十三歳、今そこへ
その場面を、色で現すとしたならば。
どす黒い、禍々しい、それでいて美しい―――赤。
優しげな、儚げな、心の思いの―――茶。
そして―――閉ざされた、黒。
ぼんやりとした景色。私はまるで夢の中のような現実感のなさに、呆然としていた。『彼』の後ろに立っている『男』などもはや背景に過ぎない。ただ、私の目に入ってくるのは、『彼』だけ。
「……る……す」
かすれた声でその名を呼ぼうとするも、からからに乾ききったのどが、音を発することを防ぐ。力が入らない体をそのままに、目の前の景色のみに私は首をふる。
まるで駄々っ子のように。
ただ、無音でそれを否定する。
ズサリ、と『彼』の背後で音がする。それは、ヒトが足を踏み出した音。また一度、ズサリ。もう一度ズサリ。一音ごとに大きくなるその音に少しずつ私の意識が覚醒し始める。
そして、『彼』の頭上で、闇の中でもキラリと輝くそれを見た瞬間。
それまでふわふわと漂っているようだった私の意識は急速にその自我を取り戻す。そして、同時に本能的な動きで立ち上がる。
「コルティスーーーーーッ!!!!!!」
渇いたのどが痛むのも気にせず、私はその名を絶叫するように呼んだ。跳ね上がるような腕の動きで近くに感じていた『何か』をつかみ、『男』に振り下ろす。
刃物同士がぶつかる音と共に一切の無駄をそぎ落とした動きでもう一度狙う。狂戦士のように、ただ相手を殺すことしか考えずに。
バサリ、という音。そして、遠ざかっていく足音。
行動に反してあまりにも冷静な頭がそれを認識する。それと同時に、私は『彼』の元へへたり込んだ。
「コルティス、コルティス、コルティス……」
壊れた機械のように『彼』の名を呼ぶ。何度も、何度も。
優しい色を灯す茶色の瞳を閉じた『彼』の顔はどこか安らかで、それが私の心をさらに不安にさせた。『彼』の脇腹に刺さった短剣はそのままに放置されていた。だからこそだろう、出血は大したことはなかった。だが、その刃は彼の血管や内臓、神経を絶ち、今もなお『彼』に多大な苦痛を与えている。
刺さった短剣の柄に手を沿え、そっと力を加える。予想に反して動いた短剣は私の手にぬるりとした生々しい感触を与えてくる。
小刻みに震える手。制御が利かないその手を無理やりに動かして『彼』の手を握った。
「コルティス、死んじゃ、やだ、よ」
ぽつり、と知らず知らずのうちに自分の口からこぼれた言葉。それに呼応するかのように手に入る力も強まった。祈るように頭をたれる。
すると、それに反応したのか、それとも時間がたったからか。
「う……」
苦しげなうめき声をあげて、コルティスがその瞳を薄く開ける。声に反応してはっと顔をあげた私は歓喜に胸を躍らせた。だが、それも一瞬で消えうせた。
「フィン、ラ。……ご、めん」
唇をぎゅっと引くと、コルティスは切れ切れにそういった。それと同時に私の脳内には、つい先ほどの感触が甦ってしまった。鋭利な刃物が肉を絶つ、刃から伝わる血管を食いちぎる感触。
「……んで」
「……」
「なんで、間に入ったの。なんで、待っててくれなかったの!なんで!なんでっ!?」
音を放つと共に駆け巡る激情が、声を荒くさせる。
――これ以上大切な人を失いたくない。
「ごめん、フィンラ。……でも」
『彼』の頬に雫がたれて、そのとき初めて私は涙を流していたのだということを知った。『彼』は穏やかに微笑んでいた。それは死を覚悟したすべてを受け入れる微笑み。
「君に、罪を着せちゃ、いけないんだ。僕は、初めて会った、ときから、君がどれだけ、優しい子なのか、わかってた。僕は、信じてるよ」
「コル、ティス」
視界がぼやけ、手が震える。私はわかっていた。『彼』が放つおそらく最後の言葉が次の言葉であろうことが。だからこそ、疑うことは許されない。だからこそ、受け止めぬことは許されない。
「君が、いつまでも、僕の愛しい君であることを」
声が、出なかった。『彼』の最期の言葉は私へのメッセージ。命を懸けた、最期の言葉。私はそれに答えることもままならず、ただぽろぽろと涙を流すだけだった。
そんな私の様子にふわりと最後の笑みを浮かべると、『彼』は静かにその瞳を閉じた。満足げで、安らかなその表情はまるで、ひと時の眠りについたかのようで。
―――愛しい人の命が私の目の前で失われ、握った手から力が抜ける。
闇の中での最後を迎えた『彼』の体はゆっくりと『闇』へ埋もれていく。だが、私はその手を離さなかった。たとえ『彼』の手から力が抜けたとしても、私は決して離れるつもりなどなかった。たとえ――
周りに数千もの敵がいたとしても。
周りから溢れる殺気も、怨念も、私には届かなかった。今の私にあるのはコルティスと共にあることだけなのだから。
「コルティス……」
優しい声で今は届かない相手に声を紡ぐ。不思議と涙は出なかった。『彼』の隣に横たわり、『彼』と同じように、静かにそっと漆黒の瞳を閉じる。
訪れたのは深淵の闇。音だけが鳴り響く世界。
闇の中で浮かび上がるのは『彼』の姿。昔と変わらぬその姿に私は笑顔で呼びかけた。
――――今、そこへ行くよ
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我はついに見出したり。
そう思わず叫んだのは十三年前のことだった。我は度重なる愛しき子の死に絶望し、しかし諦めることだけはできず、ただ無意味な数百年を生きてきたように思う。
崇高なる魂。
今を変えてくれるような、我が主にふさわしき器の持ちし少女。
求め、絶望し、怨んだ。なによりも、それを壊せない我自身に。
魔の王として生まれ、そう育てられた我には叶わぬことなどなかった。ないはずだったのだ。
だが、もう数千年に及ぶこの命が、過去の傷を忘れさせない。
視界の隅を横切るさらりと流れた髪を見るたびに我は嫌悪していた。
本来の色を持たない王。
そう嗤われた千年間を変えてほしくて、我はこの数百年ただ求め続けた。すべてを壊し変えてくれる者を。一体幾人の人間を犠牲にしてきてしまったのだろう。彼らを思うたびに胸が締め付けられるような想いが駆け巡る。
だが、我はついに見出した。彼女を。
まだ生まれてすらいないはずの彼女の魂は他の誰よりも輝いていた。我はそれに惹かれたのだ。そして、かけてみようと思った。彼女に、すべてを。
封印された我の力のほとんどを彼女に託し、我は姿を消した。存在が消えたわけではないが、日常的に姿を具現化しておくにはあまりにも魔力が足りなかったからだ。
十三年間、彼女を陰で見守りながら私は膨れる思いをこらえていた。我の数少ない友人である『土の』が彼女のことを守ってくれていたのはありがたかった。
『土の』が彼女に我のことを説明したときは正直笑いをこらえられなかった。まさかあんな捉え方をしているとは思っていなかったのでな。
だが、最後に『土の』が泣いているのを見て、我は申し訳なさでいっぱいになった。『土の』に本来の姿を封じさせてしまっているのもそうだが、我にとって一番の理解者である『土の』に我のことをしっかりとは話さなかったことが、今となっては悔やまれる。
そして、今。『土の』が消えた。『炎』と共に。
『炎』は我がもっとも憎む王だ。我から本来の色を取り上げた、唯一無二の卑劣な王。だが、『土の』は無関係だったのだ。『土の』がわざわざ代償を払う必要など、なかったのだ。
終焉の鐘。それは王だけが持つ、最強にして最後の魔法。
他の王でさえ消すほどの威力の代償は、使用者のすべて。使用者は王としての力、魔としての生、すべてを失う。ゆえに使われることは事実ほぼない。
その威力とは裏腹にあまりにもあっけないその魔法は、あっさりと二人の王を消し去った。そして、我はそれを、ただ見ていることしかできなかった。
二人の中間に茶色の光があらわれ、輝き、二人の王を飲み込むその光景を。
リェルコリエン――――!!
スローモーションで進む光景の中、我は『土の』の名、真の名を叫んだ。しかしどれだけ届けたくとも実態を持たない我の声は届くことはなかった。
二人が消えると同時に、我の体が、真に実態を持ち始めた。十三年間消え続けていた我の体が甦った。そして、我が最も嫌悪していた髪が視界を横切った。そして、その色に我は息を呑んだ。
見違えるような漆黒が、そこにあった。
もう千年も諦めていた我本来の色。何故、という思いが駆け巡る前に答えがあっさりと浮かんできた。
リェルコリエンが、『炎』を消したからだ――!
「お前……」
十三年間使用されることのなかったのどから放たれる声はどこか懐かしく響いた。だが、それを認識する前に我はこみ上げる笑いをこらえきれず、のどの奥から笑い声をもらした。
「……くっくっくっ、馬鹿だなぁ」
実におかしいのに、顔は笑っているのに。目尻からこぼれおちる透明な珠は感情に忠実だった。
「そんなことのために、お前はあれを使ったのか……。クク、本当にお前は馬鹿だ、大馬鹿者だ」
一人笑いながら泣く我はさぞかしおかしな存在だっただろう。だが、我は気にしなかった。何も気にせずただ、笑って、泣いた。
そして、どれだけの時間が過ぎたのだろう。数時間か、はたまた数分か。
「ご復活、お喜び申し上げます」
背後からわずかにくぐもった少女と女の中間程度の声が聞こえた。我はぴたりと笑いと涙を止めた。そしてゆっくりと振り返った。
後ろにいたのはもはや数えられないほどの魔。そのほぼ全員の髪が―明度の高低はあれども―漆黒であった。そして、その中でも他より一歩前にいるのが三人の魔だった。中央にて跪く少女が再び口を開く。
「我ら漆黒の魔、総員を以ってお迎えにあがりました」
我は小さく頷き、それを了承する。少女は再び深く低頭した。我は少女から視線をはずし、目の前に控える数え切れないほどの漆黒の魔に告げる。
「ご苦労!我、再び顕現せし!再び我と共に在れ、我が同胞たちよっ!!」
堂々と、気後れせず、まさしく王の威厳を持って。一瞬の間が空き、そして――
『おぉぉぉぉぉぉっ!!!!』
すさまじい咆哮が地面を揺るがせた。我はその様子を不敵な笑みを浮かべて応えた。
「顔を上げよ!ご苦労であった、我が同胞。……ノワル、ネロ、アーテル、お前たちはここへ残れ。他の者は元の場所へ戻るが良い」
我の最初の合図で顔を上げていた魔たちがまたいっせいに頭を下げ、そしてうっすらと消えていった。残ったのは他のものより一歩前に出ていた三人の魔。
「それでは、改めましてご復活おめでとうございます」
「あぁ、ありがとう、ノワル」
最初に口を開いたのは真ん中にいた少女、ノワルだ。我を除く全漆黒の魔の中でトップの力を誇る。
「十三年間は本当に長い月日でした……。もう勝手にあのようなことをなされないでください」
苦笑を浮かべながらそういったのはノワルの右隣にいた少年、ネロだ。ノワルに次ぐ第二位の実力を持っている。
「そうですよ。ほんっ、とうに、もし、ごふっかつ、なされ、……ふえぇぇぇん」
「あぁもう、アーテル、泣かないの」
最後に目に涙をためながら泣き出したのは、アーテル。精神的な面で不安は残るが、実力だけで考えれば将来有望な子だ。
「すまなかったな、心配をかけた」
その三人に笑みをむけ、我は謝罪した。いくら突発的なことであったとしても、この三人になんの断りもなく実態を消してしまうのは早急すぎたであろうから。
だが、我の言葉に対する返事の前に、青ざめた顔の伝令が割り込んできた。
「失礼します!ご報告、闇の暴発、姫が……!」
「ネロ」
我は伝令が最後まで言い終える前に指示を飛ばした。我の声にさっと反応すると、ネロはそれまでの優しい笑みを消し、視線を鋭くする。
「何があっても、あの子だけは守れ」
「了解しました」
氷のような冷たさと刃のような鋭さを兼ね備えたネロは言葉少なに了承すると、ぱっと姿を消した。我はその様子にひとつ頷くと、残った二人に顔を向けた。
「ノワルとアーテルは我と共に待機だ。その間、あの子の今の状態を調べるぞ」
「「はっ」」
我はそういって、魔世界へと姿を消した。
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帝国軍側 死者数5000 重軽傷者65000
魔王側 人間? 魔王1 魔0 ハーフ0
それは未来へとつながる序章にすぎない。
日付が変わってしまった……。
とりあえず今回初登場の三人の魔の名前について。人って数えるのかわかりませんが。
ノワル→フランス語で黒をあらわすノワールから。
ネロ→イタリア語で黒を表すネーロから。
アーテル→ラテン語で黒をあらわすアーテル、つまりまんまです。
前半はフィンラ側続き、後半は……フラグたて?
時間軸についてはもはや無視してください。おかしいのはわかってるんです、わかってますとも。
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四月二十七日 本文の訂正と追加
五月二十二日 魔法に関する語彙等の修正