第1話 最強の魔女とその荷物持ち
一人でいるのが好きだ。
逆接的に言えば、他人といるのが好きじゃない。
人と話すのは得意ではないし、初対面の相手だとなおさら緊張する。
人前に立つなんて論外だし、かといって個室で少人数というのも嫌だ。
なのにどうして、俺はこんな空間にいるのだろう。
緑豊かな郊外の道路を走る、大きな箱型二輪馬車の中。
赤い壁紙に囲まれた四角い車内にて、俺は柔らかな羽毛クッションの座席に縮こまっていた。
馬車の持ち主。小太りの中年男性貴族がシルクのハンカチで汗を拭く。
「いやあ、このたびは貴女様に旅の護衛を引き受けていただいて光栄です」
貴族の視線は、俺の隣に向けられている。
そこに座っているのは一人の少女だ。
「単なるついでよ。別に報酬が良いと思ったわけじゃないし、あなたの悪趣味な顔と悪趣味な性格と悪趣味な馬車が気に入ったわけでもないわ」
冷えた声だった。そして鋭い眼光だった。
紫色のローブコートに、ツバ広三角の魔女帽子を被るのは、深い闇夜を思わせる黒と雪華のような白銀がおりなす二重色の長髪。
透き通るような白い肌。少女の細い手足は一見すると可憐なようでいて、しかしながら直に対峙してみると、異様な威圧感が指先までを覆っているのが分かる。
さらには赫々と燃えるような深紅の瞳が、まるで最後のピースのように、少女の姿を致命的なまでに禍々しく印象づけていた。
そんな少女の物言いは、この上なく生意気かつ無作法。
だが貴族は怒るでもなく、平伏しながら恐縮する。
「は、はい……! まったく、まったくもってその通りでございます!
アビスマリー様!」
少女の名は、魔女アビスマリー。
「滅びの魔女」と呼ばれる、人類最強の魔法使いの少女である。
たった一人、一週間で魔王とその配下を全て滅ぼした。
東の鬼神を焼いて煮て食った。西の巨人兵をローストビーフにした。防ぐ手段のない極悪惨殺魔法を使う――など、その生きる伝説は枚挙にいとまがない。
しかしながら、いくら強力な魔法使いとはいえ、所詮はたった一人の少女。これだけの逸話をゴテゴテとはりつければ流石に嘘くさくなってしまう、はずなのに。
けれどそんな数々の風評を、一つたりとて疑わせないだけの圧倒的な凄みと風格が、確かにこの少女には備わっていた。
鋭すぎる深紅の眼光に射すくめられた対面の貴族が、ごくりと息をのむ。
地方からの任地替えによって王都に向かう道中、その護衛を魔女アビスマリーに依頼した彼は、しかし本物を前にした極度の緊張のせいか、ひたすらハンカチで汗をぬぐうだけの置物と化していた。
俺は思う。ちょっと気の毒だな、と。
そこでふと、アビスマリーは何気ない視線を窓の外に投げやりながら、言った。
「喉」
「は、はい」
「渇いたわ」
「‼ ただちに!」
貴族はすぐに、まるで新人の給仕係のような慌てぶりで―車内の上段ラックから高そうなワインを一本取り出し、グラスに注いでアビスマリーに献上した。
「ひゃ、百年物の高級酒です。お口に合うとよいのですが……」
一口飲んで、アビスマリーはつまらなそうに言った。
「まあまあね」
そこで彼女は、こちら――隣に座る俺へ視線を向けた。
「貴方も飲むかしら。スルト」
「いや俺、酒弱いから要らないです」
そこで俺は、馬車に乗ってから初めて口を開いた。
ずっと黙っていた理由は簡単。会話に加わりたくないからだ。
特に初対面の相手がいる場では、一体何を話していいのか分からない。
自信をもって言うことではないかもしれないが――二十歳を手前にして、俺は壮絶な人見知りだ。
アビスマリーは俺の返答に気を悪くした様子もなく、そう、とだけ呟いて残りを飲んだ。
貴族は俺の方に視線を向けて、やや驚いたように目を開いた。
それは決して良い意味ではなく、「え? コイツ口が利けたの?」みたいな、蔑みの瞠目だった。
「あの、アビスマリー様、ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「なに」
「どうして、このような者を荷物持ちに?」
上流階級の人間には、自分の手で荷物を持たない。
なぜなら、それはカッコ悪いからである。
重く野暮ったいカバンは整えた服をシワで崩し、洗練されたシルエットを台無しにし、さらに汗をかく原因にもなる……らしい。俺は荷物を持つ側の人間なので、そんな事は気にしたこともないのだが。
ともかく、そういう外面上の理由によって上流階級の人間に付き従う雑用係。
それが、荷物持ちである。
「貴女様ほどのお方であれば、もっと相応しい者を選べるのではないでしょうか……?」
貴族はそう言って、あからさまに俺を見下した。
まあ分かる。気持ちはすごい分かる。
だって俺は見るからに平凡な男で、明らかに大物感吹き荒れるアビスマリーの隣にいると、その対比によって凄まじく悪目立ちするのだ。
何より無愛想で、ひたすら石のように黙って下を向いているものだから彼女の横に置いた時のみすぼらしさはハンパではないだろう。
以上を俺は自覚しているので反論なんてしない。というか、しゃべるのが怖いからできないだけだが。
しかし、アビスマリーは違った。
「文句があるのかしら」
しん、とした冷たい冬のようなその声は静かな怒りをはらんでいた。それにかき消されるようにして、芳醇なワインの残り香があっという間に車内から薄れていく。
「い、いえいえ! 文句だなんて滅相もありません! た、ただ、少し気になっただけでして」
慌てて弁解する貴族に、アビスマリーは凍えるような声で断言した。
「いないからよ。スルト以上に、この私の荷物持ちに相応しい者は」
そこで。
唐突に馬のいななきがして、馬車そのものが止まった。
貴族が、何事かと窓から顔を出す。
「一体どうした! 事故でもやらかしたか⁉」
「ま、魔物です! 道の先にっ! ……で、デカい、ドラゴンが!」
「ドラゴンだとっ⁉」
馬車の前方の運転席から、馭者と馬取が叫んだ。
貴族は血相を変えて両手を合わせ、アビスマリーに懇願した。
「アビスマリー様。きょ、恐縮ですがどうか」
「いいわ」
頷いて、少女は立ち上がった。
仕方ないので、俺も続く。
「ただし、私が戻って来るまで絶対に外に出ないこと。いいわね。窓から顔を出して戦いを見るのも禁止よ」
「は、はあ……かしこまりました。でも、なぜ」
「あなた死にたいの?」
「へえ?」
「私の魔法は、常人が見たら死ぬのよ」
「‼ は、はい! 承知しました! 絶対に見ません……ですが」
「まだなにか?」
「その荷物持ちは、一緒で大丈夫なのですか?」
「ええ。スルトは訓練されてるから」
そして俺はマリーと一緒に馬車を降りた。入れ替わるように、怯えた馭者と馬取を車内に入れる。
落ち着かない様子の馬の腹を去り際に撫でて、それから道の先へ歩いていくと、確かにやや離れた進路上にソレはいた。
ドラゴンだ。
岩のような鱗にびっしりと覆われた、小さな村の半分は埋まってしまうぐらいの巨体が、完全に街道を塞いでいる。
ドラゴンは昼寝中だったのか、俺たちの足音で起こされたように黄色い瞳をぱちりと開くと、威嚇の咆哮をとどろかせた。
周囲の木々が震え、梢が弾けて葉が落ちる。体の芯まで貫くようなビリビリとした音圧が頬を叩く。
寝起きだけあって機嫌が悪いようだ。しかしやはり、こういう地方の街道はドラゴンの昼寝場所としてよく利用されるというのは本当らしい。
確かに道路上にはちょうど翼を伸ばせるだけのスペースが開けていて、寝ているだけでおやつが通りがかるのだから、さもありなん。俺は得心した。
そのついでに、傍らのアビスマリーに向けて言った。
「さて、じゃあ」
彼女相手なら、多少は臆せず話しかけられる。
「お願いします、アビスマリー様」
「――いや、できるわけないじゃないですかーーっ!」
試しに言ってみると、アビスマリー……いや、マリーは素の口調で叫んだ。
がくがくぶるぶると震える少女は、俺の背中にまるでそういう生態の虫のようにしっかりと張り付いている。
馬車の中での威圧感は一体どこへやら。しかし俺は驚きも失望もしない。
なぜなら知っているからだ。
魔女アビスマリー。単身一週間で魔王とその配下を滅ぼした、「滅びの魔女」の異名をいただく人類最強の魔法使い。……というのは完全な嘘であることを。
彼女はただ、見た目の風格があり過ぎるだけの普通の少女。
極悪惨殺魔法はおろか、ロウソクの火すら点けられない魔力の一般人。
それが彼女、本名マリエルテ=ラベドワイエル。
ただのマリーだ。
「あんまり叫ぶと、馬車の中の人たちに聞こえるんじゃないか」
「貴方のせいで叫んでるんですけど!?」
再び威嚇の咆哮を発するドラゴン。
「ひぃっ‼ ……あ、あの、スルトさん! 早く何とかしてください。私もうその何といいますか今にも怖くて気絶する五秒前ぐらいなんですけど!?」
「はいはい」
なんというか、豹変ぶりが少し面白かったので眺めていたら怒られた。
しかしこれ以上のんびりしていると、そろそろマリーがドラゴン以上のデカい声で叫びそうなので、俺は仕事をすることにした。
背負っていたカバンの荷物を、地面に下ろす。
そして右手に、魔力を集中させた。




