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第5話 地獄にて


「大金を下さい」


 反射的に、俺はそう言おうとした。

 なにせ空腹で行き倒れていた彼女にパイを二つも恵んだせいで素寒貧だったからだ。このままでは今日の宿にも泊まれない。

 けれど、そこで俺は違うと気付いた。

 俺が本当に欲しいのは、金なんかじゃないのだ。


 一年前、俺は出稼ぎのため――いや、違う

 本当は一生畑仕事ばかりの人生を変えたくて、ひとかどの何かになりたくてこの街に来たのだ。

 そして、冒険者を目指した。けれど絶望的に才能がなくて、今では毎日、役立たずの荷物持ちとして扱われる日々。

 だから俺が本当に欲しいのは、この人生を打開する手段なのだ。

 強さが、欲しい。

 心からの本音に気が付いた瞬間、ぽろぽろと熱い涙があふれ出した。


「え? ちょっとどうしたの? 大丈夫?」

「す、すみません……大丈夫です」


 涙をぬぐって、俺は言った。


「あの、願いってなんでもいいんですか?」

「アタシにできる事ならね! あ、でもアタシの恋人になりたいとかそーいうのはダメよ。会ったばっかりだし、そもそも恋愛ってそういうもんじゃないもの」


 プロメは少し頬を赤らめた。けれど俺は、そんなことはどうでもよくて。


「こう見えてもアタシは世界管理運営天使、地上においてなら大体のことはできるわよ! さあ、遠慮なく言ってみなさい!」


 本当に、彼女が俺の願いを叶えられるかは正直分からない。

 でも、一筋の希望を抱いて俺は言った。言わずにはいられなかった。


「俺は、強くなりたいんです」


 するとプロメは一瞬きょとんとして、俺に訊き返した。


「強く? つまり武器や魔法で戦う力が欲しいってことね」

「はい」


 頷くと、彼女は数秒考え込むように視線を上へ逸らして、それから名案を閃いたように言った。


「おっけー! 汝の願い、ここに聞き入れたわ」


 そしてパチンとプロメが指を鳴らした次の瞬間。

 周囲の景色は一変した。


 ――真っ赤な空。

 どこまでも続く殺風景な荒野。

 血の匂いのする風が、乾いた砂塵を頬に吹きつける。


「なんだ……これ」


 俺は愕然とした。

 さっきまでいたはずの路地は、街は、跡形もなく消えていて――。


「違うわよ。街が消えたんじゃなくて、あなたがここに飛ばされたの」


 頭上から、プロメの声がした。見上げると彼女は自前の白翼で空を飛んでいた。

 そして俺を見下ろしながら、にやりと笑った。


「ここは地獄、あなたたち人間が暮らす世界とは別の次元よ」

「……じ、地獄?」


 じゃあ、俺は死んだのか?


「いいえ。ここは死後の世界じゃなくて、天使である私が仕事で作った魔物を地上に放つ前に、どれぐらいの強さか実験するための別次元。

 この世界に果てはなく、あなた以外に人間はいない。どこまでも大量の魔物だけがうようよしてるわ」

「――は?」


 なんでそんな場所に、プロメは答えた


「愚問ね。あなたは強くなりたいと願ったでしょう?」


 だからよ、と笑うプロメの表情とその意図に、俺は理解が及ばない。

 そんな俺に、天使は遥か高みから見下すように告げたのだ。


「ここはあなたが元いた地上世界とは時間の流れが違うから永遠に年を取らないし、死の概念もオフにしてあるから死ぬこともないわ! 

 だから――さあ、思う存分ここの魔物たちと戦って強くなりなさい」 


 ただし、とプロメは指を横に振りながら、一層笑みを深くして。

 これが言いたかったのだ、とばかりの楽しそうな声を落した。


「どれだけ強くなっても、この世界に出口はないから元の世界には帰れないけどね!」

「――――」


 そこで俺は、ようやく気が付いた。

 騙された。ハメられた。

 この天使は、最初から俺の願いを真っ当に叶える気なんてサラサラなかったんだ。

 俺の期待を、ひたすら純粋な悪意によって裏切ることそのものが目的だったんだ。

 だって、そうでなければ、こんなにも――。


「くく、ふふ、あはははは! いいわね、その顔! あなた……えっと名前なんだっけ? ごっめーん、秒で忘れちゃったわ。バカ間抜けでお人好しの人間さん!」


 こんなにも、邪悪な顔をするはずがないのだから。


「あー楽しい。やっぱ馬鹿な善人を騙して絶望のどん底に叩き落すのは最高の娯楽ね。日々の労働のストレスが吹っ飛んでくわぁ……あそうそう、絶賛絶望中のとこ悪いけど、ぼーっとしてると危ないわよ」

「――‼」


 瞬間、俺は背後からの衝撃とともに、鋭い痛みに襲われた。

 前方に吹き飛ばされる。振り返ると、そこには槍のように鋭い角を生やしたデカいウサギの魔物がいた。

 ホーンラビット。旅団での仕事でもよく見かける低級の魔物だ。

 鋭い角で突進して人間の腹をぶち抜いてくることだけが取り柄の魔物、他に特筆すべき点はなく、冒険者の間では容易い相手として知られているが――。


「あ、ああっ……」

 

 不意打ちを食らったせいで、俺の腹にはもうすでに穴が開いていた。

 たとえそうでなくとも、俺の実力では同じ結果だったのかもしれないが。

 痛みとともに、意識が遠くなる。

 そして俺は、あっけなく死んだ。


「――はっ」


 目覚めると、俺はまた同じ荒野に立っていた。

 確かに死んだはずなのに、腹に空いた傷は跡形もなく、血に染まったはずの服も元に戻っている。

 頭上から、心から楽しそうなプロメの声がした。


「これで分かったでしょ? 死なないって。だから安心して頑張ってね。いつかそう遠くない内に――死ねないってことに死ぬほど苦しみながら、その心が死に絶えるまで」


 そんな――。

 なんで、こんな、嫌だ。許してください。

 やっぱりやめます。願いは取り消します。

 だから、だからどうかお願いです。元の世界に戻してください。

 そんな風に泣いて懇願する俺を、天使は待っていましたとばかりに満面の笑みで切り捨てた。


「いやよ。バーカ」

「――――」


 そして今度こそ、完膚なきまでの絶望が俺の膝を折った。


「ではこちら世界管理運営局所属、中級天使PLM711g、業務外慈善活動をこれにて終了する。――じゃあ、アタシは地上に帰って観光の続きするから、元気でね」


 そう言うとプロメは指を鳴らして、この世界から消えるように去っていった。



 ※ ※ ※ ※ ※



 ……それから数十年、あるいは数百年だっただろうか? 

 とにかく長い間、俺はひたすら魔物に殺され続けた。

 比較的弱い魔物から、おとぎ話に語られるような荒唐無稽に強い魔物まで、地獄には本当にたくさんの種類の魔物がいた。

 俺は幸いにも、荷物の中に剣を持っていた。たとえそれが折れたとしても、一度死ぬ度に俺は持ち物や服装と一緒に復元して復活した。

 しかし俺は、どんな魔物にも一度も勝てなかった。

 だから戦うことを辞めて、逃げ回るようになって、でも殺され続けて。

 いつしかプロメへの怒りも憎しみも、そして元の世界へ帰りたいという気持ちも、さらには死ぬことへの苦痛や恐怖すらなくなって。

 そして俺は、完全な抜け殻になった。


 それからまた、人の一生よりも長い時間を植物のようにぼうっとしながら、ただ通りがかった魔物に殺され続けていたある日のこと。

 俺はふと、思ったのだ。


「ヒマだな……」


 そう。暇なのだ。やることが、ないのだ。

 怒りも苦しみも絶望も希望も、そして痛みさえ忘れ去った後に、それでもただ一つ心に残ったものが壮絶なる退屈だった。

 もしも手足が動かせない状態、たとえば石像に変えられてしまったとかなら、完全に心を殺すことができたのだろう。しかしそうではなかったのだ。

 手足もある。武器もある。空腹も眠気もここでは無縁。そんな、なまじ行動を起こすことができる状態を保たれたせいで、俺は最後の最後に耐えがたい退屈という苦しみに直面していた。

 だから――。


「よし……」


 何世紀かぶりに立ち上がって、動き出す。


「ちょっと、頑張ってみるか」


 俺は、強くなることにした。

 なぜ? 意味なんてない。ただ、どうしようもなく暇だったからだ。

 もう苦痛も恐怖も感じない。あの天使への怒りも恨みも風化した。

 元の世界に帰りたい気持ちも、とうの昔に忘れ去った。

 だからこそ何よりも純粋に、暇を潰すためだけに。

 俺は、強くなることにした。



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