十一歳、一日の終わり
「ごちそうさまでした」
食事が終わり、家族の談笑がひと段落つき、私たちはそう声を合わせた。
ちなみに夕ご飯はトレコチアではない。あれは夜には食べてはいけないからだ。
「このあとの予定は、っと」
呟き、朝方自分で言ったはずの予定を思い出す。基本的に忘れやすいのだ、自分は。
あぁ、そうだった。
「剣術の体術の鍛錬だったね」
思い出すと同時に普段ほぼ無意識に取り巻いている魔力の漏れを一時的に中に封じ込める。そしてついでに体に掛かっている身体強化魔術を取り消す。ズン、と少し体が重くなったのを感じるがたいした問題ではない。
ご飯を食べた後の運動ははっきり言って体にいいものではないが、そんなこともいっていられない。そもそもこんな予定を立てたのは自分なのだから。
「わかった、では……午後六時三十五分に外庭に集合だ」
「了解!」
元気よく承諾しながら少しばかり数十時間前の自分を責めたくなった。
現時刻六時三十三分。二分で支度を終わらせる。……なかなかに大変な問題だ。
泣き言を言っても始まらないため、とりあえず身支度をする。それ自体はすぐに終わった。今来ている服の上に軽く黒マントを羽織るだけだったからだ。問題は武器だった。
全速力で駆けて武器が閉まってある場所へと向かう。こんなときだけは無駄に広い家が恨めしく思える。
「っ……あった」
古い物置の中でひときわ新しい武器。これが私の武器だ。持ち手は中心が小さく窪み、それが普通の武器ではないことを物語っていた。錐のように細く鋭くとがった刀身は長剣に比べ短く、短剣の分類に入るものだった。光の角度によって波打っているようにも見える短剣は鈍い黒をその身に宿している。
そしてその短剣の銘は黒きにて突き刺す者。そしてその特徴は、
四本で一組であると言う点。
四本のブラック・スターブァーを左右に各二本ずつ腰にある鞘に入れた。ズシリ、とした重さが体に伝わり私は思わず身震いする。これはいったい何の身震いなのか……。
小さく苦笑しながらも全速力で外庭へと急ぐ。
「ギリギリだ、フィンラ」
厳しい声で迎えられたその場所は家の外にある小さな庭だ。踏まれるのに強い植物が多く育っている。
「はい」
ここにくればもはや私は祖父の孫ではない。修行をつけてもらうフィンラだ。
その間にそれ以外の関係も何もない。
「武具の鍛錬に言葉は必要か?否。ただ実践あるのみ」
「ただ心を無にして打ち合え。さすれば」
「「すべてが視えるだろう!!」」
二人同時に叫ぶと動き出す。この鍛錬に魔法、魔術の持ち込みはゼロだ。ただ純粋なる身体能力、知恵、力
がこの場では振るわれる。私たちは二人とも走り出した瞬間に腰から武器を抜く。
祖父―カーセルは無駄のない動きでとてつもない高速で剣を抜きだすと右手で軽くもって疾走する。
対する私は四本のブラック・スターブァーをそれぞれ親指と人差し指、人差し指と中指の間に挟むと一気に引き抜く。そしてその動作によってそれぞれの柄の一番端に着いていた糸のようなものが指の付け根に絡まる。
二人の間は瞬間的に数メートルに縮んだ。そしてその間はぐんぐんと縮まり、二人の体が交差する。
空中で交差したその体。
交差し終わったあとにはカーセルの体には小さな刺し傷が、私の体には薄く血が走っていた。
そのまま足が地面に付く勢いに任せて私はさらに距離をとろうとしたが、カーセルは逆にその反発力を利用して迫ろうとしていた。
「ちっ」
小さく舌打ちすると同時に左右の親指と人差し指で挟んでいたほうのブラック・スターブァーを解き放つ。
放たれた二本の短剣は、小さくも黒い光の尾を引きながらカーセルを阻まんと迫る。
「……ふっ」
鋭くつかれた息と共にカーセルの剣が一閃する。キィン、と高い音を響かせながら二本の短剣はカーセルを避け後方へと飛び立つ。その間にも私はバックステップを踏みながら距離をとっていた。
そしてニヤリと、頬を歪ませた。
シュルシュルと音を立てて何かが舞い戻る。その音に何か不吉な予感が働いたのかカーセルは一直線に迫っていたその体を横へとずらす。
刹那。つい数コンマまえまでカーセルの体があったところを二つの黒き彗星が轟音を立てて通った。
空気が切り裂かれ、近くの木が木っ端微塵になる。そのあまりの威力に一瞬ゾッとしたのかカーセルの動きが鈍った。その一瞬の鈍りを見逃さず私はさらに距離をとらんと大きく跳ねた。
一直線に彗星は進むと私の着地と同時にそばへと迫った。私はその二本の短剣をぴたりとしたタイミングで指で挟む。
一瞬の油断。
それはすぐに目の前に現れた。高速で迫ってきたカーセルに私は気づかず、ほんの一瞬行動が遅れた。
「っ!」
急いで回避するもわずかに間に合わず。光の速さで振り下ろされた剣が私の体を捕らえようと―そうはいかない。ブラック・スターブァーを右手から二本とも投げる。
連続して当たった二つの短剣が剣の軌道をわずかにそらす。そのほんの一瞬の隙に私はマントから針のようなものを五本取り出してカーセルめがけて投げつけた。
「むんっ!」
その武器が何たるかをよく知っているからだろう、稼いだ距離を仕方なく一瞬でゼロに戻す。一方私の投げた針―ピックは直進してやがて重力にしたがって落下した。プスプスプスプスプスッ、と五本のピックが地面に刺さる音がする、と同時にピックが地面に溶けた。そして溶けた場所からは紫色の液体がじわじわと染み出していた。このピックは正確には金属ではない。薄い膜で毒を覆い、それを針状にして相手に投げつけるための一種の暗殺武器なのだ。
ピックが溶ける間にも戦況は刻々と変化する。
「……はっ!」
鋭く息をつき、今度は私から攻撃を仕掛ける。私の得意分野は遠距離攻撃だが、そればかりはできない。
足をすばやく動かし今の私にできる最高速度で駆ける。その道中で私は二本のブラック・スターブァーを投げ捨て、残りの二本を片手に一本ずつ握る。右手は小指のほうから刀身が、左手は親指のほうから刀身が出るように構える。
カーセルも私へと疾走してくる。そして―――
開始後二度めの交差が訪れた。
だが、それは開始直後とは違い、すれ違うことはなかった。二本の短剣と一本の剣が同時にぶつかり、高い金属音を立てる。一瞬ぶつかり、動きを止めるものの直後には剣を離している。二度、三度と剣同士がぶつかり、火花を散らす。
手数で言えば私のほうが有利なわけだが、二刀流というのは予想以上に自由ではない。片方が防がれている間に相手を貫こうともそれはもう片方を放さなければいけない。結果剣の打ち合いは何合にもおよび、やがて私たちは最初の通り強く打ち合い動きを止めた。
ぐぐぐ、と私が押される。力の強さではどうがんばっても負けることがわかっているので長い間はつばぜり合いは続けられない。
「っ……やあっ!」
開始後初めて気合の声を上げると私は片方の短剣でカーセルの剣をはじいた。ちょうど相手の力も利用する形で。押し返していた力がなくなることで一瞬カーセルのバランスが崩れる。ちょうどそこへ私は残りの一本の短剣を突き出す。
―――抜ける!
そう思った。だが、それが間違いだった。
その瞬間カーセルの崩れていたバランスが逆に力として働いたのか、それまでの何倍もの力で私の短剣がはじかれた。そのままの勢いでカーセルの剣は回転の威力も乗せて私へと叩きつけられる。
「くっ!」
必死のステップで避けようとするもわずかな差で間に合わず、私の体はカーセルの剣にぶち当たり吹っ飛んだ。
「あぐっ」
肺から出てしまった空気を新たに求めながら衝撃を受けた胸の辺りを押さえる。ちなみに切られていないのは訓練だからであって、決してカーセルの使っていた剣が模造品だからとかではない。
「勝負ありだな」
チン、と剣を鞘に収める音を響かせながらカーセルは言った。叩きつけられた格好のまま止まっていた私もその声に反応してゆっくりと起き上がる。そのときに打った場所がずきりと痛んだが、それはあとでいいはずだ。
「はい、ありがとうございました」
「うむ、なかなかにいい試合だった」
それが今回の鍛錬の祖父の評価。自分的にも悪くはなかったと思う。ふと周りを見渡すと、太陽は当に地平線に沈んでおり、あたりは夏特有のむわっとした蒸し暑さに包まれていた。
日没までには間に合わなかったかぁ、とひとりごこちるとつい先ほど投げ捨てた二本のブラック・スターブァーを拾いに後方へと戻る。そしてついでに投げたピックが刺さった地面も確認しておくことにした。
紫色のしみが広がっていたそこは今は普通の地面に戻っていた。もともと植物から作り出した毒だ、浄化されるのも早いのだろう。
そう考えて私は短剣を探すことにした。
真後ろには壁しかなかったのでそこに刺さっているものと思ったが当てが外れた。どうやら二本ともその壁を突き破って茂みに入ってしまったらしい。そんなに強く投げたつもりはなかったのだが、厚さ数センチはあるであろう壁に綺麗に穴が開いている。
「ありゃま」
そこから茂みを除いてみると少しばかり間の抜けた声がこぼれた。
短剣が二本ともある蔓に絡めとられている。問題はその蔓だ。蔓は実は先ほど投げた毒の元になっているもので、素手で触ると数分間麻痺してしまう。なかなかそれから無事に短剣を取り返すのは難しいのだが。
「まったく、どういう因果かな……」
苦笑しながらスペルを唱える。
時属性を利用した腐敗魔術である。蔓を腐らせてぼろぼろにするのが一番の対処法なのだ。
案の定、魔術式が現れてその効力を発揮すると見る見るうちに蔓は自然へと帰っていった。
落ちた二本の短剣を不具合がないか確認してから腰に差す。……幸いにもなかった。
ゆっくりと外庭へと戻ると祖父が剣の手入れをしていた。砥石が剣を流れる音が木霊する。静かなひと時を邪魔してはいけない。
そう思い私はそっと屋内へと入った。
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居間へと入るとそこには今日最後の予定―威力コントロールの練習の準備がすでにされていた。
床に広げられた大きめの魔術式の描かれた紙。黒々としたインクで書かれたそれは、魔術式に流した魔力量を知るためものである。
「おばあちゃん?戻ったよ」
水音のする台所へそう声をかけると、水音がとまり足音が聞こえてきた。
「あぁ、わかったわ。じゃあ最後の訓練だけどいいわね?」
「うん」
祖母はそういって傍らに立つと、小さく呟いた。
「接続」
パァッと魔術式が光を放つ。私はその中心へと足を運び、片膝をついた。
魔力を、微妙にコントロールして流す。最初はごく普通に流し、少しずつ量を減らしていく。
「まだ多い……」
そう、私が今やっているのは闇属性の威力コントロール。他の属性は少し練習すれば常人レベルまでコントロールすることができるようになったのだが、闇属性だけはどんなにがんばっても少なくできないのだ。
最初のころはもう魔術式の許容範囲を超えていたが、今はようやくその範囲内に収めることができるようになった程度だ。
「もうちょっと、もうちょっと……」
自分ではもはや存在を感じられるかどうかのところまで魔力を下げるもまだ多い。
まったく、私の魔力量には本当に呆れたくなる。
「そう、それくらい!」
祖母から声がかかりようやく『結構強い魔術師』並みの魔力に抑えられたことがわかる。
正直自分では一ドットも魔力を流していない感覚なのだが。
「そのまま維持して」
維持も何も感じられない、とは言わずしごく微細なその感覚に全神経を集中させる。
「そこで魔術っ!」
「闇」
最も簡単に放てる魔術にして、こめられた魔力量が純粋に出る魔術。
口を震わすようにして唱えると、目の前に直径三十センチほどの黒い球体が表れる。
「いいわよ」
体中を緊張させていた私はその一言で体の力を抜く。それと同時に球体も消えた。
体中にまた、魔力がいきわたる感覚がした。それと同時に無詠唱で身体強化の魔法を弱くかける。
「う~ん、まだコントロールに時間が掛かるわね。あと半分くらいの速さで何とかなるといいんだけど」
「それはなかなか難しいよ。特に闇は威力が半端じゃないから」
苦笑を伴いながらそういうと、心の中で自分の魔力も、と付け足す。
「そうねぇ。まぁ今日はこれくらいにしておきましょうか。明日は早いの?」
その言葉を聴いてほっとした。一日の訓練の中で一番精神力を使うのがこれなのだ。
気の疲れは否定できない。
「いや、今日と同じくらいかな」
簡単に答えながら私は念願の風呂へと足を向ける。一日の疲れを落とし、また明日から始まる
守るための訓練をするために。
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下でまた、少しばかりの談笑をして布団に入るともう時刻は午後九時半だった。
ふわり、とこみ上げてきたあくびをかみ殺し、布団の中でごろりと寝返りをうつ。
とじていたまぶたを開けると、そこは変わらないいつもの天井。
私はまたそっと目を閉じた。
明日からまた始まるいつもを夢に見ながら。
やっと十一歳編終わりです!
三日に一度投稿が途絶えました……。やはり無理があったようで。
次で序章最後の年齢となります、多分。
話数的には……未知です。
感想批評、誤字脱字等々何でもお待ちしております!
五月二十二日 魔法に関する語彙を修正しました