別れを告げて少女は先へ
少女は真っ暗に染まった街を歩いていた。その足取りはどこか重い。
「道を視るもの……」
少女の口からはふとそんなつぶやきが漏れ、夜の闇に消える。空を仰いだ少女はやがて小さく唇を噛むと、息を吐き出し俯く。
そのままに裏路地へはいっていく少女の姿を知る者はだれ一人としていなかった。
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少女は魔族の下へ向かったときとは別人のような歩みでのろのろと本来いるべきであった場所、リエラの家へと向かう。
「私です、開けていただけますか」
ようやくたどり着いたドアに向けて少女は言葉を放つ。その声音は優しく、だが有無を言わせない強さがある。
「……どちら様ですか」
ほのかに警戒した声がドアの向こうから返ってくると、少女はほのかに笑みをうかべて囁いた。
「魔王です……といえばよろしいでしょうか」
少女が答えると同時、ドアが静かに開いた。その先で困惑したような、警戒したような、それでいて安心したような。そんな顔をした女が少女を迎えた。
少女は小さく頭を下げるとドアをくぐり、静かに中へ入っていった。パタン、と音をたててドアが閉まり、また路地裏は静寂に包まれた……。
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暖炉の火によって暖められた室内は想像以上に少女の体を温めた。
その温かさにほっと一息つくと、少女は優しげに笑みを浮かべる。だが、その笑みには優しさ以上に疲れや諦め、苦悩が詰まっているようにも見えた。
「正直、戻ってこないかと思いました」
ぽつり、と女が言う。少女は首を動かさず、視線も向けずただ暖炉を見つめたままに小さく返した。
「戻ってこないほうが、よかったですかね」
初めて少女が漏らした弱音。女はそれに驚いたように少女を見つめるが、少女はなんの反応も示さない。ただ黙って揺らぐ炎を見つめていた。
「……戻ってきたんだ」
静寂だけがその場を満たし、揺らぐ炎が部屋に彩りを与える。そんな中に響いたのは驚きをこめた少女の声だった。
リエラはそういうと少女に向かって呟いた。
「ありがと」
何を言っても視線を動かさなかった少女の瞳が、小さく揺れた。ゆっくりとした動作で首を動かし、リエラを真正面に見つめる。
奥が見えないほど深い闇を湛えた漆黒の瞳。その瞳はまっすぐにリエラを貫く。
「守ってくれて、ありがと。……なんであんたが私たちのためにそんなことしてくれるかわかんないけど」
だが、リエラはその瞳にひるまず小さな声で続けた。リエラの頬がほのかに赤くそまっているのに少女は気づき、くすりと声を漏らした。
「でも……ってなんで笑ってんのよ!」
照れ隠しのように怒るリエラに少女はくすくすと笑い始めた。その笑いはとても楽しそうで、明るく、しかし儚かった。
「いえ、まさかリエラさんの口からそんな言葉が聞けるとは思っていませんでしたから」
楽しげに淡い笑みを浮かべて少女は言う。
「ありがとう、と言うのは私のほうです。貴方には本当に助けてもらった……。だから、お礼に一つだけなんでも教えましょう。何を知りたいですか?」
「いやいや、助けた記憶なんてないんだけど」
リエラがかかさず突っ込むと少女は笑みをいたずらっぽく変え、何も語らなかった。
しばしにらみ合いのような状態が続いたが、最後にはリエラが折れ、不満げに鼻を鳴らす。
「名前」
リエラは一言言うと、続けた。
「あんたの名前を教えて」
意外な答えだったのか、少女はきょとんとした顔をする。しかし、すぐに困ったように表情を変えるとぶつぶつと呟き始めた。
「それはまぁ……いやでも、そもそも……どうしろ……しかし……それはあるに……すがしかし……」
「あんただけあたしの名前知っててあたしがあんたの名前知らないなんて不公平じゃない」
リエラがあっけからんと言うと、少女は呟きをとめ、困ったように、しかし楽しそうに笑うといった。
「いいですよ」
「え、いいの?」
あまりにもあっさりとした返答にリエラが思わず聞き返すほど少女はすっきりとした顔をしていた。
「ええ、何でも教えるといったのは私ですし」
おどけたように少女は肩をすくめ、リエラの横に行き、耳元で囁いた。
「私の名前は、――――」
リエラはその名に息を呑む。たとえ知らなくとも、何かを感じさせるチカラがあるのだろうか。
少女は少し笑みに陰を浮かべると、女のほうへ向き直った。
「少しの間でしたが、お邪魔いたしました」
深く頭を下げると少女はドアへ向かった。女は呆然とその姿を見送ることしかできない。しかしリエラは違った。
「ねえ!」
今にも出て行きそうな少女の背に向かって声をかける。少女は立ち止まったが、リエラのほうへ向き直りはしなかった。
「今度は、どこいくの?」
「……私の過去にけりをつけるための道に進んできます」
どこへ、という明確な場所は示さず、少女はただ自らの向かう方向を指し示す。その言葉にはほんの少し前にはなした『道を視る者』の影響があるのだろうか。
「それが終わったら、ここに戻ってくれば?」
背後からでもわかるほど、少女のからだが強ばった。一瞬の強ばりをほぐすかのように少女は力を抜き、小さく首を振った――横に。
「貴方の道が次に私と交わるのはもっと先であってほしいから」
出会いを少女は嫌う。誰かを傷つけるから。
別れを少女は好む。誰も傷つけないから。
だから少女は拒絶する。本当は待っているはずの一言を。
「それに……私は魔王ですから」
見えないとわかっていても少女は笑みを崩さない。リエラはそれを知ってか知らずか、悲しげに少女を見る。
「そっか……。きっと噂は聞くだろうから、忘れないね」
しかし、声は明るく少女に投げかける。少女も今回は縦に首を振り、
「ええ。だから、お元気で」
「ん。……じゃあね、フィンス」
「さようなら、リエラ」
少女は今度こそドアをあけ、外へ出て行く。同時に少女の唇が素早く何かを紡ぎ―――。
ばたん、と音をたててドアが閉まる。強風にあおられて。風と共にリエラの耳には少女の呟いた言葉が届いていた。
『ネックレスはプレゼントです。……貴方は、私の心を救ってくれる人でした』
孤独な魔王は恩を忘れない。周りがどんなに魔王を大切にしようと薄れない孤独をいつか安らげてくれるであろうリエラの存在によって少女は救われていたのだから。
「フィンス・ヴィーヴェレ……」
リエラはもう一度、口の中で少女の名を呟いた。
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少女は路地裏を歩く。手を伸ばせば届くところにあった温かい夢を思い出しながら。フードを深くかぶり、うつむいて歩く少女は唯一見える口元に弧を描いた。
笑みを浮かべながら……少女は、泣いていた。
声は出さず、泣き叫ぶこともなく、肩を震わせることもなく、ただ静かにその瞳に雫を溜めていた。その涙は温かさへの未練か、それとも別れの悲しみか。
誰一人としてそれを悟るものはおらず、少女の心だけがただ静かに雫を生み出す。
「フィンス・ヴィーヴェレ」
少女は過去の名を捨てる。ただ温かかった幼い日々の記憶を封印するために。少女は強くならなければならなかった。そのために少女は新しい名を名乗る。
守りたいと願ったものは消え、ただ自分だけが残ってしまった今を少女は何を思い生きているのだろうか。
少女はリエラに自分の名をフィンス・ヴィーヴェレと名乗った。
だが、それは少女の名の一部でしかない。名前に自らの思いをこめた少女はその思いを誰にも明かさない。
「ねぇ、私は一体何をしてるんだろう」
自嘲の響きをこめた言葉は涙と共に地面に堕ちる。誰にも知られず、聞いたものは何も答えられず。
「往かないと、だよね」
ぽつりと少女は呟く。その場で少女は立ち止まり、空を見上げる。暗かったはずの空は少しずつ明るさを取り戻しかけている。朝日が昇り始める直前。
「帝国で『私』が待ってる」
少女は淡々とした調子で言うと息を深く吐く。
「さようなら、リエラ」
もう一度、夢がある場所に目を向けると呟く。その未練を断ち切るかのように、少女は視線をそらし――
忽然と、姿を消した。
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「ふうん、そうなったか」
ひどくつまらなさげに少年は言う。視線は固定されることなく宙を彷徨う。
「で、君はどう思うんだい?」
ゆらゆらと揺れる視線がぴたりと突然一箇所に固定される。光の加減によって何色にも見える、そして何色でもない色を持つ少年の瞳が、まっすぐに射抜く。
「僕らとしては、正直彼らを選ぶメリットを感じない」
冷酷に、しかし淡々と少年は紡ぐ。固定された視線をふっとはずし、また虚空を見る。
「我らとしては……正直まだ決めかねている」
固定された視線の先にいた人物が口を開く。警戒心をあらわにした慎重な口調にしかし、少年はあっさりと告げる。
「ふうん。じゃあもう僕らは勝手にさせてもらうよ」
少年は言い切ると、座っていたはずのいすから立ち上がる。そこにはもういすはない。
「別れるっていうのも一つの手だしね」
少年は嗤い、そして一度、指を鳴らす。
「っ!まて!もう少しだけ待ってくれ……!」
相手の心の叫びは届かず、少年の嗤いは深く深く。
「使えない駒はいらないんだよ」
冷徹に、冷酷に。少年はひどく冷たい眼をして相手に言う。
相手に背を向け少年はゆっくりと歩き出した。
「わかった!そうするから頼む……!!」
その背に向け、手を伸ばす人物の手は届かない。
唐突に、紅蓮の炎が少年と人物の間に燃え盛る。
一瞬にしてすべてを燃やし尽くす炎は、異常な威力。
それは魔法でもなく、魔術でもない。
少年が望んだままに発動する魔法――魔式。
「ゴミは捨てるだろう?それと同じだよ。いらないものは消すに限る」
背後にありえない炎をつくりながらも平然と少年は呟く。
猛々しく燃え盛っていた炎は、始まったときと同様に唐突に終わる。
黒焦げに燃やし尽くされた建物の周囲に、少年の姿はなかった――。
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「警報!警報っ!!」
物見やぐらの上で兵士が叫ぶ。その顔は真っ青に染められている。
「魔王が、魔王が現れましたっ!!」
動揺をあらわに、しかし自らの職務のために兵士は声の限りに叫ぶ。
わらわらと数十人の兵士が剣や槍を構え、陣を組むが、兵士らは浮き足立っている。
そんな彼らの視線の先にあるのは、たった一人の少女だった。
本来ならば恐れることなどないはずの人間。だが、兵士らはありえないほど怯えていた。それは単純。
少女の髪は、深い闇のような漆黒だった。
「教えてもらえますか?」
兵士らの様子に目もくれず、少女は歌うように虚空に問う。クスクスと笑みを浮かべながら。
「私はここで何をしたらいいのでしょうか」
笑いながらも、冷たい瞳が兵士らを貫く。
「そ、総員、突撃いいいいいいいいっ!!!!!」
兵士がやけになったように叫ぶ。剣を構えた兵士らはしかし、自らの職務のためにその足を動かす。
「無駄、ですよ」
ぽつり、と少女が呟く。ただそれだけ。
ただそれだけで兵士らは動けなくなる。あまりにも圧倒的な力の差。
「ま、闇魔術しか使わないとはいえ、私、魔法も使えるんですよ?」
クスクスと嗤う。あまりの無力に顔をゆがめる兵士らの隣を少女は悠々と歩く。
兵士らの顔を見て、少女は狂気をはらんだ笑みを浮かべる。
「あぁ、好いですね……その表情。たまりません。ここの皇帝さんにもそんな表情をさせたいです」
そこにあるのは憎悪。あまりにも強い憎しみと怒り。小柄な少女の体から放たれるそれに、兵士らはがたがたと震える。
「やっとこれました、やっとです。ここからすべてが始まるのですから」
少女はどこか感慨を浮かべてどこかへそういうと、完全に固まった兵士らの背後を歩く。
振り向くことも出来ず、ただ無力に少女を通してしまった兵士らは、ただそれを嘆く。
「忘れずに報告してくださいね?」
そんな少女の呟きが、兵士らの耳に届いた。
******************
「どういうこと……?」
豪邸と呼ぶにふさわしい邸宅の中で、一人の女性が眉をひそめる。
「まったくわかりません。彼女はどう考えてもおかしい行動をとっている」
その傍に仕える男性もわけがわからないといった様子で首を振る。
「予定が狂ったのかしら」
女性はまるで頭痛がするかのようにこめかみを押さえる。
「どうやら彼女の意図したところとは別のところで別の思惑が動いているようですね」
男性は淡々と事実のみを述べる。
「これで私たちは手を出せなくなった……その別のところが何かわかる?」
「新しき、です」
女性の問いに男性は即答してみせる。眉をひそめた女性はすぐに理解したようにため息をつく。
「『道を視る者』達のことね……あそこが動いたとするとこれからも想定外のことが多くなりそう」
「正直彼らの動きについては全くわかりません。彼らは新しき、我らは古き。そもそも違うのですから」
男性は諦めたように首をすくめる。
女性は小さくため息をつくと、仕方ない、とばかりに立ち上がった。
「後手後手に廻ること覚悟で動くしかなさそうね」
「……そうでしょうか」
だが、それを男性が遮る。女性は不意をつかれたように男性を見つめ、
「何をいってるの?」
と、問う。男性はいぶかしげな表情をした女性をまっすぐ見つめながら事実を述べた。それが女性にとってショックな内容であるとわかっていても。
「彼女は……我々に助けを請うつもりはないのではないのでしょうか。おそらく、我々が手を出したところで鬱陶しがられるだけではと」
「何ですって!?」
女性はショックを受けたように固まる。そして、気持ちを落ち着かせるように、なんども深呼吸をする。と、そこへ。
「それはありませんね」
部外者の声が、混じる。
「っ!?」
護衛である男性は自らの失態に舌打ちしながら剣を構える。その先にいるのは、一人の男。
「ああ、別にご安心を。何をしに来たと言うわけでも……ありますが」
おどけたように肩をすくめて見せる男。だが、男性は警戒心を緩めて剣を下ろした。
「貴方は彼女のところの人ですか」
「はい、といっておきましょうか。少しばかりこちらとしても予定が狂ったのでその予定を読んでいたであろうあなた方にご迷惑をおかけするのではないかと思い、こちらの予定をお伝えしに参った次第でございます」
すらすらと男は言う。女性は先をうながすように瞬きをした。
「あなた方の予想はほぼ的中しております。我々としても本来はこちらに伺い、ご協力を請うつもりだったのですが……新しき、魔族、そして人間。そういったものたちの思惑が絡み合い、どうにも状況が変わってしまいまして」
困ったように笑う男はしかし、女性から目を離さない。
「一言で言いましょう。
あなた方は、こちらに関わらないでください」
「っ――!!」
男が来たときからわかっていたはずの言葉に、しかし女性はショックを隠せない。
「鬱陶しいわけではないのです。ただ、あなた方が関わると逆に彼女の負担が増える。そうなることは避けたいはずです。となるとあなた方には関わらないでいただくのが一番の得策かと」
「……それは、あの子からの伝言?」
藁にもすがりつくような女性の言葉に、しかし男は残酷に切ってみせる。
「はい」
崩れ落ちるようにしていすに座り込んだ女性はうつむき、表情は見えない。だが、その姿はあまりにもはかなく、もろい。
「すべては姫が望んだこと。……彼女はおそらくすべてを一人で片付けるつもりです。そうすることが最もよい選択だと信じて」
男はどこか優しげに声をかける。女性は何の反応も示さない。
男は女性と、その傍に仕える男性に深く一礼し、その場から消えた。
「そんな……セレスティーナ……」
後に残された女性の嘆きが、部屋に小さく木霊した――。
久々の更新です。
はい、えっと……あれですね、視点入り乱れすぎですね。
フィンス・ヴィーヴェレですが。一応魔王の名前です。
フィンラ・オクレル→フィンス・ヴィーヴェレだと思っていただければ。
基本的にこれからはフィンスと表記していきます。
名前もうちょい長いんですがね。まぁそれはぼちぼち。
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