の事情に振り回される青春時代を送った先代ルクスコリ聖堂騎士団長のロドリグにとって、ようやく生まれた一人娘がそんな運命を辿ることには抵抗があった。
よほど娘を愛していたのだろう、目を血走らせてカルヴェの話に聞き入っていたロドリグは、話が終わると同時に竜鱗の鎧の持ち主としては不自然なほどに脱力して座り込んだ。
「……安心した……ぜ」
「わからんでもないが、こんなところで転がるのは勘弁してくれよ。
さあ、リュミエラちゃんが中央神殿付属研究室で待っているぞ」
「ああ、恩に着るカルヴェ、神官長補佐殿」