十三歳、出会いと別れとその狭間
長い、夢を見た。
あたりは真っ暗で、何も見えないはずなのに彼の姿だけが視える。そこにいるのは私と彼だけで、他には誰一人としていない。
闇の中で佇む彼に、私は呼びかける。
―――そこでまってて
けれど、彼は悲しげに微笑むと私に背を向け、どんどん遠ざかってしまう。必死に足を動かそうとしても、私の足は動かない。まるで地面に縫い付けられたかのように。
―――まって!
遠ざかる彼の背中に手を伸ばす。それでも、彼は歩みを止めない。そして、ずっと遠ざかったところで彼は振り返った。私にむかって小さく手を振り、ごめんね、そういった。
踵をかえして彼は、いってしまった。その姿はぼんやりと闇に覆われ、そして消えた。
届かなかった私の手は未練がましくまだ伸ばされている。
彼の様子はまるで、まだ来るな、そういっているようで。
私はほえた。感情のままに、獣のように、荒々しく。
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はっと、夢から覚める。だが、私には今の夢が本当に『夢』であったのかさえわからなかった。だが、今私にもわかることがある。それは、
コルティスの元へ、いくことができなかった、ということだ。
あれほどの覚悟を決め、共にあろうと思ったのに。そしてそれを実現するために必要な殺す存在もいた。なのに、私はまだ――生きていた。
「何故っ……!」
横たわったまま、コルティスとつないだ手をぎゅっと握り締める。すでに温かさが失われたその手はそれでもどこか私に温もりを与えているようだった。
だが、その温もりが私の心を傷つける。涙が横向きに流れ、左目から流れた涙が右目にしみる。その自覚さえ持たず私は泣き続けた。声を出さず、ただ呆然と。
「どうして、いけなかったの……」
後悔にも似た、困惑の声が私の口から漏れた。それはただ虚空へと呟いたつもりだった。だが、予想に反し答えがすぐ近くから返ってきた。
「――――それはなりません、姫」
「!?」
一瞬、今の状況も忘れ私は驚きに目を見開いた。声が聞こえたのは私の背後。それもたいした距離もない。それを認識すると共に五年間に及ぶ訓練が無意識に私の体を跳ね起こした。
「誰……」
そして、その声の主と思われる人影を見て私は呆然と問いかけた。そんな私の様子にその人影はクスクスと笑った。
「始めまして、我らが姫。私の名はネロ……漆黒の魔にございます」
丁寧な口調で返された答えに私は思わず絶句する。だが、すぐにそのショックから持ち直し警戒をあらわにした。
「どういうこと……?」
「この度は土の王殿が最後の力を振り絞り、炎の王を消し去ってくださったおかげで我らが王……漆黒の王がご復活なされたのでございます。そして、私は王の命を受けて貴女様、すなわち姫をお助けに参ったしだいにございます」
相変わらず丁寧な口調ではあるが、その中でも『炎の王』という単語に抱いている憎悪は何よりも透けて見えた。当人も隠すつもりはないらしく、平然と言ってのけている。だが。
「リェコンさんが……?最後ってどういうこと」
「……そのままの意味にございます。長い、夢を視られましたか」
顔を伏せ、とても言いにくそうにネロは言った。
「それは見たけど、あれは……!」
言いかけて私は気づいた。なぜ、私は『彼』をコルティスだと思った?茶色の髪だったからだ。だが、私の知る純粋な茶色の髪の持ち主は、二人いる。
「まさか、あれが……リェコンさんだったっていうの!?」
わかるようにしておく、とリェコンは言っていた。だが、まさかあの夢がリェコンからの暗示だったなど、気づくわけがなかった。
ネロは無言で肯定した。その静けさがリェコンの消滅を裏付けているようだった。
「……!」
ネロが無音で気合を放つ。ヒュッと音をたてて手のひらを背後に向けながら右腕を斜め後に振る。私の視線は自然とそちらへ向かった。そして、見てしまった。
「え……」
深淵の闇の中でもひときわ暗く見える闇の弾丸が、すぐ近くまで迫っていた帝国軍兵士の左胸に飛び込み、貫通したのを。
まさか気づかれているとは思っていなかったのか、その兵士は唖然とした表情で自分の胸を見つめ、そのまま後ろに倒れこんだ。
「かはっ……。なぜ、魔王が、二人……」
虫の息の兵士が怯えを隠さず呆然と呟く。
「ぐあぁぁぁぁぁぁっ!」
だが、その表情はすぐに苦悶の表情へ変わる。私にはその兵士の絶叫のわけがわかった。
「魔王、などと言うな。それは貴様らが作り出した幻想にすぎない」
その瞳に宿る暗い憎悪を隠そうともせず、ネロが闇の珠らしきものを押し付けていた。それは人を殺さないようにうまく調整されていた。苦しみを長引かせるための技だ。それを認識したとき、私の体は勝手に動いていた。
兵士に向けた手のひらから闇の杭を放ち、それを兵士の胸に深々と突き刺す。逃れることのできない痛みに苦しみの悲鳴を上げていた兵士は最後に大きく目を開き、そして力を失った。
「……そんな最後まで苦しめるほど、その人自身は憎んでない」
疑問の目を向けてくるネロに私は小さくそう返した。それは呟きのような声だったが、ネロには聞こえたようだった。少し間があり納得の表情を浮かべたものの、すぐに怪訝な表情になった。
「それは、どういう意味で?」
「……私が憎む相手も当然いるってこと」
そっけなく返したがネロは私が言葉の裏に含ませた意味も感じ取れたらしく、唇がゆっくりと弧を描く。
私はそれ以上ネロに関心を持たず、本来いるべきであった場所へまた戻る。
ついさっき見た夢が本当にリェコンだけの夢であったのかどうか、私には判断ができなかった。あまりにも似ていたのだ。コルティスに。もしかしたら―――
「リェコンさんとコルティス、二人でみせた夢だったのかもね」
だとしたら、もう一度そこへ行こうとしても君は怒るよね。
心の中でそう優しく呼びかけながら私は最後にコルティスの手をもう一度、ぎゅっと握る。祈るように目を閉じ、数秒動かずただ想った。
やがて、ゆっくりと目を開けると私は手を離し立ち上がった。彼への未練を断ち切るかのように一気に後ろを向く。そして、わずか数メートル後ろでその光景をどこか悲しげな表情で見つめていたネロに向かって歩を進めた。
一度たりとも、振り返らなかった。
彼を闇の中に置き去りにし、私はネロと共に闇に溶け込んだ。
残された彼の体もまた、やがて闇に呑まれる。魂だけを宙へと羽ばたかせて。
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変わらないものなんてない。
長年育ててきた少女が破裂させた闇がだんだんと薄れていく中、セレスティーナは不意にそう感じた。長年-そう、もう気が遠くなるほど前から知り合っていた大切な人が目の前からいなくなってしまうような、そんな感情を持った。
フィンラとは離れ離れになってしまった。だが、セレスティーナにはもはや探そうという意思すら残ってはいなかった。頭にあるのは目の前で虫の息となっているカーセルのことだけであった。
セレスティーナは残った魔力だけでなく、もはや生命力さえも魔力に変えてカーセルの治療を行っていた。そのおかげか、カーセルは今のところ死なずにいる。だが、それだけだ。セレスティーナの生命力も残り少ない。これ以上カーセルの治療に生命力を使えば、命に関わる。
だが、それをわかっていてなおセレスティーナは治療をやめようとはしなかった。
右手からかすかにもれる淡い光は、セレスティーナの生命力を削って放たれているものとは思えないほど優しい、自然な光だった。
それはセレスティーナの心の現われなのか、魔術本来の光なのか。
視界がぼやけ、平衡感覚がおかしくなってもセレスティーナは魔術の行使を続ける。それはまるで何かにとりつかれたかのような必死さであった。
「お願い……」
その口から漏れる言葉も必死さをうかがわせる。セレスティーナにとってカーセルとはどんな存在なのか。それを語るものは、いない。
右胸の傷はとうにふさがっているはずだ。だが、カーセルが目を覚まさないのはその傷のフィードバックでも、大量出血のためでもない。それは―――
「ぁ……」
一度ふさがろうとも、中から働く何らかのチカラが、一定時間で傷を広げてしまうためであった。普段のセレスティーナならば、あるいは冷静な思考が一片でも残っていれば。その何らかのチカラが何なのか、すぐに看破することができただろう。
だが、今のセレスティーナにその思考はない。ただ何度も繰り返し治癒魔術をかけ続け、魔力を無駄に消耗させて行く。
たとえ今死ななかったとしても、どうせすぐに死ぬ命だ。
そんなことはセレスティーナにもわかっていた。だが、否だからこそ、だろうか。セレスティーナは自分の、今まで生きてきた自分の魂をこんな形で終わらせたくなかった。大切な人と共に最後を看取ってもらい、自分の最後をせめて心優しいものにしたかったのだ。
それは、彼女がこの時の止まった世界に足を踏み入れた理由にも直結する。闘いに明け暮れた現役時代。自分より強い魔術師が現れ引退を決意した。闘争から身を離す機会がなかった彼女はせめて終わりは心安らかでありたいと願ったのだ。
だからこそ―――
「あぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
セレスティーナは吼える。終わりをこんなものにしないために、自らの命をかけて願いを守ろうとした。
だが、その直後に聞こえた言葉に希望は費える。
「うっさいなぁ……。いい加減死んでくんない?」
朦朧とした意識の中でもひときわ際立って聞こえた言葉にセレスティーナは反射的に振り返る。ぼやけ、ゆれる視界の中に入ってきたのは純粋な茶色の長い髪。
「え……」
呆然とセレスティーナは少女を見つめる。その姿は彼女の知る『彼』とあまりにも良く似ていた。だが、『彼』は男で、目の前に立つ少女は当然のごとく女である。
「あはは!なーに、その顔。まさか『魔』が人間ごときに味方するとでも思ってたわけ?ふん、ばっかみたい。……あぁ、お前は知らなかったんだっけ?多分お前の予想通りだよ」
ニヤリと少女は唇をゆがめる。セレスティーナは無意識に首を小刻みに振る。だが、少女がそれを考慮するはずもなく次の言葉を放つ。
「リェコン、ってお前たちが呼んでた魔だよ」
「違うッ!」
それは、ただの反射だった。それでも、もはや意識がなくても不思議ではないセレスティーナは叫んでいた。少女は一瞬驚いたように動作を止めたが、すぐに狂ったように笑い始めた。
「あは、あはははははっ!!!!否定したいのはわかるけどー、お前もう死ぬ寸前だろ。……だから早く楽になれよ」
笑いを収め、少女は冷酷に言った。人を見下す者の眼。セレスティーナは今まで何度もその眼を見てきた。愚かな付け上がったものはすぐにその眼の人物によって始末された。それは彼女が今まで生きてきて知った非情なルール。
「土弾」
少女は腕を振り上げ、唱えた。少女の掌の上で無から発生した土が凝縮されていく。
「残念だったな、人間」
そういって少女は蔑んだ瞳をむけ、無表情に腕を振り下ろした。凝縮された土の粒が自らの胸に迫るのを眼を閉じることもできず見つめていたセレスティーナは悟る。もう、願いは叶うまいと。
だが、彼女の予想は外れることになる。主に、少女とセレスティーナの視覚外から霞む影となって飛び込んできた黒い粒の魔法によって。
「なん、で……」
出会って初めて少女が驚愕に声を漏らす。そのことにセレスティーナは驚きを感じつつも、危機一髪で自分の命を救った対象へとゆっくりと視線を動かす。
突きつけた指をゆっくりと下ろすのは少女。背後にはどこか現実離れした空気を縫う少年が一人。そして、おそらく今魔術を放った張本人の少女は――
「間に合った、ね」
漆黒の双眼を怒りにぎらりと光らせながらそう言い放った。
「ねぇ、リェコンを語るニセモノさん?君は今証明してしまったんだよ……君はリェコンではないとね」
薄く笑みを浮かべながら漆黒の少女は佇む。不意に強くなった風に長い漆黒の髪をなびかせて、ただ静かに返答を待つ。
「チッ」
しばしの静寂のあと、返ってきたのは小さな舌打ちだった。それを合図としたのか、少女の髪が色を急速に変えていく。
純粋な茶色だった髪は少しずつ暗く、その色を消す。瞳も同様に。
「紫色の魔の姫か……これはまた珍しい姫に出会ったものだ」
その時、それまで漆黒の少女の背後に立っていた少年が始めて口を開いた。呼ばれた少女はすでに変化を終えていた紫色のショートカットの髪を軽く払う。
「あーあ、全く拍子抜け。一人くらいは殺しておきたかったんだけどなぁー、今後のために」
ククッと紫色の少女は嗤うと、あっさりと背を向ける。そして、瞬く間に駆け出した。その速度に反応が遅れ、漆黒の少女は悔しそうに顔をゆがめる。
手の届かないところまで離れたところで、不意に紫色の少女は立ち止まった。
「あぁ、わっすれてたぁ。これ、お土産ね。……精々全員で味わってよ」
遠すぎて聞こえるはずのない声も、はっきりと聞き取れる。最後にドスの聞いた声で言うと、紫色の少女はその全員を一睨みすると、今度こそ一度も振り返ることなく消え去った。
その場の全員が何も起こらないことに訝しさを感じた瞬間。
紫色の爆発が地面を揺るがせた。
「っ―――――!!」
物理的ダメージはないことが特徴の紫色の爆発。それが何にダメージを与えるかを知っていた漆黒の少女は悲鳴を上げる。自らの力ではどうにもならない事態にそれでも抗おうと、少女は動く。
帝国軍側 死者数8000 重軽傷者数70000
魔王側 人間? 魔王1 魔0 ハーフ0
何とか一週間以内に投稿できた……。
少し焦った感が溢れていますがそこはどうぞお見逃しを。
主要キャラがぞくぞくと登場してきてます!毎日その子をどうやって出そうか考えております。
紫色というのは相当前の後書きでも書きましたが、ずばり化属性です。つまり、何かに化けることができるのです。
今回出てきた紫色の魔の姫など、愛された子のことは姫、と呼んだりします。たまに違う名称も使いますが、基本的には。
そして、ついにユニークが2000を超えました!これも読んでくださっている方々のおかげです、本当にありがとうございます!
また、PVも8000をみるみるうちに超えていっております!
未熟な文ではありますが、どうぞこれからもよろしくお願いします。
五月二十二日 魔法に関する語彙等を修正