十三歳、それぞれの戦いの始まり
「ごめん、遅れた」
少しばかり青い顔をしてリェコンが入ってきた。その顔に生気はなく、まるでこの世の終わりでも見てきたかのような青さだった。
「だ、大丈夫ですか?」
そのあまりの様子に心配して聞くと、リェコンは黙って頷いた。そして、残っていた最後の席に腰を下ろすと、話すのも辛そうにしていたので、私はさっとまだ口をつけていなかったお茶を渡す。
小さく頭を下げるとリェコンは一気にそれを飲み干した。
そして、ほんの少し楽になった表情で話し出した。
「ありがとう、フィンラちゃん。……さて、外の状況だけど。正直言ってしまうと相当やばいね」
「妨害のほうは?」
祖母がリェコンの様子には気を払いつつも声をかけず、要点のみを問う。
「あまりうまくいってないね。幻影とかを配下の魔たちに手伝ってもらってるけど、さすがにもう魔力がつきそうだ」
普段の彼からは想像もできないほどの弱々しさで、リェコンは首を振る。
それにしても配下の魔とかいたのか。と少し感心した。
「ねぇ、おばあちゃん。このリェコンさんの様子じゃあ引き止め役は無理じゃないかな……?」
「いや、大丈夫だ」
あまりにも心配で祖母にそう聞いたが、意外にもしっかりとした声で答えたのはリェコンだった。
それが本当の『大丈夫』かわからず、私はリェコンをじっと見つめた。
「これは一気に魔力が減ったことの副作用なんだ。魔力回復薬をくれないか?そうすればすぐに治る」
なおも認めようとしない私に言い訳するように言うと、祖母に向けて薬を頼んだ。
「えぇ、いいですよ」
快く祖母は了承すると、少し待ってくださいね、といい奥へと引っ込んでいった。
沈黙が部屋を満たし、同時に小さく聞こえる鉄の音と全く聞こえない鳥の泣き声がこの場の空気を震わせていた。そして、遠くから聞こえるのは密かに進む靴の音。
―――――靴の音?
「っ!」
ガタン、と音を立てて私が席を立つのとリェコンが床に崩れ落ちるのはほぼ同時だった。
「リェコンさんっ!?」
あわてて祖父が抱き起こすと、リェコンは荒く息を吐きながら真っ青な顔で震えていた。冷や汗がタラリ、と背中を伝い、春でありながらどこか蒸し暑く感じさせる空気を一瞬凍らせていった。
震えるリェコンは小さく咳き込みながらも小さく口を開きかすれた声で告げた。
「世界の、狭間が、破られた……」
「っ……くそ!」
告げられたことがどういうことを意味するかを一瞬で悟った私は無意識に口汚く罵っていた。
だが、周りの人々も同じだったようで私の言動を気にする人は誰もいなかった。
世界の狭間が破られたということはもはや隠蔽がきかないのと同じ。まだ少し余裕があったはずの時間はこの一瞬で大きく減っていた。
「遠耳」
一刻の猶予もないと感じた私は普段隠していた魔法を使った。目を閉じ、小さく呟き魔力をこめる。ざわざわとした感触が耳の中に訪れると共に世界の音が蔓延した。
「これじゃ足りない」「母さん、俺がんばるから」「そろそろかな」「魔王め」「殺してやる」「おしゃべりはするなよ」「絶対死なない」「これが終わったら」「黙れっ!」「ハッ!」「申し訳ありません」「動くな!」「あとはっと」「父さんの敵絶対とってやる」「うん、こんなもんかな」
溢れる情報の中から求める音だけを聞き取る。声が次第に引いていき、残ったのは靴が土を踏む音のみ。
位置関係を弄りその音、方角から音の出ているところを突き止める。
すっと目を開く。と同時に遠耳の魔法も解く。世界の喧騒が遠ざかり、この部屋の沈黙が耳になじんだ。
「この場所への進撃あり。方角北北西、距離一キロ程度、人数二十人程度」
静かな口調で謡うように言うと全員の目が鋭く光った。その時、台所のほうから祖母が現れた。
「遅くなりました。リェコンさん、魔力回復薬です」
「あぁ、ありがとう」
言葉少なにお礼を言うとリェコンは瞬く間に薬を飲み干し盛大にため息をついた。そして、一瞬顔を顰めるとすぐに口を開いた。
「魔力回復量が半端ではないな……。何を使っているんだ?」
「何、といわれましても……」
口を開いて最初の一言がそれであったことに一瞬コルティスと私はほっとしたが、すぐに表情を引き締めた。
「それは多分私の魔力量に合わせているからだと思いますよ、リェコンさん。普通の回復薬で私の魔力を回復させるには相当な量が必要となってしまいますから、おばあちゃんが色々と改良を重ねてくれているんです。そんなことはおいておいて」
リェコンの疑問に一言で答え、私は一瞬間をおいて全員を見渡した。
「今は一番近くに迫っている危機に対応するべきです。とりあえず千リセル程度ではあと十分程度でこの場所に到着されてしまいます。その前に手立てを講じるのが先決かと」
密かにリェコンをにらみつけながらもそういうと、全員が小さくしかしはっきりと頷いた。
『全員武器はあるか?』
祖父が口の動きだけで問う。言葉は使わない。相手に魔術師がいた場合つい先ほどの私の魔法と同じような魔術で盗聴されてもおかしくないからだ。
対する私たちも頷きだけで応えると、誰ともなく動き出した。
まるでもともと決めていたかのような動きで二手に分かれると、一方―リェコン、祖父、祖母―は北北西へ、私たち―コルティス、ゴードン、私―は森がある方角、東へと速やかに走り出した。
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私たちは走り出すとすぐに森へと入った。家が森の近くだったことが幸いしてたいした距離もなく、安全に進むことができている。
森に入って少しして、家が木々にさえぎられ見えなくなったころ、ようやく私たちは足を緩めた。
『追っ手はどう?』
口の動きだけでコルティスが聴いてきたので、大丈夫だということを示すために私は声を出して答えた。
「今のところは大丈夫」
ふと答えながら思い出したことがあったので私は特に誰に断ることもなく呟いた。
「探知」
魔力を流し、右目にのみ魔法を発動させる。右目が純粋な赤で光る。それと同時に視界が二つになり一つはそれまでどおりに世界を映していたが、もう一方は真っ赤な世界へと変わっていた。その赤い世界に意識を集中させ周囲を見渡したが、赤さに変化はなかった。
「透視」
もう一つ呟く。魔力を少しずつ調整しながら流す。そして左目にのみ魔法を発動させた。左目が若葉のような翡翠色に光る。赤い世界はそのままに普通の世界が翡翠色へと変わる。木の陰に隠れていた雑草が薄い線になって写った。
「遠目」
最後に呟く。それまでより少し多めに魔力を流す。そして両目に魔法を発動させた。両目がそれまでの色に重ねるようにして澄み渡るような蒼に光る。二つの視界が合わさり、三つ特徴を備えた一つの視界へと変わる。
その視界は誰よりも広く、その視界はすべてを見通し、その視界は狙ったものを逃さない。
「フィンラ?」
警戒の音色を強めた声が私の耳に届いた。振り向くとコルティスが私の瞳を覗き込んでいた。
「あぁ、三つ魔法をね。周囲警戒のためだよ」
そう言いつつも私は両目に流す魔力量を減らし、視界をほぼ通常に戻した。ただし、またかけなおす必要がない程度に魔力は微妙に流しておいたが、それはあえて告げなかった。
「で、ゴードンさん。私たちはこれからどこへ向かうんだっけ」
さらりと話を流し私はゴードンへと聞いた。少し上の空な様子でぼんやりしていたゴードンはその声にびくっと反応し、照れたように頭をかいた。
「あぁ、とりあえず身を隠せるところに行ってそこで他の三人に連絡するんだ」
話を聞いていなかった様子のゴードンを見抜いていたのだろう、コルティスは静かな口調で私の問いに答えた。
「さて、とりあえず身を隠せるところ、ねぇ……」
ため息に混ざって声がもれる。正直そのような場所はそう簡単に見つかるとも思えないのだが。そんな思いが他の二人にもあるのだろう、重々しい沈黙がその場に訪れた。
「……まあ、とりあえず動こうぜ、ずっと止まっていたら逃げられるものも逃げられないしな」
そんな沈黙を破ったのはゴードンだった。それは至極真っ当な意見だったので私たちは頷きのみで答え今までの進行方向と同方向足を向けた。
―――――そのときだった。
小さな、明らかに不自然な物音が静かな空間に木霊した。一瞬で目配せし、私は最小限まで弱めていた魔法を再び強める。
移り変わった視界であたりを見渡すと、驚くほど近くに五人の人影が視えた。
「チッ」
今まで気づけなかった己の失態に小さく舌打ちしながらそれを確認し、見つからないよう魔法を弱めた。
コルティスとゴードンに軽く目配せし、付いて来てと伝えながら私は人影とは離れる形で走り出した。
だが、相手も気づかれたと感じたのだろう。抑えていたはずの足音や物がぶつかる音が格段に増え、同時にその音はぐんぐんと近づいてきた。
「とり逃した奴らか」
相手が確実に私たちの位置を知っているとわかっているため声は遠慮しない。コルティスがぼそりと呟くのを聞きながら私は心の中で同意した。
相手は確かに私たちが来た方向から追ってきている。私たちが来た方向をそのままにまっすぐ伸ばすと敵の本陣が構えてあったところにぶつかる。つまり、相手は追っ手。
帝国軍――――。
ひゅっと耳元で何かがかすめる音がした。視線だけでそれを確認するとそれは矢。
確認すると同時にわき腹にも小さく血が細い線となってにじんでいる。
「壁防御」
舌打ちしたい気持ちを抑えて小さく詠唱すると一瞬私たちの後ろに大きな薄い壁が現れた。光と共に現れたそれは瞬く間に消え、不可視の結界として作動する。
矢があたるたびにほんの少しずつ減っていく魔力に気を向けつつ私たちは先を急いだ。
だが、少しずつ確実に距離は狭められていき、とうとう相手との距離はわずか二十メートルほどになった。
木々が視界の邪魔をし何とか視界に入っていない状況だが、もし開けたところだったらと思うとゾッとする。
その時だった。相手の進みが突然ゆるくなり、間が空き始めた。何かの罠か、と勘繰らせるほどの怪しさだった。
おかしい。
そう思った。だが、そのわけは次の瞬間に状況として答えられた。
「―――――止まってっ!」
本能的に危険を感じ取り私はそう叫んでいた。前を進んでいた二人はその突然の叫びにも戸惑うことなく反応し後ろへと飛び下がっていた。そして二人が私の位置に戻った瞬間。
ついさっきまで二人の体があったところを突如現れた光の爆発が覆いつくした。
「っ――――!」
声にならない悲鳴を上げ私たちはそこで立ち止まってしまった。先ほど相手の進みが遅れたのは魔術師が詠唱をしていたからだったのだ。
ザッ、と靴が地面を踏みつける音が聞こえた。はっとして後ろを振り返るとそこにはぎらついた目で私たちをにらみつける五人の男たち。
「殺す―――――!」
誰ともなく呟かれたそれは明確な殺意と共に私に届いた。その一言にこめられた怨嗟にぞっとしながら私はそろりと腰から短剣を抜いた。
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北北西へと向かったセレスティーナ達はいきなり大きな危機に直面していた。
「おいおい、いくらなんでも人数多すぎだろう」
もはや驚きを通り越して呆れである。カーセルは軽く冗談のように言ったが、その表情には隠せない苦悩がある。それもそのはず、カーセルもセレスティーナも数多くの戦闘を経験してきたがそれはあくまで国同士の小競り合いに過ぎない。多くの国が連合を組み、国混合連合軍などと戦った経験はないのだから。
「全く、ある意味あの子のいっていた大量殲滅って言うのは案外良案だったのかもね」
ため息をつきたくなる気分をぐっと押さえセレスティーナは軽く言う。
「それじゃあ、僕は後ろからの援護。カーセルさんは突っ込んでってかき乱し役、セレスティーナさんは魔法か魔術による大量殲滅って感じでいいのかな?」
お茶らけた様子を隠す気もなくリェコンは言った。その顔に先ほどまで浮かんでいた病気のような青白さはない。
「あぁ、さて行くか」
「そう、ね」
小さく頷きを返すと、その瞬間閃光がひとつ迸った。光の尾を引き敵陣へと突っ込んだカーセルだ。
その動きは現役時代となんら変わらず、小さくほっとセレスティーナは息をついた。
だが、次の瞬間にはセレスティーナの目の前に七つの魔術式が浮かんでいた。
セレスティーナは小さく息を止めると、腕を振り上げた。そして目を一瞬閉じ、また開けた。
「はぁっ!」
掛け声と共に腕を振り下ろすと七つの魔術式が同時に作動する。直径一リセルほどの光弾が次々と発射され敵陣へと飛び込んだ。
人が次々と吹っ飛び、倒れていく。そんな敵陣に無情に光弾は直撃し続ける。それを避けようとした何人かの兵士を横から通り抜ける閃光がなぎ倒す。
「半端じゃない連動だねぇ」
それらを外から傍観していたリェコンは小さく感嘆の声を漏らしていた。
そして、その顔に小さく不敵に笑みを浮かべた。
「だったら僕もがんばらなきゃ、だね」
自然な動作で指を一回鳴らす。すると、リェコンの足元から土が次々と盛り上がりいくつものこぶを造った。リェコンは膝を折ってかがむとそれらに小さく囁いた。
「さぁ、おいき」
慈悲に溢れたその笑みに答えるかのように、こぶは動き出し敵陣へと突入。こぶに足を取られて転倒する人々を遠く眺めながら、リェコンは一人で小さく笑っていた。
帝国軍側、死者数0、重軽傷者数35000。
二人の人間と一人の魔による被害は、とまらない――――。
まずお詫びをば。
諸事情によりパソコンを開く時間がなく更新が大幅に遅れてしまい、本当に申し訳ありませんでした。
一週間ほど?パソコンが開けませんでした。
次回からは一応三日~七日に一度ペースで更新できると思います。
二手に分かれたため場面が入れ替わることが多くなると思います。わかりにくいところもあると思いますがどうぞよろしくお願いします。
感想いただきました。本当にありがとうございます。
感想などお書きいただけるととても嬉しいです。お待ちしております。
三月二十四日 本文を少し改定しました。
五月二十二日 魔法に関する語彙等を修正しました