十三歳、闇の生まれたその時は
少しグロがでてきます。苦手な方はご注意ください。
遠くから低い太鼓のような音が聞こえてくる。
殺してしまったという事実とそれに伴う疲労の自覚―――。
多くのことが関連し、セレスティーナの体力と精神力は限界に迫っていた。
目の前から迫る敵にただ機械的に上級魔術を打ち込み続けてもうどれくらいたったのか。
「一旦、ひけーーっ!!」
敵方に大声で下される退却命令にようやくセレスティーナのぼんやりとした頭が反応した。そして、目の前に広がる陣形がすさまじい勢いで変わっていくのに気が付いた。
「これは……?」
まるで何かから逃げるようにして広がり、そして退却する敵陣に眉をひそめる。
「ティーナ」
すぐ横で声がかかる。セレスティーナは驚いて横を向くと、いつの間に下がってきていたのかカーセルが隣に佇んでいた。その顔に刻まれる険しい表情。
「何かおかしいと思わないか」
「えぇ……」
おかしいとは思う、とセレスティーナは小さく呟く。それが聞こえたのか聞こえなかったのか、カーセルはまた黙って敵陣を見つめた。
頭に何かが引っかかっている。まるで大切なことを忘れたような……。
そう思った瞬間、セレスティーナは思い出した。
「っそうだった!」
そう叫ぶと同時に忘れていたことを深く後悔した。
「何かあったのかっ!?」
カーセルは驚きの目でセレスティーナを見つめた。セレスティーナは答えず、黙って森のほうを指差した。
「森……っフィンラたちに何かあったのか!?」
「いえ、今のところはそうではないはず。……今のところは、だけれど」
セレスティーナは最後にそう付け足すと険しい表情で森を見つめた。そして、その瞬間。
轟っと離れていてもすさまじい勢いで炎が燃え上がった。
「っ!!」
「っ!!」
二人は一瞬で反応すると同時に絶句した。
「まさか、さっきのは……!」
「こういうことだったってことかっ」
気づけなかった自分を責めながら二人は叫んだ。そして、同時に最悪のタイミングで敵の伝令が耳に入る。
「援軍だっ!援軍だぞーっ!!」
セレスティーナの顔が蒼白になった。だが、その色もすぐに消えると視線を下に下げ唇をかむ。
「……あぁ、もうっ!」
一言呟くように叫ぶと振り切ったような様子で森ではなく、敵陣へと駆け出す。その表情にあるのは鬼気迫るような必死さ。
「闇球ッ!」
鋭い声で叫ぶと、セレスティーナの隣に一メートルほどの漆黒の球が生まれる。腕を振りかぶり、球を投げつけるようにして放つ。豪速で飛んでいった球は敵陣の中央に着地する。着地地点にいた兵士の何人かが押しつぶされたようだが、たいした被害はもたらせなかった……ように見えた。
「膨張ッ!」
再びセレスティーナの鋭い声が響く。着地地点にあるのは縮まった漆黒の球。だが、セレスティーナの声と共にだんだんと大きさを膨らませる。
「ひっ……」
一人の兵士か、はたまた数人の兵士か。思わず漏らした声に身震いする。
最初は五十センチ程度の大きさだったものがぐんぐんとふくらみ、三メートル級になったとき、初めて兵士が動く。
「うわああああっ!!」
一人の兵士が硬直をぬけ、攻撃を仕掛けたのを幕開けに次々と武器を持ち、セレスティーナの元へ特攻を仕掛けてくるものが出てきた。
だが、泥沼と化した戦場の中で少しずつ削られたセレスティーナの残存魔力量ではこれが最後の魔術になる。当然周りに気を払う余裕などあるはずがない。
「死ねえぇぇぇぇぇっ!!」
それを好機ととったか兵士がついにその首をめがけて剣を振り下ろす。だが。
キンッ
鋭い刃の音が鳴り、その場の時が止まったように動きが止まる。
「え……」
はじかれたことに頭が付いていかないのか、特攻をかけた兵士は呆然と声を漏らす。
そして恐る恐るといった様子で刃をはじいた相手を見る。
「ひ、うへ、うわ、ああああっ!!」
呆然とした声からやがて大きな悲鳴をあげ、武器を持つことも忘れ一目散に逃げ出した。
「来る者があるなら来いっ!相手をしてやる」
刃をはじいたのはカーセルだった。ほんの一瞬の間に人の目の動きを超えた速度で風のように気配を消して動いたのだ。
それを見てはいなくとも感覚的に捉えたのだろう。ついさっきまで目をぎらぎらと光らせて迫ろうとしていた兵士たちはしり込みしていた。
そして、その間にも漆黒の球は大きさを増していった。三メートルを越し、五メートル、七メートル……。そこまで来たとき初めて球の膨張速度が落ちた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
震えながら息をはくセレスティーナがふらりと揺れ、地面に横たわりかける。
「ティーナ!」
そばで支えるようにして立っていたカーセルがあわてて背中に手をまわし受け止める。
セレスティーナの体は力が抜けだらりと片方の腕をたらしていた。だが、もう片方の腕は対照的にしっかりと上へと上げている。
そこまで意思を振り絞るセレスティーナの思いとはいったい何なのか。
「まだ、終わらせない……!」
疲労に息を荒くつき、体に力が入らないこの状況であってさえセレスティーナの瞳に浮かぶ強い意志は弱まってなどおらず、むしろ強くなっていた。
しかし現実は無情にもセレスティーナの体力を奪う。
この状況を好機と捉え、一度はしり込みした攻撃を再開する者がでてきた。カーセルはセレスティーナのそばを離れられないこの状況に歯噛みしつつも、諦めはしなかった。
「来いっ!」
力の強さを超えた何かを感じさせる声でカーセルは叫ぶ。
復讐という名の虚無に瞳を染めた男たちが一気に間合いをつめ、襲い掛かる。
カーセルは鋭い目つきでそれを見切り、片腕一本で剣を振りまわした。
「うおおおおおおおっ!!」
そばに動けぬ魔術師を抱えているとは思えないほどの剣さばきでカーセルは一人ひとりを確実に屠っていく。その瞳にギラリと光る本当の強さ。
あるものはわき腹を切られ、あるものは足を切断され、あるものは胸を一突きにされ、命をすり減らす。
殺さないというルールはもはや存在していない。
殺さなければ殺される。
そんな殺伐とした戦場のルールに呑まれ、消えた。
「来るなら来い!戦場の闘いに卑怯も何もありはせん!」
堂々と言い放ち、カーセルは剣を再度上段に構える。だが、そんなカーセルの背筋を凍るように詰めたいものが駆け抜けた。
「ならば私はその中で決闘を申し込もう」
なめらかなテノール。やわらかい印象を相手に与える声だが、どこか氷のような冷たさをもって響く。
はっとカーセルが振り返るとわずか数メートル先に若い金髪の剣士が佇んでいた。どこか弱々しい印象を相手に与える男は、だがしかし恐ろしいほどの強さをその身に秘める。
「貴様……」
カーセルが憎々しげに呟くのと同時に背後で硬直していた敵陣の本陣の兵士たちがざわりと困惑の声を漏らした。
「まさか、あれは……」
「いや、だがあの声、佇まい……やはり」
「「騎士団長っ!!」」
多くのものがぼそぼそとその名を呟くなかで、数人が声を合わせ叫んだ。
カーセルはその名に驚き、警戒を高めた。金髪の騎士―騎士団長がうっすらと笑みを浮かべる。
「ふふ、やっぱりどこも使えない。でも、貴方は……」
ごく自然な動きで腰に下げていた剣を抜刀すると、中段に構える。軽く前傾姿勢になり、足の筋肉を張り詰めさせる。
「なかなか、使えそうだ!」
そう言い放つと同時、足で地面を蹴り前へと飛び出す。その姿がかすむほどの勢いの突撃に帝国軍の誰もが勝利を確信した。だが。
キンッ
再度高い金属音が鳴り響く。それとほぼ同時にセレスティーナの体が崩れ落ちる。地面に片手をつけてなお、魔術の行使をやめようとしない姿勢は崖の上に咲く花のように凛々しく映った。
キン、キン、キン、と三度刃のぶつかり合う音が響く。両者は位置を少しずつずらし、入れ替わり、攻防を展開する。姿がかすむほどの速さで動き、それを超えた速度で刃を打ち合う。その戦闘は常人の入り込める隙間などわずかもなかった。
ジャリーンッ!!と今までで一番大きな音を鳴らし、両者は肉薄した。
「やっぱり貴方は強い。あれらとは大違いだ」
目を輝かせ語る騎士団長にカーセルはギリリと歯をかみ合わせる。そして、のどの奥から搾り出すような声で答えた。
「……貴様もな」
「それは光栄です」
戦闘前となんら変わらない笑みをうかべ騎士団長も答える。その言葉にカーセルは息を吐いたが、次に放たれた言葉に凍りついた。
「世界最強の騎士にそういわれるとは」
「なっ……」
思わず動きを止めた瞬間、騎士団長は動いた。競り合っていた刃から力を抜き、同時に左手で小太刀を抜く。突然の不意打ちに、その前の発言に気をとられていたカーセルは思わずバランスを崩した。ぐらり、と小さく体勢を崩す。
本来であれば、それは隙とはいえぬほどの隙だっただろう。事実カーセルはバランスをすぐに取り戻したのだから。
だが、実力が拮抗している者同士ではそれは致命的な隙となる。
左手に握られた小太刀が風を切ってうなる。カーセルは身をよじり避けようとしたが、小太刀は確かにカーセルの胸元へと切っ先をむけ―――
トスッ
あまりにも軽い音が響く。刃が肉を断ち、生命の源を貫く。
「カーセルッ!!!!」
地面に膝をつき、うつむいていたはずのセレスティーナが絶望的な悲鳴でその名を呼ぶ。その状況を作り出した当人、騎士団長は相変わらず人をあざ笑うような笑みを浮かべ―――
「許さない……!」
その表情を怒りと憎しみに変え、セレスティーナは立ち上がった。決して動けないはずの状態から、その怒りを糧に、立ち上がる。
騎士団長はその様子にわずかな間、驚いたように目を開いたがすぐに口元に弧を描き瞳に嗤いを映す。
剣を切り払い、左手に握る小太刀をカーセルの胸からひきぬ―こうとして、訝しげに眉を顰めた。
「カー、セル……?」
セレスティーナの呆然とした声がその名を呼ぶ。カーセルは血まみれになりながら、小太刀をつかんでいた。
「っつあ!」
それをもっとも呆然とした顔で見つめていた騎士団長が突然顔をゆがめ、うめいた。ぱっと右手で右腹を抑えたが、それでも抑えることのできない赤黒い液体がドクドクと脈打つように指の隙間から流れ出す。
「おかえし、だ」
カーセルは弱々しく笑うと自分の右胸に刺さった小太刀を一気に引き抜いた。鮮血が辺りに飛び散り、カーセルは荒く息をつく。
「カーセルッ!」
セレスティーナが、その名を呼ぶ。先ほどとは違い、ほんのわずかな希望を乗せながら。
重い体を引きずるようにしてセレスティーナはカーセルの元へとたどり着く。だが、そこまで来たことで緊張の糸が抜けたのかふっと崩れ落ちる。セレスティーナが手を下ろしたことで魔力の供給の途絶えた漆黒の球が急速に縮んでいく。だがその様子を見ているものはいなかった。誰も。
ついに騎士団長は右脇腹の痛みに苦しみながら、どうにか剣を取る。震え、おぼつかない足取りで二人の下へと向かう。そして、剣を振り上げ――
「破裂せよっ!」
上空から、少女の声が響いた。不意を突かれたほぼ全員が思わず上空を見上げる。
最初に目に入ったのは、轟々と燃え盛る蒼さを交えた炎だった。
その光景をバックに佇む少女。
その背に漆黒の翼を生やし、傍らには少年を一人。時折流れる風が、少女の滑らかな黒髪を優雅に滑らせる。手を地上にむけ、その傍らをにらみつける漆黒の瞳。
少女の、ピンク色の唇がゆっくりと弧を描く。瞳に怒りを宿しながら。
誰もが、その少女を知っていた。
「魔王……」
吐息のように呟かれる声は、だがしかし次の時にはかき消される。
漆黒の球が、その色を圧縮するかのように、深い深い闇に染まる。そして、完全なる闇に染まった、刹那。
それまで溜め込んでいた魔力を解放するかのように、漆黒の球が破裂した。
あたりは深淵の闇に包まれる。
音もなく、光もない。多くのものが傷つきまたは死してなお、生き残ったものはその空間に閉じ込められる。
人間の恐怖を誘うその空間で、舞台はついに―――。
帝国軍側 死者数5000 重軽傷者数65000
魔王側 人間? 魔王1 魔? ハーフ?
闇が、生まれた――。
今回は少し短めです。
やっとのことでセレスティーナ側に移りました。
少し時間軸と文字数が合わない気もしますが、是非そこは無数に及ぶ闘いを想像してください。
騎士団長登場です、やっぱ強い騎士団長。口調が誰かと似ています。誰とは言いませんが。
カーセルは歳のせいで少し腕が落ちてます。
漆黒の球の魔術はもちろん物理的攻撃力もあるのですが、どちらかというと暗闇に閉じ込めることが目的のことが多いです。
感想、批評なんでもお待ちしています。星の評価もお待ちしています。
五月二十二日 魔法に関する語彙等を修正