十一歳、心の重しと癒しの時
「ただいま」
言葉少なに帰宅を告げる。全速力で飛んだことで予定よりも早く帰ってくることができた。普段ならここで居間に顔を出してその日話されたことなどを話すものだが、今日ばかりはそんな気分になることができなかったので、帰ってきたその足で自分の部屋へ向かった。
鞄を床に下ろしドサリとベッドに横たわる。
まだ何かがついているきがして私は自分の体をぎゅっと丸めた。
「何が、あったんだろう……」
だれも聞いているはずのない空間に問いを放つ。その行為に意味がないことはわかっていたが、それでも呟かずにはいられなかった。どこか真剣味をいつも以上にましたリェコンがあまりにも脆く見えたこと。最後にいわれた言葉の意味。そして聴いた、リェコンの震えた嗚咽。あまりにも驚いたことが多すぎた。リェコンとはすでに二年の付き合いになるが彼のそんな姿を見るのは初めてだった。それはまるで漆黒の魔の王と彼の関係を示しているようでもあった。
『彼女もまた、少女なのだよ』
彼が最後に言った一言が妙に耳に残る。その残滓をこそぎ落とすため、というわけではないのだが私は無性に風呂に入りたくなった。暖かい湯船につかり、体中を清めればきっと今日の嫌な感じも忘れられるはずだ。―――――たとえそれが仮初のものだったとしても。
「ふぅ……」
だがそこまで魔力も葛藤していないこの状態で風呂に入るのは非効率極まりない。それを理解しているからこそ実際の行動を起こさないわけなのだが。
倒れこんだ体を嫌々ながらおこすと、わずかに立ちくらみが襲ってくる。一瞬視界がどす黒く染まりやがて本来の視界を取り戻していく。数秒かけてそれが終わると私はまた倒れこみたい衝動に駆られつつも渋々階下へと足を運ぶ。帰ってきてしまったからには術式論理の勉強をせざるを得ないし、そのためには教えてくれる人間が必要なのだ。
「……やっぱりゆっくり帰ってくればよかったかな」
不真面目なことを柄にもなく言いながら階段を一段ずつ下りる。
「おかえり、フィンラ」
ドアを開けた瞬間待ち受けていたのは祖母の笑顔だった。いつもと違うその様子に不安を抱きながらも詮索してこないところに私はホッと安心した。
「ただいま。……術式論理もう教えてもらってもいいかな」
私自身話したくないということを伝えるために即刻次のことをふる。そんな私の様子にわずかにぴくりと眉を動かしかけながらもすぐに優しげな微笑を浮かべて答えるところはやはりすごいと思う。
「えぇ、いいわよ。今日は……あぁ、立体術式と平面術式の威力と時間、だったわね?」
「うん、そうだよ」
首を振って肯定する。胸に残るもやもやはいまだ消えないが、今はこの話に集中したい、そんな私の思いが伝わったのだろうか。祖母が話し始めると少しずつもやもやは私の感覚からなくなっていった。
「立体術式と平面術式は一言で言ってしまえば掛かる時間が平面術式のほうが短い代わりに威力は立体術式のほうが大きいという関係よ。どちらも言ってしまえば一長一短だから、その場に応じた使い分けが重要……って話がずれたわね。立体術式は平面術式の組み合わせでできる術式のこと。だから逆に言ってしまうと平面術式ができなければ立体術式もできないってことね。ただ単に威力をあげるだけなら同じ平面術式を何個かあわせればいいけど、立体術式の真のメリットはそこじゃない。う~ん、例えばフィンラ。貴女は紫電を使うとき何の魔法を使う?」
「え、右手で『雷魔術』左手で『化魔術』を発動させてそれをあわせるけど……あっ」
言いかけてふと祖母が言いたいことがわかった気がした。つまりこういうことだ。
平面術式では左手と右手の両方を使って紫電を発生させるが、空間術式はその限りではない。なぜなら一つの術式に複数の平面術式をこめることができるから。つまり……。
「平面術式の倍の魔術を一度に使えるって言うこと?」
頭の中で整理し、出た答えをそのまま告げると祖母は嬉しそうに笑うと大きく首を縦に振った。
「その通り。答えは出たみたいだけど一応説明するわね。平面術式なら右手と左手と両方使わなければ発動させることのできない紫電を立体術式なら片方の手で発生させることができる。それこそが立体術式の真のメリット。と、同時に立体術式は多くの研究者の研究対象でもあるの。なぜかわかる?」
難しい問題だ。
研究者は普通すでにわかっていることに対しては興味を抱かない。そんな研究者達がなぜ多く課題に設定しているのか。未知を求め、既知を作る彼らはなぜ。
「新しい魔術が生まれる可能性があるから?」
「大正解」
ふと思いついた答えを呟くと意外にも祖母は大きくうなずいた。
「その魔術の生み方については色々と説はあるんだけど結局明確にはなっていないのよ。だから研究者達はほんの少しずつ角度を変えたりして新しい魔術を生み出そうとやっきになってるっていうわけ」
かすかに肩をすくませてそういう祖母に私はわずかな違和感を覚えた。どこか祖母がその研究者達を嫌っているというか、避けているというか、そんな感じを覚えた。
「へぇ~」
「さて、さっき言ったことからも推測することができるけど立体術式を使うには平面術式を配置する角度や位置も重要になってくるの。……ちなみにフィンラ、今はなんとなく魔力のごり押しで何とかなってるけど、今のうちに魔法じゃなくて魔術を使えるようになっておかないと後々困るわよ」
「うっ」
図星だった。
ほぼ無限といっていいほどの魔力量がいまだに増え続けている私だが、いつそれが尽きるとも限らないしいつでもこのとんでもない魔力量で出歩くことはできないだろう。確実に誰かに見つかると断言できる。そのためにも少ない魔力で多くの成果を生み出せる魔術を使えるようになるのは必須だった。
魔法のほうが使い勝手というか、使い方が大雑把でいいので好みではあるのだが。
「……わかったぁ」
落ち込み気味に私が答えると苦笑して祖母は言った。
「ま、すぐに覚えられるでしょう。それぞれの使い方とか作り方とかは朝の魔術練の時にでもやりましょうね。まぁきっとすぐにできるわよ」
「うぅ、そうだといいんだけどなぁ」
九割がた本音でぼやくとすぐに、二年で私を負かした貴女が何を言うの、と反論されてしまった。
言い返せないがために辛い。
「まぁ今日はここまででいいわ。お疲れ様」
「ありがとうございました」
小さくお辞儀すると同時に感謝を告げる。胸にはもうもやもやなど残っていなかった。
ちらりと時計を確認すれば午後五時三十分程度。夕飯は六時からだから三十分ほどは時間がある。
よしっ、と軽くひとりでガッツポーズを決める。
「ま、あとは六時まで自由にしてなさいな。ただしちゃんと戻ってきてね」
「わかったわかった」
軽く返事をしながら自分の部屋へと階段を上る。その音は、下ってきたときよりもずっと明るく弾んでいた。
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「よしっ!」
部屋に戻ってから一声気合を入れると手を前に突き出し魔術を使うため、詠唱をする。
「我求む。我が創りし世界への扉。歪みたまえ、世界よ。狭間に溢れし世界とつなぐ裂け目をこの場に作りたまえ。世界をつなぐ扉!」
手の中心から魔術式が生まれ拡大されていく、と同時に体の中から魔力がどっと抜ける感覚が訪れる。総魔力量の三割ほどではあるが、自分の持つ魔力量の異常性を考えるとこんなことをするのは自分くらいだろうな、と想像する。
魔術式が発光し始め、中心が大きく口を開ける。そして私はその中へ、堂々と戸惑うことなく入っていった。
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真っ白な空間。
はじめに来たときは不気味とも思えた景色だが、利用し始めてもう一年少したつ今では慣れ親しんだ暖かい場所とも感じられる。
最近では真っ黒に変えようかとも思っている。
地面もなく、空もない。上も下もわからないこの空間―世界で私は魔術の練習をしている。というのもなぜかというと、はじめて向こうの世界でやろうとしかけたときに、ほんの少し―精々が小石を凍らせる程度―しか魔力を出していないつもりだったのに危なく二階部分全体を凍らせかけてしまい、あわてて解除するもあまりのコントロールのへたくそさにげんなりしたからだ。
そのため私はほとんど影響の出ない世界を数ヶ月間にわたって調べたのだが、全く見つからず仕方ないので自分で創った、というわけだ。
正直言って世界を創るのは半端ではない魔力が必要だった。ほんの小さな世界を創ったにもかかわらずその時あった魔力量のほぼすべてを持っていかれた。
とまぁ創るまでに大変な労力を費やしたわけなのだが、それだけあって私はこの世界を気に入っている。
「さってと。今日は複数炎弾でもやろうかな」
自分以外誰もいない世界であるがゆえに独り言も気にすることなく言える。
一年間の努力の成果か、今では低級~中級魔術までは暴走させることなく普通に発動させることができるようになった。そのため最近では複数形に挑戦している。
「炎の弾」
基本的には詠唱破棄で魔術は行う。ちなみにこの魔法の場合、詠唱すると
『我求むはすべてを焼く炎なり。その炎は弾となりて彼の者を貫く。導きは我が手に、軌跡を描いて飛びたまえ。炎の弾』
となる。あまりに長ったらしいために嫌になったのが原因である。
詠唱は基本的にイメージなので言葉が微妙に違っていても特に大きな問題はない。
私の詠唱破棄の魔術に反応してひとつの炎弾が姿を現す。それを確認すると私は炎の弾を展開させている紅い魔術式にさらに魔力を通す。
魔力をこめられた魔術式は次々と炎の弾を空中へと作り出す。
その数が十を超えたときに、私は魔力をこめるのをやめた。それと同時に発生は収まりそれぞれは空中で待機した状態で停止する。私は魔術式をそのままに人差し指だけを伸ばした手を上に振り上げ、叫んだ。
「発射!」
叫ぶと同時に腕を振り下ろし標的へと指をさす。ビュビュン、と風を切る音を響かせながら十余の炎弾が一斉に発射された。一つ一つが小さく弧を描きながら少しずつ円形状へと形態が変化する。
と、不意に一つの炎弾が制御をはずれあらぬ方向へと飛んだ。
「っ!」
思わぬ失敗におもわず息を止める。外れた一つ以外の炎弾を一気に直線的に飛ばすと外れた一つの炎弾を形態内へと戻すため意識を向ける。ギャンッ、と音を立ててその炎弾はとまると急角度で曲がり本来の形態へと戻った。ホッと息をつくまもなく他の炎弾がわずかに軌道からずれる。しまった、と思う間もなくついに炎弾は標的へと激突した。
「うわっ!」
爆発音を立ててもうもうとたちあがる煙に思わず声を上げる。
少し時間がたち、見え始めた標的へと恐る恐る目をむけると。
「あちゃー……」
ぶつかったときにできたのだろう穴が約七ヶ所。ばらばらな形に付いたそれは、制御がうまくいかなかったことをありありと示していた。本来ならば十数ヶ所の穴が円形状にできるはずだった。要するにだ。
「はずれ三発、制御ミス七発、いや八発か……」
まずまずの結果、とはいえないが悪くはない、と心の中で言い訳をする。
魔法だったら九十九%綺麗な円形ができあがっていただろう。そういう意味ではやはりまだ魔術のほうは未熟なのだろう。ふと本来の世界と同期している時間を見ると、午後五時五十七分を示している。
「そろそろ戻るかな」
とりあえずの今日の成果としては炎弾の制御の練習ができたことか、と思う。できれば近いうちに氷の槍の複数にも挑戦したいところなのだが……。
「世界をつなぐ扉」
もともとつないである空間なので魔力消費は激しくない。そのため行きは詠唱をするものの、帰りは詠唱破棄で戻るのだ。来たときと同じ、光り輝く魔術式が現れ、その中心の口を大きく開ける。私がその穴を通ると世界の入り口は消え、その世界には生命体反応は消えた。
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戻ってきてから二度目の階下へと降りる階段を下りながら、私は思った。
―――――もっと、もっと強く。
「フィンラー?ご飯できたわよー!」
食卓から届く温かい声が思いを遮る。
―――――今は、まだいい。温かいあの手がそばにある限り。
口が弧を描くのを感じながら私は弾んだ足音で階下の床を踏んだ。
なぜか最近指がノッている。
ちょっとだけ説明回とちょっと心情回。
魔法と魔術を分けてみました。実は十一歳編の第一話でフィンラが使っているのは魔法のほうです。大まかな違いは詠唱が必要かどうか、術式があるかどうかです。
魔術は初級~超上級くらいに分けられていて、炎の弾と氷の槍はどちらも初級魔術にあたります。ただしその術者自身の魔力で大きく威力が変化するため……(笑)なことになります。
感想批評誤字脱字等々、お待ちしております。
五月二十二日 本文中の魔法に関する語彙を訂正しました