降り積もる雪
この作品は戦争などのイメージから出来ています。架空戦争物語ですので、多少なりとも戦闘行為や“殺し”という行為の表現が出てきます。
そういったものが苦手な方はUターンをオススメします。それでも大丈夫な方は、どうぞ!
知らなかったんだ……
永遠と振り続ける真っ白い物体が、“雪”という代物だったとは。
吐き出す息が白く染まる大地。いくら着込んでも足りないほど肌寒さを感じ、俺は無意識のうちに体を擦っていた。着込んでいるわけではない。真っ白に積もった大地の上に、半そで半ズボンという格好で突っ立っているだけだ。もうすぐ召集してくる声を待ちながら。
「全て終了したな。集まれ、帰還する!」
耳障りな無機質な声を合図に、あたりに散らばっていた俺たちは一点へと集まっていく。俺たちは奴隷だ。他者が他者を支配している時代。世界は戦争という一色だけを塗りつぶした世界だった。その中で、戦闘に使用できる奴隷は貴重で、最も数が少ない。その中でも少数精鋭として選ばれた俺たちは、自分の命は無いに等しかった。希少ではあるが、それでも俺たちは道具の一つでしかない。戦で一人が死ねば、次に新しい人員が用意されるだけ。戦場では自分たちの命はもちろん、偉そうに命令してくるボンクラどもも守ってやらなければならない。もし、命令に背けば、首につけられた特殊な玩具が爆発する。任務での掟はただ一つ。己の上官を身を挺して守ること。それに逆らえないようにするため、小型爆弾がつけられているのだ。
「……日のエリア……終了いた……はい、これから……向かい……」
嫌いな上官の声が厚い鉄を通り越して小さく聞えてくる。切れ切れにしか聞えないため、内容を把握することは難しい。けれど、毎度同じ台詞を言っているため、大体予想できる。
『今日のエリアを確保。無事に終了いたしました。はい、これから新たな戦地に向かいます』
きっとこんな台詞だ。俺たちの休息時間は移動しているこの時間しかない。戦地につけば、扉が開く。それが最初の合図だ。素早く車から下り、前方へと向かっていく。すると、倒すべき敵軍の姿が見える。それを、今ここにいる人数だけで倒すのだ。もちろん、一人たりとも逃せば、俺たちの中から罰を受ける者が出るだけ。さきほどの戦地では二人の同胞をなくした。五人しかいなかったメンバーは俺を含め残り三人。五人でも余っていたスペースがかなり広くなった。
「……」
車の中での会話は許されない。もちろん、日常生活においても必要以上の会話は禁止されている。小型爆弾の首輪には盗聴器も入っており、四六時中監視下のもとにあるわけだ。逃げようと策略したところで、首輪にしかけられた発信機も入っているため、居場所などすぐさまバレてしまう。逃げ出そうと思うならこの首輪を取ってからだ。そうすれば、後は楽に抜け出せる。収容所に居る奴らや俺たちを連れまわす上官たちはどいつも鈍刀同然だ。三流の剣士が一流の剣士と戦うようなもの。一瞬で片がつく。
「……に着いた……」
耳に届いた微かな声に、耳がピクリと動いた。声の後に車が停止する。その衝動に、沈んでいた仲間の頭が上がる。すぐにでも戦闘態勢に入る奴もいた。扉が開いた瞬間が戦闘開始の合図だ。
「いけ」
短い命令を受け、俺たちはいっせいに飛び出した。すでに火の手が上がっている。あちらこちらから火柱が上がり、周囲は真っ赤に染まっている。日と火薬の匂いが鼻孔をくすぐる。数メートルしか箸ってないのに血の匂いもしてきた。水溜りのような血溜りに足がつくが、構わず走り抜けていく。前方に敵の姿を見つけたからだ。目だけで周囲の状況を見ると、すでに戦闘が始まっているとこがある。仲間が傷つき、傷つけられていく。それでも俺たちは立ち止まって、仲間を愁いている暇はない。そんなことよりも、一人でも多くの敵を倒さなければならないのだ。
「前方に敵を二人発見。戦闘へと入る」
誰に話すでもなく小声で状況を話す。首輪を通して俺の声は上官の耳に届く。それは上官から本部へと伝えられ、俺たちの成長記録へと記されていく。俺たちの健康状態はもちろん、全て管理されている。それが俺たちの普通であり、日常なんだ。
前方に見えていた敵が攻撃可能な範囲にまで近づいた。俺は地面を蹴り、一気に間合いを詰める。相手は携帯していた銃を俺へと向け、何の躊躇いなく発砲してきた。それを空中で体を傾けてかわし、地面へと手をついた。それを支えに、足を回す。両足に感触があった。それと、体が崩れる音。
「二人撃破。周囲に気配あり。再度、戦闘行為を続行」
所々で爆発音が響きながらも、自分に向けられる殺気はよく分かる。戦場ではいつもそうだ。誰かに恨みを買った覚えは無い。けれど、戦場ではそれが当たり前だった。殺せば殺すほど、敵軍からの殺気は募っていく。変わることのない悪循環。しかし、その渦に身を置くことを気にしている場合ではない。殺らなければ殺られるだけ。そして、俺たちにとって失敗は死も同然のことだった。俺たちも、生きるために殺しているんだ。
反射のように体が攻撃を防いでは反撃する。それはすでに呼吸のようなもので。躊躇うという一瞬の間すらない。
そうしていけば、戦闘はあっという間に終了していた。気付いたときにはたくさんの死体の上に、俺はいた。地面とは違う感触に眉を顰めるが、どうということではない。こういった感触すら、日常の一つだ。
自分の無機質な音が宙に舞う。その音が静まり、俺は死体の山から足を退けた。
「?」
すると、もう感じないはずの気配を感じた。敵意がある殺気ではない。けれど、確かに感じる人の気配。俺は人の死体からさほど遠くない場所に、少女の姿を見つけた。戦場で小さな、しかも女の子など見たことがなかった。けれど、性別の判断ぐらいは出来た。殺すという行為に変わりはないけれど、俺たちの中にも女はいる。だからであろう。女という存在を知らされていた。
少女は、怯えた色を露にした表情で俺を見ていた。少女の肩はガタガタと大きく揺れ、手に持っているヌイグルミが地面へと落下する。
「……修正。子どもを発見、性別は女。これから……処理しにかかる」
震える少女に、明らかに俺へと向ける恐怖を感じていながら、それでも何の動揺も感じない。一歩近づけば、一歩下がる。しかし、俺たちの距離は確実に縮まっていた。よく見れば、少女はワンピース一つしか身につけていない。むき出しの肩や足、手の先が真っ赤に染まっている。血が出ているわけではない。寒さのために、肌の色が変わっているのだ。互いの吐く息が白い。同じ空間、同じ時間に存在するはずなのに、俺には実感がわかない。寒さも感じるけれど、俺が感じている寒さは、果たして目の前の少女と同じものであるのだろうか。
「あ……あぁっ……」
喉に引っ掛かるような音しか、目の前の少女は出していない。恐怖のために喉が凍り、きちんと喋れないのだ。それでも、俺の中に戸惑うという感情は芽生えてこない。俺に気付かれた時点で、少女の運命は決まっていた。たとえ、この先長い時間があろうとも、俺たちに見つかった時点で、この少女は死ぬ運命を辿ってしまう。
腰に差してあった短刀を取り出し、少女の首へと手をかける。少女は引きつった声を何度も出しながら、しかし、決して悲鳴へと変わることはなかった。刃が牙を剥き、少女の細い首元を引き裂く。それは確かな手ごたえと、目の前に広がる鮮血で分かった。これは幻でも、夢でもなんでもない。紛れもない現実。
「目的達成。これより帰還する」
嫌になるほど耳障りな自分の音が、シンと静まり返る空間の中で響いている気がした。それこそ錯覚だというのに、俺はそのことが妙に気にかかった。いつもと変わらなかったはずの日常に、最初に浮んだ疑問。
“俺はなぜ、少女を殺した?”
それまで意図的に排除していた感情が、疑問が、堰を切ったようにあふれ出してきた。何も知らないはずなのに少女の姿が目に焼きついている。笑っている顔など、分かるはずがない。分かるのは、殺す前に見た恐怖に顔を引きつらせた顔。彼女は自分が殺されることを悟り、そして必死に呼んでいた。引きつった声で何度も、彼らの名前を呼んでいたのだ。
『……ぱぱ、まま……』
何ともか細く、何とも儚い声。無機質な自分の声とは真逆に、色のついた声。彼女の声が、モノクロだった俺の世界に、色を呼び起こした。
ハッと我に返ったとき、俺は足を止めていた。殺してしまった少女と、それほど離れていない場所で、俺はジッと突っ立っていたのだ。振り向けば、地面に転がる少女の死体。真っ赤に染まる大地が彼女の墓場であるように、それは真っ白な大地の上にある。血溜まりの側には、少女が持っていた兎のヌイグルミが落ちていた。
「……――……」
不意に、自分の口から何かが出た。それは声だったのかもしれない。それとも、いつもと変わらない無機質な音だったのかもしれない。けれど、それは確かに俺の口から発したものだった。そして、視界がぼやけ、瞳からも何かが流れていく。手で触ると、それは水らしく、指先につけて舐めてみると塩辛い味がした。その正体を教えてくれる人物は誰もいない。それが何なのか、何故溢れて流れていくのか分からなかった。それでも、今まで感じたことのない何かが胸の辺りを締め付ける。戦闘で負った傷よりも、数倍も数十倍も痛む。その治し方すら、俺は知らない。
痛み続ける胸に手を置き、服を鷲掴んだ。血が流れているわけでもない。怪我もしていない。けれど、ずっと痛み続ける。
“この痛みは、いったいなんだ?”
彼女が呼んでいた名前は、彼女にとってどんな存在だったのだろうか。分かるはずもないその答えを、俺は探していた。俺の記憶に残るのは、冷たい収容所に冷たい指揮官。毎日続く特訓に、耐え切れずに死んでいく同世代の奴隷たち。生き残るには、厳しい訓練を耐え、命令に背かないこと。そうすれば、少なくとも首に仕掛けられた爆弾が爆発することはない。それでも、戦場ではいつ死ぬか分からない。
「はぁぁぁぁっ!」
「っ!」
物思いにふけっているときだった。そのせいで、いつもなら気付けた気配に、全く反応できなかった。殲滅したはずの軍の生き残りが、慢心相違の体で俺に切りかかってきたんだ。俺はその攻撃に反応が遅れ、突き出された剣に体を貫かれた。一瞬の遅れが死へと繋がる。それは、戦場では当たり前のこと。
「仇は……とったぞ、ナナっ……」
男の声が耳に届いた。その名前に、俺はさきほどの女の子のことを思い出した。彼女の名前は、そんな名前だったのかもしれない。それとも、他の子どもだろうか。戦場ではどんな人間も殺してきた。赤ん坊から老人まで。だから、今更さきほどの少女のことなど、気にする必要はない。けれど、どこかで思っている自分がいる。あの子の名が、その“ナナ”という名ならいいのに。それなら、俺は殺られたことに意味をもてる。無駄に死んだわけじゃない。先ほど殺した少女の仇という存在で消えていける。無駄死ににはならない。けれど、結局操り人形のまま死んでいくことに変わりはなかった。奴らの命のままに動き、殺し、殺されていく。
刺されてさほど時間は経っていない。しかし、誰かが自分の側に寄ってくる気配を感じた。ぼやけている視界に、嫌な姿が入ってきた。それは見慣れた帽子と軍服。俺たちをこの戦場へと導いた指揮官の一人だ。俺からの連絡が来なくなったので、様子を見にきたのだろう。
「ちっ……コイツはもう駄目だな。能力的にも高いやつだったが……ま、死んじまったらどうにもならないか。奴隷はいくらでもいる」
最後の最後に、こいつの顔を思いっきり殴ってやりたかった。どうせ死ぬ運命に変わりはない。ならば死ぬ前に、こいつの顔を殴って、そして言ってやりたい。
『俺たちは奴隷なんかじゃない! お前たちの操り人形じゃないんだ!』
そう言ってやりたかった。けれど、視界もぼやけ、腕を上げる力すら残っていない。治療すれば生きれるかもしれない怪我でも、俺たちにはその治療すら施されない。俺たちは道具としか見られていないからだ。それに、今この戦場に医療をできる人間はいない。どうにもならないことだった。
「それにしても、この地方は寒いな。雪までこんなに降り積もりやがって……早く帰りてぇ」
指揮官の言葉が頭で引っ掛かった。俺は『雪』という存在をしらない。けれど、いつも踏みしめる大地と違い、この大地は真っ白の物体で覆われていた。そして、空からは常に冷たく白い物体が降っていた。それが雪というものだったのだろう。その正体が分かったとたん、体を包む冷たさを感じた。もう死ぬ瞬間がきたのだろうか。俺の意識は、もうもたないということだろうか。しかし、意外なほど頭の中はすっきりしている。視界はぼやけ、体を巡る痛みも、まだ分かった。俺の意識は、あとどれほどもつのだろうか。この降り続ける雪に埋まる頃には、死んでいるのだろうか。柄にもなく、たくさんのことに想いを馳せることが出来た。それがおかしくて、フッと口元が笑う。その変化を、指揮官は気付きもしない。最後に見る顔が、指揮官だなんて冗談じゃない。俺は視界の隅から指揮官の顔を避けると、眼前に広がる空から振り続ける雪という存在を見つめた。この存在は、俺に似ている。そう思ってしまった。体を包む冷たさも、ただ静かに降り続けるその姿も。まるで、俺の一生のようだ。
「…………」
声は出ない。口だけが動いた音のない言葉。それを最後に、俺の意識は深い闇へと沈んでいった。
その土地は変わらずに、雪が降っていた。真っ白な大地は真っ赤な血で染まっている。幾人もの血が流れ、その大地を赤く染めていた。そこに小さな少年の姿があった。胸に大きな穴が開いていることから致命傷なのは間違いないだろう。周辺に転がっている遺体は恐怖に顔を引きつらせていたが、少年だけは違った。どこか満足気な表情をしている。なぜ、満足そうな顔をしているのか。それは、その戦場にいる誰にも知らない。彼の死は、戦での一つの死でしかなかった。
THE END_