第8話 ただのマリー
俺は逃げた。
泣きじゃくるマリーが怖かったので、見なかったことにして小屋に戻ってドアを閉めた。しかし。
「なんで逃げるんですかーーっ! 普通に考えてこの状態の女の子を放置します!? どんな教育受けてきたんですかこの鬼畜男!」
「うわ……」
マリーは泣きながら閉まる寸前のドアに体をねじ込み、強引に押し入ってきた。
小屋の壁際まで下がった俺を追い込むように、マリーは再び詰め寄ってくる。
他人が近い。初対面が近い。しかも女の子だ。
俺は恐怖でガタガタと震えた。
「はあ……はあ……言ってください」
「え……?」
「「どうしたの? 俺でよければ話聞こうか」って、最大限の気遣いを込めて優しく甘くささやくよーにっ! 言ってください!」
俺はしどろもどろになりながら、どうにか言葉を絞り出した。
「あの、怖いんで帰ってください……」
「――つまりこのまま私に死ねというんですか」
「はい?」
やばい。怖い。話が通じない。誰か助けて。
するとマリーは、確信を持った声音でこう言った。
「あなたが、倒したんですよね。魔王とその配下を」
どうして、彼女が知っているのだろう。
誰にもしゃべっていない、というか、しゃべれなかったのに。
「あなたがあり得ない活躍したせいで私、とんでもないことになってるんですよっっ‼」
そして怒涛の剣幕で、彼女は自分に何が起きたのか、それが俺にどういう関係があるのかを語り始めたのだった。
※ ※ ※ ※ ※
「私、ただの普通の町娘だったんです――」
私はマリエルテ=ラベドワイエル。通称、マリー。
生まれつき、漆黒と銀の二色の髪、白すぎる肌、そして真っ赤な月のように不吉な瞳。そんな見た目のせいで、私はずっと陰で魔女と呼ばれていた。
迫害とまではいかなかったけど、友達はあまりできなかった。
あの子は見た目からして普通じゃない、きっととんでもない奴なんだと、ありもしない噂話をささやかれるのもしょっちゅうだった。
あとお母さんは病で早くに他界して、父は賭博で借金を作って蒸発した。
それからは叔母の営む町の仕立て屋に住み込みで働きながら、その借金をちびちびと返す日々。
恵まれたとは言えないが、私より不幸な人もきっといる。
つまりこのご時世どこにでも転がっているような、ほどほどに不幸な町娘の人生を私は生きていた、はずだった。
そんなある日。私の住む町を、魔物たちの集団が襲ってきた。
魔王とかいう恐ろしい魔物の王が現れたその影響だろうか、魔物たちが徒党を組んで町や村を襲うようになっているとは聞いていたが、それが自分の身に降りかかるなんて、私は露ほども思っていなかった。
魔物たちからすれば襲撃というより単に食事に立ち寄っただけなのかもしれないが、食われる住民からしたらたまったものではない。
ともかく私は息を切らして、必死になって逃げていた。
『はあ……はあ……ぐえっ!』
そして転んでしまう。普段は座り仕事だから、走ることに不慣れだったのだ。
立ち上がろうとする間に、背後からやってきた魔物が追いついてきた。
種類とかよく分からないけど、とにかくデカい蛇みたいな魔物だ。
鋭い牙の生えた口から落ちた猛毒のよだれが、私のすぐ横の地面をじゅうっ、と焼いた。立ち込めた焦げ臭い匂いに、思わず全身の力が抜けた。
悟ったからだ。
あまり幸せではなかったけれど、ほどほどに頑張って生きてきた私の人生が、これでもう、終わるのだと。
いやだと思っても、もう涙を流す時間すら残されていないことを。
だがしかし。
『え――』
次の瞬間、私の目の前で毒蛇の魔物がバラバラになって吹き飛んだ。
そして一人の男の人が、目の前に立っていた。
彼は不思議な剣を持っていた。
魔法でできているのだろうか? その剣の周りの景色だけがなぜか歪んで見える。とても薄くて今にも折れそうに見えるのに、恐ろしい鋭さを感じずにはいられない、不思議な剣だった。
短い茶髪の男の人は、まったく普通の外見をしていた。なんならちょっと頼りなくて弱そうにすら見える、多分私と同じか少し年上ぐらいの人。
そんな男の人が、私を襲う魔物をバラバラに斬り裂いたのだ。
『あ……』
お礼を言おうとしたけど、なぜか男の人は私から素早く視線を逸らした。
同時に、たくさんの魔物がやってきた。
魔物たちは仲間の細切れの死体を見て、次々と怒りの鳴き声を発する。
でもその人は、全くこれっぽちも動じた様子もなく、ゆらりと剣を構えて。
『来い』
私は、時間を忘れたようにその光景をずっと眺めていた。
街を襲っていた魔物たちが次々と集まり、片端から斬り刻まれて散らばっていく。
凄まじい速度で剣を振るいながら、しかし揺るがないその背中を私はずっと目で追っていて――。
気がつくと私は魔物の死骸と血だまりの中に一人、ぼうっと立ちすくんでいた。
男の人は、お礼を言う暇もなくどこかに走り去ってしまった。
『あの人は、一体……』
とくんとくんと、心臓が早鐘を打っている。
絶体絶命の状況から助かって、急に安心したせいだろうか、それとも。
すると、避難していたり隠れていた街の人たちがぱらぱらと戻ってきた。
彼らは血だまりの中、魔物の死骸に囲まれてぼうっと立ち尽くす私を見て。
なぜか、口々にこう言い始めたのだった。
『ま、マリー、まさか』
『これを、お前が……?』
『――え?』
いやいや。いやいやいや――待って下さいよ。何でそうなるんですか。
私はただのマリー。マリエルテ=ラベドワイエル。
あなた達もよく知ってる、ただ見た目がちょーっと怖いかもしれないだけの、普通の女の子じゃないですか。ねえ?
とてもこんな風に、魔物をずばずばと返り討ちできたわけないじゃないですか。
『そうか……やっぱりそうか! ずっと見た目からして只者じゃないと思ってたが、まさこんなに強かったとは』
『ほ、本当に魔女じゃったのか……だが街を守ってくれるなんて。おお、ありがたやありがたや』
『ね、ねえマリーいや、マリーさん? 私、昔ちょっとだけあなたの服に穴開けたり、靴に虫入れたり悪戯したことあるけど、べ、別に怒ってないわよね? 根に持ってたりしないわよね? 今から誠心誠意謝ったら許してくれたりするわよね?』
ちょっと待ってみんな、まさか本気で私がこれをやったと思うの?
そんな荒唐無稽を信じさせてしまうぐらい、私って怖い見た目をしてるの?
あと最後の奴、パン屋のローラやっぱりお前でしたか絶対許さん。
いや、ともかくそれより今は、ちゃんと誤解をとかなければ。
『み、みんな、待って下さい。これやったのは本当に私じゃなくて――』
『それじゃあ、こうしちゃいられない! この街の英雄の誕生をお祝いしないとな!』
『いや、その前に魔物の死体を片付けてギルドに報告しないと。これだけの数だ、きっとすごい額の報酬が出るぜ!
良かったなマリー、これで親父さんが残した借金返せるんじゃないか?』
『――え』
皆殺しの危機から一転して劇的に生還したことで、街の皆は妙なテンションになっていたせいか、私の話をロクに聞いてくれなかった。
だからそうこれは仕方なく。ひっじょーに! 大変、誠に極めて不本意ながらではあったのだが。
私は自分がやったと名乗り出て報酬金を受け取り、借金を返した。
でもこれは今回だけのこと。最強の魔女を名乗るのはこれっきり。
また平和になって時間が経てば、どうせみんな忘れてくれる。そう思っていた。
それが、全ての間違いだった。




