動き出し、一歩
「さて、と」
とある町の近くにある深い森の奥。
世界で唯一黒髪をもつ人間である少女は口元にうっすらと笑みを浮かべて目の前を見つめていた。
少女の目の前にいるのは三人の魔。少女が二人、少年が二人である。
「言い訳を聞こうか?」
笑みを浮かべながらもあまりにも迫力があるその顔に思わず魔たちが身震いした。
『……すみませんでしたぁ!!』
見事に三人同時に叫ぶような声で謝ると、深く深く低頭した。
数秒間そのままの状況が続いたが、ふっと少女が息をつくとそれだけでその場の空気が緩んだのを感じた。少女はやれやれといった様子で苦笑いした。
「はぁ……。いいよ、もう。二度とやらなければね?」
『はいぃぃ!!』
許しながらも最後に釘を刺す少女に三人は声を張り上げて返事をした。少女はそんな三人の姿にきょとんとすると、小さく笑い始めた。
「アハハッ、あぁ、もう。いいよ、貴方達が私のためを思ってくれたのはわかってるし……。ごめんね、私が動かないから貴方達にそんなことをさせてしまって。……でもね」
話しながらも笑いをこらえられない様子だった少女は不意に表情を消す。それはまるで感情がすっぽり抜け落ちてしまったかのような。
「私達もそろそろ動く。やっと、動き出してくれたみたいだしね。これからもよろしくね、ピナ、ユゥ、シエラ」
『もちろんです。我が命は姫の剣』
『我が命は姫の盾』
『我が命は姫のために』
名を呼ばれた少女ら-ピナ、ユゥ、シエラは喜びを隠すことなく表情に表していた。少女はその様子に優しく笑みを浮かべると小さく言った。
「行って」
三人はそろって低頭するとその場から一瞬で消え去った。その姿はもはやネロに追いつくほどのすばやさで、少女は不意に三人の成長を感じたのだった。
少女は一瞬ふわりと温かい気持ちに包まれたが、すぐに表情を引き締める。
「ネロ、いる?」
『いないわけがないと思うんだが』
苦笑を交えた声で返ってきた返事。少女はそれにそれまで以上の喜びを示す。
一体どこから現れたのか、ネロはすでに少女の斜め後ろに姿を現していた。それを気配で感じ取った少女はネロのほうを振り向いた。
「そろそろ連絡をとりたい、というかとらなきゃいけないと思うんだけど、どう思う?」
『どうときかれてもな……俺も姫も会ったことはないんだろう?どうしようもないだろう』
半ば以上諦めをのせてネロは答える。少女はその言葉に悩むように眉間にしわを寄せた。
「いや、そうなんだけどさ。一応昔の手紙では古い知り合いだったみたいだし他よりは危険性が低いと思うんだけど……。問題は向こうがそれなりの貴族だったってことなんだよね」
『それなりというレベルであるかどうかはおいておいて……。これまでにも色々と情報は集めてきた。それの結果がこれなのだから他に方法はないのだろう?』
少女は首を振りながら、はぁっとため息をつく。
「まぁ、そうだね。……敵のことを知るにはまず敵にとっての味方になるしかない、そのためには味方が必要、か」
一人呟き、よしっ、と気合を入れる。そのままの勢いにネロの目の前に跳ぶ。それはどこか踏ん切りのついた表情で何かを含む笑みを浮かべていった。そして、優しい手つきでネロの腕に触れる。
「じゃ、行こうか。……サキュアース夫人のところへ」
『御意に』
珍しく礼儀正しくネロが微笑む。不意を突かれた少女がほのかに赤くなるのと、二人を黒い霧が包むのは同時だった。
その黒い霧が消えた後、残った魔たちが赤くなった少女とネロとの関係について激しく盛り上がったのは本人達の知らないことである。
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『サキュアース家。
それは大陸でも名を知られた大貴族である。本家があるのはセレモニカ王国だが、その他にも分家と呼ばれる家がガンガイル帝国、ミンティーナ共和国を筆頭にいくつもある、大陸屈指の大貴族である。
そんな大貴族であるサキュアース家の本家、セレモニカ王国サキュアース公爵家は現在リクセイル・サキュアースが当主を務めている。その妻であるモレラ・サキュアースは意外にもセレモニカ王国の子爵家の出である。
しかし、そんな彼女の有能ぶりは多くの人物が認めるところであり、現在では彼女のことを高く評価しているセレモニカ王国国王より外部宰相の地位を賜っている。
だが、その二人の間には長らく子供が生まれず、とうとう二人が六十になろうとしたころ養子をとった。クリーセルと名づけられたその男の子は現在では十四歳になり、政治にもかかわり始めているという。
幼いころからの両親による教育ゆえか、天賦の才能か、彼もまた高い能力を発揮した。
そんな優秀なものがそろっているサキュアース家であるが、そのぶん黒い噂も多々存在している。
その一つに他の噂以上にまことしやかに囁かれているものがある。
魔王との関連。
噂の発生源がひとつではないことから、他の噂よりは信憑性があるもののやはり権勢を誇るサキュアース家に手を出すものなどそうそうおらず、そのうえ夫婦の温厚性もあり、この噂は結局噂の域をでないままに消えていった』
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「-と、まぁ調べた結果がこれなわけなのだけど」
そういって少女は隣に立つネロへと一枚の紙を手渡す。ネロはその紙を受け取りじっくりと読むと、無言で少女へと返した。
『しかし、本当に安全なのか?噂しか今のところわかっていないんだが』
どうしようもない、とわかっていてもネロはもう一度少女へと問う。すでに二人はサキュアース家のある王都へ向かう旅人の通る道を歩いている。
人通りの少ない道ゆえにまだ誰ともすれ違ってはいないが、すでにもう後戻りは出来ないところへと来ている。
「いや、噂だけじゃない。かつて世界を揺るがすとまで言われた魔術師だったおばあちゃんと関係があったことは明確だし、何通か外の世界から手紙が来ていたことも知ってる」
それでも、少女はこれが全く安全策ではないことをわかっていた。いかに信頼できる要素が多かろうと、結局は結果なのだから。
『まぁ、今更どうにも出来はしないんだが』
「うん……。これは賭けだよ、ネロ。これに成功すれば一番いいやり方だけど、失敗すればたくさんの人が死ぬ」
ぎゅっと少女は口を固く結ぶと表情を険しくする。
「そんなのは、もう嫌だ。必要以上の死は無駄でしかない。だから、これは賭けだ」
もう一度、自分に言い聞かせるかのように繰り返す少女に隣に並び歩くネロは小さく微笑む。
『きっと、上手くいく』
短い言葉で励ましを送り、ネロは消える。否、人の目には見えないようになる。
少女が正面を見据えれば、遠くから三人の旅人が歩いてくるのが見える。普通の人間には見えるはずのない距離だが、少女らにとっては警戒はしすぎても足りない。
「そう、だよね」
少女は視界から消えた、しかし隣にいるのがしっかり感じられるネロへと小さく返事をする。
深緑のフードを深くかぶり、うつむいて少女は道なりに進んだ。遠くに見えていた旅人がだんだんと近づく。
「おい、そこの人」
あと少しですれ違う、というところで声をかけられた。声をかけたのは三人組のうちの一番左端にいた男で、いかにも旅人、といった格好をしていた。薄く体を覆う鎧、少し刃のこぼれた剣、腰に下げたアイテム入れの小さな袋。
「……なにか?」
うつむいた顔をかすかに上げ、少女は小さく聞いた。
「おっどろいたな、あんた女か。一人でたびたぁ、どういうこったい?」
「別に」
少女がそっけない態度に旅人は一瞬息を詰まらせたが、すぐに笑みを浮かべた。
「俺はサベンってんだ。一応旅人みてぇなことをしてる。あんたは?」
人のよさそうな旅人の笑みを少女は一瞥する。そして、その顔があがったとき旅人達は同時に息を呑んだ。
清々しいほどに澄んだ空色の瞳。
薄茶色に染まった絹のような流れるような髪。
きゅっと結ばれた唇は淡い桃、かすかにきつさを感じさせるきりりとした眉。
大人びた態度に似合わない、いまだ幼さの残る容姿。
「驚いた……。あんた、すごい美人だな……」
今だ驚きから冷め切らない旅人の口からため息のように声が漏れる。
だが、少女はそんな言葉には耳も貸さず、そのまま彼らの横を通り過ぎる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
声もでなかった真ん中の旅商人のような男があわてて引きとめようとする。
ぴたり、と少女が歩をとめるとその男はほっとしたように息をつくと、言った。
「君、わたしのところで雇われないか?報酬は弾む」
笑顔で取引を持ちかける商人に少女はくるりと向き直る。
「商人」
事務的な声で少女は呼びかける。
「おぉ、受けてくれるか!」
「私は、お前にかまう暇なんてないんだ」
あっさりと商人の言葉を否定すると、もはや用はないとばかりに先へ進もうとする―
「何故だ!一人旅は危険だ!わたしのところに雇われ――ヒッ」
が、商人は必死に呼び止めた。なおも言おうとした商人の首すれすれをキラリと光る金属の針のようなものが通り過ぎる。
「なっ、何をするんだ!」
「必要ない」
抗議の声さえ無視し、もう一度少女はその手が霞むほどの速さで金属の針を投げた。その軌道は前の針と全く変わらず、首すれすれを掠めて地面に突き刺さる。
と、そこで商人は見た。その針が地面にとけ、紫色の液体が地面にしみているのを。
「次は殺します」
淡々と告げると、今度こそ少女は先へと歩き始めた。その少女を止めるものはいなかった。
「あいつ……。躊躇いなく投げたぞ……」
その紫色の液体を知る旅人は恐れをのせて呟いた。パサラと呼ばれるそれは軽くても数分間、長ければ数時間対象を麻痺に陥らせるもので下手をすれば死に至る可能性さえある。
そんなパサラを躊躇いなく投げた少女へ、旅人は紛れもない恐怖を感じた。
「ありゃぁ、何人かは殺ってる目だな」
それまで一言も言葉を発しなかった武人らしき男がぽつりと言った。
「へ?……まさか、あんなに子供なのに?」
「じゃなきゃ躊躇うに決まってんだろ。……どのみち俺らには関係ねぇ、忘れろ」
ぶっきらぼうにそういうと、武人はそのまま何事もなかったかのように歩き出した。
唖然としてみていた旅人と商人は顔を見合わせ、あわててそのあとを追った。
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「……ちょっとまずったかな」
三人組とすれ違い、その姿が遠く離れて少女はようやく声を発する。
『……端の武人。あれは相当だな』
「事なかれ主義で忘れてくれると嬉しいんだけど」
少女は苦悩をあらわに首を振る。旅人も商人も少女が金属の針を投げたとき動きをとめた。だが、その武人だけはその針の軌道を見切り、安全だとふむと避けるそぶりさえ見せなかった。
『そればかりはどうしようもないな。……そろそろだ、見えてきた』
「うん、あの門をくぐったらもう後戻りはできない」
そういって少女は正面を見据える。霧でもかかればすぐに見えなくなってしまいそうなほどぼんやりと、堂々と立つ石目の門がたっているのを。
その先にあるのは王都。
セレモニカ王国最大の都市。
近づく門を鋭い目でにらむように見つめると、少女はぎゅっと口を固く結ぶ。
そのまま目線を下ろし、うつむくとさまざまな方向にのびている道から来る多くの旅人や商人に紛れるようにして門をくぐった。
「っ―――!」
そんな少女を迎えたのは王都の喧騒。
昼になり、町が活気付く時間帯で多くのニンゲンが入り混じっている。
「え~、もーちっと負けてクンねぇ?」
「無理だよ、諦めな!」
「うわぁ、おばちゃんったらひどいんだ」
「こっちも商売なんだよ!」
「ふむふむ、これはこうして……はぁ、まさかぁっ!!」
「あんたはまだここで何してんだい!」
「げっ……今日もご機嫌宜しゅう姉さま」
「ちょっとそこに直りな!根性たたきのめしてやる!」
「あぁ、もう!僕の平和な日常はどこへ行ったんだよ!」
「ねぇねぇ、そこの旅人さん。あなた結構イケル口?」
「あ、あぁ……」
「じゃ、夜にここでまってるわね!うふっ」
「でね、もうホンットウにお美しくてもうあたしゃ目がつぶれるかと思ったね!」
「それでそれで?!」
「そうしたらね、あたしのほうを見て微笑んでくださったんだよ!」
「きゃあ~~っ!いいわぁ、そういうの。これだけでも王都に出てきた甲斐があるってもんよね!」
「そうそう、それでねぇ?」
町の喧騒は多くのニンゲンの笑顔の上に平和に騒いでいる。
「……平和だね」
少女はどこか悲しげに呟くと、王都の中央へと向かう人波に乗っていった――。
すみません!……残りの謝罪はすべて活動報告へ。
パサラは過去にも名前は出てきていませんが登場しています。
魔王は姿を変えています。
七月二十八日 誤字修正