第4話 PLM711ℊ
それは遥か遠い彼方の記憶――今から大体三年ほど前の話だ。
俺はなんの変哲もない田舎の、どこにでもいる村人だった。
そして出稼ぎのために、生まれて初めて故郷を離れて地方都市にやってきていた。
「うわ……めっちゃ人いるなあ……」
生まれて初めて見る大通りは、緑と茶色だらけの田舎とは比べ物にならないほど色鮮やかで、いろんな商店が立ち並び、様々な人々が行き来していた。
凄い賑わいに、俺は気圧されそうになるのをぐっとこらえて目的の建物を探し始めた。
俺は出稼ぎに来たのだ。
何をやって稼ぐつもりかというと――冒険者である。
彼らは各地で魔物を討伐した報酬金で生活し、近辺での依頼が無くなったら次の仕事を求めて別の地方に行く。
その日暮らしという実態に反して、冒険者稼業の収入自体はかなりのものらしい。魔物狩りは命懸けの分、その見返りは十分に大きいのだ。だからこそフラフラとした暮らしが辛うじて成り立つ、とも言えるのかもしれないが。
だから田舎から目指してやってくる、俺のような人間はいくらでもいるらしい。
俺はしばらく街を歩いた末に、ようやくそうした初心者向けの斡旋所を兼ねた、大きな冒険者組合の酒場を見つけ、その第一歩を踏み入れた。
新米冒険者はまず、どこかの旅団に所属することになる。
旅団とは数人から数十人の冒険者たちの仲間集団であり、全員で協力して魔物を倒し、その報酬を山分けするのだ。
魔物は基本的に人間よりも遥かに強いので、集団で囲んで戦わなければとても倒せないのである。
俺のような新米冒険者は、そうした旅団で最初は雑用などをしつつ、武器の扱いや魔法を覚えてスキルアップ、旅団の戦力になったら独立したり、あるいはそこに居ついたりというのが定番のキャリアプランらしい。
酒場を兼ねた斡旋所で俺が紹介されたのは「滅牙天狼騎士団」という旅団だった。
やたらにイカつい名前は、人員募集で有利になるようハクを付けようとした結果。どの旅団も似たり寄ったりの名称なのだそうだ。
ともかく、俺の面接を担当したのは筋肉たくましい巨漢の団長だった。
「スルトくん、だったかな? 年はいくつ?」
「じゅ、16歳です」
若いなあ! と団長は豪快に笑った。
人手はいくらあっても困らないらしい。農村出身なら体力はあるだろうと言われて、その場で入団が決まった。
その時の俺は、夢を見ていた。
故郷の村では、ただのぱっとしない農家の次男だった俺も、都会に出て努力すればきっとそれなりの冒険者になれるんじゃないかと。
けれど間もなく、俺は現実を思い知るのだった。
旅団に入団して一年が経った。
俺は日々の雑用を一生懸命こなし、そして着実に武器の扱いや魔法を覚え、られなかった。
武器についても魔法についても、俺はまったく壊滅的に物覚えが悪かったのだ。
つまるところ、才能が絶望的になかったのである。
「またお前かよ、スルト!」
「す、すいません!」
「白兵戦もダメ、魔法も覚えられない。前に立つ度にヘマやらかして周りにフォローされるってお前さあ! はー、もう全然ダメじゃねえか。田舎帰るか?」
「……本当に、すみません」
周りに迷惑をかけて、でも言い訳のしようもないほどの実力不足は自分自身が一番よくわかっているから、胃が軋んで涙が出そうになる。
「で、でも反省して、次からちゃんと頑張りますから……どうか」
「わかったわかった。悪気もないし、やる気あるのだけは知ってるから、クビにはしないでやるよ」
団長は頭を下げ続ける俺に、憐れんだように言った。
「もうお前は前に出なくていいから、みんなの荷物持ちだけやってな」
とぼとぼと、俺は日が暮れた街を歩いていた。
右手に握りしめたその日の給料はとても少ない、したがって俺の生活はかなり厳しいものだった。
旅団の給与体系は活躍に応じた歩合制である。つまり雑用しかできない俺は、魔物討伐の報酬をほとんど分けてもらえないのだ。
どうして、こんなことになったのだろう。
まず俺には魔法の才能がない。一年間先輩の魔法使いに指導してもらっても、手元に蛍の尻より小さな灯りつけるのが限界だった。
しかし魔法は才能がある人間の方が遥かに少なく、十人いれば五人ぐらいは俺と似たようなものらしいから、珍しくもないという意味ではまだ救いがある。
壊滅的なのは、武器を握って戦う方だ。
他と同じように剣を振ってもどこか不格好で、やはり威力も早さも――およそ戦いに必要な要素が足りないのだ。
何度考えても結論は一つ、俺には絶望的に才能がない。いやむしろ、戦いに向いていないという意味においては天賦の才があるのかもしれないが。
体力だけはあるから辛うじて雑用係、荷物持ちとして雇ってくれている、が。
冒険者稼業は魔物と戦う命懸けの仕事だ。弱いということはそれだけでリスクであり、俺はその場にいるだけで旅団全体に迷惑をかけているのである。
いっそ団長の言う通り、もう村に帰るべきか。
でも、いや……せっかくここまで来たのだから、もう少し頑張ろう。
俺には何か明確な目標があったわけじゃない。
強い意思があったわけじゃない
ただ何者にもなれない自分を、すぐには受け入れられなかっただけだった。
けれど時間の問題。おそらく、あと半年もしないうちに結局は諦めることが容易に予測できるほどちっぽけな決意しか、俺の胸にはもう残っていなかった。
そんなことをグルグルと考えながら、いつもの安宿への帰り道だった。
「うう……」
寂れた路上を通りがかった時、誰かのうめき声が耳に入った。
思わず足を止めて、声のした方に振り向く。
見ると民家の土壁に、誰かが背中をもたれるようにして倒れていた。
酔っ払いか浮浪者か、あるいはその他の不審者全般か。分からないけれど、とにかく関わりたくないと思って、再び歩き出そうとした直前。
夜の雲間から差した青白い月明りが――彼女の姿をはっきりと照らし出した。
「え」
倒れていたのは、あまりにも美しい一人の少女だった。
ベルベットのようにきらめく金髪に長いまつ毛、形の整い過ぎた白肌の小顔、豊満な胸と細い腰にすらりと伸びた脚を包む純白の衣服。
そして小さく背中からはみ出した、鳥のような白い翼。
俺の足はもう、歩くことを忘れていた。
まるで素晴らしすぎる芸術作品を見た時のように(そんなもの実際に見たことはないが)、目に映るその姿にただただ打ち震えることしかできない。
そっと、少女の目が開いた。それは宝石のように輝く青い瞳だった。
そうだ。彼女は人間じゃない。人間族じゃない。
天使族だ。
天使とは、人間を含めたいわゆる六大霊長種族の一つ、その中でも伝説的な希少種族である。
普段は天上界で人間を見守っており、人前に姿を見せることは滅多にない。
いわんや俺も、村の教会にある像でしかその存在を認識したことがない。おとぎ話の中にだけ存在する種族だと思っていたが。
「本物の天使……」
ごくりと息をのむ。どうしたらいいか分からなかった。
何でこんなところに倒れて? なにかトラブルだろうか? けがや病気? 俺は助けるべき? でもどうやって?
そうして数秒固まっていると、俺は不意に足を掴まれた。
のそりと起き上がった天使が、しかし立ち上がれないまま這いずるようにして俺の足首を強く掴んでいたのだ。
驚きのあまり小さく叫び声を上げた俺に、天使は言った。
「あの、アタシ……………………お腹空いてぇ、動けなくてぇ」
※ ※ ※ ※ ※
「こんな物しか、ご馳走できませんけど」
「くれるの? ありがとうっ‼」
空腹で動けないという天使に代わって、俺は食い物の屋台がある通りまで走って行って戻ってきた。
街の大通りは、魔物から取れた魔獣脂のランプによって夜でも煌々とした灯りに照らされている。ここだけは色んな商店が夜間営業しているのだ。
ともかく、買ってきたのはミートパイとクリーム煮野菜パイの二つ。多少値の張る代わりに、ヘンな混ぜ物をしていないと評判のいい店で買ってきた。
天使は肉と野菜のどっちが好きか分からなかったので両方買ってきてしまった
これで、俺の今日の給料は消滅した。
「ええと天使、さん。ミートパイと野菜のパイどっちがいいで――」
「アタシ好き嫌いないから大丈夫よ! 両方いただくわ!」
天使は俺の手から即座に両方受け取って、パクパクと交互に頬張った。
「おいしー! ホントに、むぐむぐ、助かったわ! ありがとう、通りすがりの……もぐもぐ、優しい人!」
冒険者向きの屋台のパイは、成人男性でも一つで満腹になるサイズだ。にもかかわらず、天使は二つを軽々と平らげてみせた。
……余った方を、俺の夕食にしようと思っていたのに。
俺は自然と乾いた笑いを漏らした。いや、むしろこれでいい。ささやかな給料だけど人助けのために使えてよかった。
せめてそう思わないと、やっていけない。
「ごちそうさま!」
そう言って、天使はすらりと立ち上がった。
俺より少し背の高い、全体的に豊かで均整の取れたその姿に気圧されて、思わず後ずさってしまう。しかし彼女は構わず、ずいっと距離を詰めてきた。
「改めてありがとう! ホントに助かったわ……。たまの連休だから地上観光でもしようかって思ったんだけど、次元転送エレベータが途中で止まっちゃって、十何時間も待たされて空腹で死にそうになった挙句、寝てる間に変なとこに放り出されたのよ! あーもう、帰ったら絶対クレーム入れてやるわ」
「……ええと、あの」
言っている意味はほとんど分からなかった。
しかし最初から俺の理解は期待していないのか、取りあえず吐き出したかったように言い切ると、天使はにっこりと微笑んだ。
「そうだ。申し遅れたわね。私は世界管理運営局所属の天使、PLM711gよ」
「ぴー……え?」
それ名前なんですか? という疑問を辛うじて飲み込む。
「あ、地上だから識別番号じゃ通じないのね。失礼。私はプロメティオナ。
プロメでいいわよ、親切な人間さん! ところで、あなたの名前は?」
「スルト、です」
「スルト。いい名前ね! このご恩は一生忘れないわ、よろしく!」
コホンと可愛らしく咳払いして、プロメと名乗った天使はびっくりするほど透き通った、けれどどこか厳かな声で言った。
「というわけでスルト、さっそくだけど美味しい食事のお礼よ」
その声はまるで何かの運命のように、福音じみて俺の鼓膜を揺らしたのだ。
「この私が一つだけ、あなたの願いを叶えてあげるわ」




