十一歳の夏の一日
夏――
あと数時間もすれば灼熱の太陽が地面を焦がし始めるのだろうが、まだ薄暗さの残るこの時間にはその熱は全く感じられない。周りに位置する森が風に揺られて時々鳴らす葉々の音が静寂に包まれるその空間へと鳴り響き、飲み込まれていく。太陽が山々の間からわずかに顔をのぞかせ、一日の始まりを告げる、その時に――。
「はぁぁぁぁっ!」
鋭い掛け声とともに雷光が迸った。目に追えぬほどの速さで駆け抜ける八本の光の柱は正確な場所へとその力をおろした。カッと目を焦がすほどの閃光があたりを覆いつくす。黄色いその光の間を縫うようにして横向きに紫電がほとばしる。目で追えるギリギリの速度で駆け抜けたそれはまっすぐに一つの的を目指し――。
「遅いっ!」
強い叱声とともに紫電があっさりと打ち消される。それと同時に放たれたのは水色の水球。音速以上の速さで打ち出されたそれは真っ青な尾を引きながら真っ直ぐに紫電と反対方向へと向かう。
「っ!」
わずかな間を持って放たれた五つの炎弾は飛ぶ間に小さく小さく圧縮されながらすべてが引き寄せられるように一直線に水を打ち消さんと迫った。炎弾と水球がぶつかる直前、炎弾が大きく口を開けるように開き、水球を文字通り飲み込んだ。ジュッと音を立てて水球が蒸発した。
水球にぶつかったときよりもわずかに小さくなったそれぞれの炎弾は意思を持っているかのようにガクンとスピードを落とし、円状にぴたりと留まると、それぞれが四十五度ほど内側へ先を向け、一斉に一箇所へと向けて豪速球で飛んだ。そのまま衝突するかと思われるも、瞬きするほどの間に水の壁が炎弾を阻む。
ジュゥ、と小さく音を立てて周りの炎を散らしながらしかし、真っ直ぐに炎弾は進む。五十センチほどの幅を持つ水の壁を抜けると炎弾は二周り以上も小さくなっていたがそれでも勢いを失うことなくただ的へと向かう。ドンッと爆発音を立てて炎弾はようやく的へと当たった。
「そこまでっ!」
鋭い声がそう宣言すると、今まさに追い討ちをかけんと雷の槍を向けていた少女は肩の力を抜いた。額に一筋流れる汗を手の甲でぬぐいながら対峙していた相手へと駆け寄る。
「大丈夫、おばあちゃん」
いまだ爆煙の消えないそこへと少女はなんのためらいもなく踏み出すと、小さく手を振った。するとたちまち当たりに立ち込めていた爆煙はすうっと薄れ、相手の姿が見えてくる。傷一つないその様子に少女はほっとした様子で息をついた。
「えぇ、ただ場系防御まで使うことになるとは思わなかったから……ちょっと油断してたわ」
苦笑とともにそういう八十過ぎの老婆に少女は軽い微笑みで返した。と、すぐにその表情を引き締めると少女は何かを思案するように眉間にしわを寄せる。そして、小さく口を開いた。
「今回の反省点としてはまず第一に最初の雷柱に魔力をこめすぎたこと。あれは目くらましのつもりだったからもっと光の強さのほうに魔力をこめて、威力のほうは弱めるべきだった。その次に最初の攻撃に使った紫電。あれは『化魔術』と『雷魔術』の混合系だから色が変わってしまう。その分敵にも攻撃と目くらましの違いがわかってしまって結果的によけられることになってしまう。だから『化魔術』はこめずに目くらましの中に本命を混ぜるべきだった。最後の反省点は炎弾にこだわりすぎたこと。誘導弾として使う手もあったし、特に最後の水の壁は『氷魔術』をつかって破壊すればもっと高威力の炎弾で相手にぶつけることができた」
一気にそこまで言い切ったあとに、少女は首をかしげると、どう?と老婆に聞いた。口元に軽い笑みを浮かべながら聞いていた老婆は一瞬、間をおいたあとに評価を下した。
「そうね、大概は間違ってはいない。しいて言うのならば第二の反省点かしら。『化魔術』をこめないとなるとどうしてもできないことが在る。だからこそ『化魔術』と『雷魔術』の混合、紫電と呼ばれる魔術は多いわけなんだけど……わかるかしら?」
言葉を聞くうちにはっとしたように息を呑んだ少女はまるで盲点だったかのようにぎゅっと唇をかんだ。
「それは、コントロール。『雷魔術』は本来真下に向けてしか打てない。それをコントロールするために混合するのが『化魔術』」
悔しそうにそういった少女に、大きく首を縦に振り肯定すると老婆は評価を続けた。
「正解。だから『化魔術』を混合しながらも色を変えない方法を考えるべきだったわね。本来『化魔術』はコントロールの手助けとしての役目よりも何かをカモフラージュする役目のほうが多いから本来の役割といっては何だけど『化魔術』を二重ねしてコントロールを行うのと色の変化をするのとでしたほうがよかったかもね。ただその場合魔力が二倍にかかるという欠点も在るからそこは技術の問題になるわね」
そういって評価を終えると、老婆はふわりと笑うとすこし残念さをこめながら言った。
「それにしてもたった三年で私と同程度の力をもてるなんてね。正直ちょっと悔しいわよ」
冗談めかしていうと、少女は黒髪を揺らしながら苦笑いをする。
「う……そういわれるとちょっと申し訳なさが」
少女も冗談だとわかっているのだろう、少しおちゃらけた様子でそう答えるとたまらないといったようすで笑い出した。その様子に思わず老婆もクスクスと笑い出す。
「思ってない癖に言わないで頂戴、フィンラ」
おちゃらけた様子でそう返す老婆の様子がさらに笑いを呼んだのか少女―フィンラは笑い転げる。
「ご……ごめんなさ……」
言いかけながらも笑いが止まらないのか言葉にならず、瞳に涙まで浮かべる有様だ。さすがに少しやりすぎたと思ったのか老婆―セレスティーナは苦笑しながらもポンポンと肩をたたく。
「はいはい、からかいすぎたわ。早くご飯にしましょ」
まるで狙ったかのようなタイミングでフィンラのお腹からグゥ、と小さく音が鳴る。顔を赤く染めながらもえへへ、と笑うとフィンラはよいしょっというような様子で立ち上がると、大きく伸びをした。
「う~ん、朝の模擬戦ってお腹減るよねぇ」
戦闘中とはまるで別人のような雰囲気でとぼけたようにいうフィンラにセレスティーナは呆れたように小さくため息をつく。
「はいはい、もうできてるから食べましょう」
「あ~、流したでしょ」
咎めるようにフィンラが唇を尖らせると同時に、家の中から声がかかる。
「おい、終わったならさっさと食べるぞ」
「あ、は~い」
そういいつつもさっさと身支度を終わらせ、風のような速さで朝食へと向かうところはなんとも現金というか何というか。そのいつもどおりの様子に微苦笑をうかべると、セレスティーナも食卓へと向かった。
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「うんうん、やっぱり朝にはトレコチアだよねぇ」
そういってフィンラが何よりも多く口に運んでいるものが在る。トレコチアルマンネガ、という植物の根を摩り下ろし、水を加えながら数十分こねるだけでたちまち、もちもちとした食感の朝の主食へと変わる優れものだ。さらにその葉は茹でれば栄養満点なトレコチア汁へ、茎は薬の材料にと、とにかく万能植物なのでオクレル家では見つけたらとっておき、有効活用するというのが常なのだ。
「本当に好きよねぇ、それ」
微笑ましさ半分、呆れ半分といった様子でセレスティーナがいうと、フィンラは満面の笑みで答えた。
「あったり前でしょ。初めて食べた主食なんだから!」
「そうだったな」
フィンラの心からの言葉に八十過ぎの老爺―カーセルも頷く。カーセルもまたトレコチアの根が大好物なのだ。そんな二人の様子に呆れた、といわんばかりに大きくため息をつくと、セレスティーナはフィンラに問うた。
「で、このあとの予定は?」
「ん、えっほえ、ほいはえふほうひふほ」
口にものを大量につめたあとだったのが災いしたのか、フィンラは理解不能な言語でしゃべりだした。
「……とりあえず口の中のものがなくなってから話しなさい」
ん、と首をふって理解を示すとその後フィンラは口の中のものの租借に集中した。ごっくん、と音がつきそうなほどの量を一気に飲み込むと、口の周りについたトレコチアをとりながらフィンラは話を再開した。
「えっとね、とりあえずコルティスと一緒にお師匠様のところいって、おわったら家に帰ってきて術式の論理の勉強、終わり次第自由時間で夕ご飯食べた後は剣術の体術の鍛錬。日が完全に沈み次第家に戻って術式の威力コントロールの練習、かな」
手で取ったからだろう、べとべとになった手を洗いに台所に行きながら説明し終えるとふと時計を見合げ、あせったように目を見開いた。
「いっけない、コルティスと十一時にミニオンで待ち合わせしてたんだった!」
現時刻九時四十八分。なかなか余裕がありそうだが、そういうわけではない。この家からミニオンまで普通に行けば軽く一時間半はかかるのだ。とっくにその時間を越えている。
しかもフィンラはまだ身支度すら終えていない。ばたばたばた、とセレスティーナが目を瞬かせている間にフィンラはトレコチアを一つ口に放りこみ、二階へと駆け上がり外に出るために必要なものをつめたバックを持ってくると即座に洗面台へと走り、髪をとかした。もちろんこれだけの速さでこれだけのことをやるのに魔術の手助けを使ったことは否めない。
そして前日から用意していたのであろう外着とローブを持ってくると即座に着替え、寝具は丸めて異空間へと放り込む。
現時刻九時五十二分。すなわち身支度一式をすべて四分で終わらせたことになる。呆れ顔で見つめるセレスティーナにフィンラは苦笑いで答えた。
「それじゃあ、いってきます。……っととと」
危うくそのまま玄関から出そうになりフィンラはあわてて立ち止まる。セレスティーナからもらっていないものに気づいたのだ。
「よかった、気づいたわね。ほら、回復魔力分つめといたから今日もちゃんとやってきなさい」
そういって手渡されたのは一つの小瓶。しかし中は見えずぼんやりとした靄が見えるのみだ。だがフィンラは躊躇うことなくそれをうけとると、笑顔を向けた。
「ありがとう、おばあちゃん」
その言葉にセレスティーナは微笑みで返事を返した。
「ほら、行きなさい。遅刻したら悪いでしょ」
「うん、それじゃ、いってきます!」
フィンラは玄関から飛び出すと、文字通り飛んだ。低空飛行で高速で飛ぶ姿はあまり見られていいものではなかったが、幸い家の付近は人通りが全くないに等しい。とりあえず家々が集まる付近までは飛んでいこう、と考えたフィンラはさらにスピードを上げた。
遠く、といってもわずか数百メートルの付近に人の姿を感知し、フィンラはようやく低空飛行を解く。魔法はあまり普通の人には知られていないものなので見せるのはあまりよいことではないからだ。
現時刻十時三十分。これなら普通に歩いていくだけで十分間に合う。しかしフィンラは地面に降り立ったあとも軽く魔法の援助も受けながら早めに駆ける。人が出せる速さの範囲で急ぐ。数十軒が並ぶ村内最大の人口密集地を真っ直ぐに駆け抜けるとそこはもう、
安全圏外
人の姿は減り、代わりに多くの野生の動物たちが生きる人の干渉を受けない場所。持ってきたバックの中からフィンラは一本のナイフを取り出す。そう簡単に魔物―動物が魔の力に侵食されたもの―に出会うとは思えなかったが、念を入れるに越したことはない。
コルティスとの待ち合わせ場所はこの森の先。何度も通った道であるため、迷う心配はほぼなかった。フィンラは迷うそぶりをみせることなく、ただ一直線に駆け抜けた。
不意に視界が晴れた。うっそうとした森を抜け、広い草原に出た証だ。魔物に襲われなかったことに安堵しながらもフィンラは走る足を緩めない。
(ゴールはまだだ)
そして、なだらかだが長い丘を駆け抜け、その頂上、ミニオンにたどり着いたとき――。
「遅かったね、フィンラ」
現時刻十時五十二分。決して遅刻ではない。フィンラはさすがに乱れた息を整えながらその声の主を見る。
風に揺れる茶色の髪。フィンラを迎えるかのように見つめる茶色い瞳。
コルティス――。
「遅刻はしてないつもりなんだけどね」
わずかに苦さを混ぜながら微笑をうかべてフィンラが答える。クスッとコルティスは笑った。楽しげに。
「そうだったね。なにぶんいつも君のほうが早いから。どうしたのかな、と思っててね」
「ちょっと魔術のほうが長引いちゃって。これでも飛んできたんだから」
言い訳じみたことを言いながらフィンラも微笑む。それはまるで恋人同士のようで――――。
フィンラは今でも覚えている。八歳のあの冬の日、コルティスに真実を伝えたときのことを。
長っ!いつもの倍はあるぞこれ……。
投稿が停滞するといっておきながらいつもより早い投稿。書けないとなると書きたくなる性分なんですよ(汗)
テスト一週間前なのに……(オワタ
序章長すぎですかね。十一歳編は色々と複雑なので多分三話分になると思います。
フィンラちゃんの心構えとか強さとか色々と物語の根本を作る歳なんで妙に長いかもしれませんがどうぞそこはご了承くださいませ。
感想、批評何でもお待ちしています!
三月九日 誤字と改行を修正しました。
五月二十二日 本文中の魔法に関する記述を修正しました