幸せとは
どうした訳か幸せだ。ただ、目を覚まし半身を持ち上げ眠たい目をこする動作が幸せだ。ベッドから降りてスリッパを履く動作が幸せだ。スッと部屋をでると廊下だ、幸せだ。歩く、という動作を全身で感じ取り、生きていることを実感する、幸せだ。窓の外には桜の木が見え、梢には小鳥がとまってチュンチュン喉を鳴らしている、幸せだ。外に出てみる、寒風と暖風のまだ渾然一体とした空気を吸い込む、幸せだ。外庭のタイルの色が濃いところだけを歩いてみる、幸せだ。先程見た小鳥は雀のようだ、もうそんな時期なのだな、しばらくぶりの外模様だ、ああ幸せだ。ふと気がつけば一人の少年が壁に向かってサッカーボールを蹴っている、若々しい精気溢れる光景だ、幸せだ。私は声をかけてみた。
「やぶはぁ、おずびぃさぁんと・・・ッカー・・・しな・・・か・・・」
「いいよ」
元気な返事だ、最近の少年は思っていたのとは違って素直だ、これは幸せなことだ。少年は、それ、とボールをけって渡した、私は心地良いボールを蹴る律動に身を震わせた、幸せだ。そして、私は膝をついた、ああなんて幸せなのだろう。
「おじさん、大丈夫」
私はこくりと頷いた、大丈夫だ、幸せなんだ、だけど体が動かない、口も舌も思うように動かせなくて声も出ない、でも幸せなんだ。これはどうして。私は幸せ。
「おじさん」
「ゲボ」
目の前に真紅の光景がある。うっかり私はそれを手のひらいっぱいに受け取ってしまった。これは私の一部だったものだ。しかし、何故これが私の外に出てきたのだろう。幸せなのに、これのせいでなにか違う気がしてくる。
「大丈夫、おじさん」
少年の顔は真っ青に、私はこくりと頷いた。しかし、私の胸の奥にあるものがそうはさせない。私は白目を剥いて激しく上下運動を始めた。でも、幸せだと言える、確信できる。これはどうして。私は幸せ。次第に発作が落ち着くと、私は力を込めて立ち上がる。少年は建物の中へ入っていった。しかし、私は歩み進む。もっと向こうまで、できるだけ建物から遠ざかりたい、私は自由なんだ、幸せなんだ。
どうしてだろう。私は立ち止まる。幸せな私は何を目的に生きているのだろう。体内の様々な流れが一度停止したように思える。そして、何事もなかったかのように進み出す。止まる。動き出す。繰り返し。私は生きている、かろうじて生きている。けれどもこれは幸せなことだろうか。幸せとはいったい。春一番がびゅうと私を通り抜けると不意に私は何かを悟った。これが私に残された最後の、本当の幸せ、なのだ。私は階段の数段高いところから低いところへダイブして、頭蓋骨を割り、一部を垂れ流しながら、本当の意味ですべてを悟った。これは不条理。
「苦しみが幸せに感じる薬は倫理的に問題を抱えているようです」
「そうですね、あまりに効能が単純すぎました」
「ホスピス医療に役立てると思ったのですが」