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(冬華視点)
昼休みが終わって、午後の授業が始まった。
姫川のお陰で、私はようやく授業に集中できるようになった。
だけど「雰囲気変わった?」って聞かれた時は、心臓が口から飛び出るかと思った。
……そんなに私って、バレバレなんだ。
昨日の雨の日以降、私はおかしい。
陽太を見ると胸が苦しくなるし、声を聞いただけで体が熱くなる。名前を呼ばれたら、頭が真っ白になってしまうくらいで……
これまでのループで培ってきた陽太攻略情報も、ゲーム知識で組み立ててきたシナリオ戦略も。全部……吹き飛んでしまった。
今の私は……陽太のことが好きな、ただの女の子になってしまった。
精神年齢はアラサーなのに、中身が恋する乙女なんて……なんの冗談なんだろう。
だけど……この先を考えると、どうしようもないくらいに怖い。
これでもし振られたら、私はどうなっちゃうんだろうか?
今までは「セーブ、ロード、リセット」の能力が使えたから何回もループしてきた。
振られても「まだ次がある」ってロードやリセットしてやり直してきた。
その度にダメなところを直したり、最適な行動を取れるように、先回り出来るようにって、攻略をやり直してきた。
でも今は……ムリだ。
それは能力が使えなくなったからじゃなくて。
この高鳴る気持ちを切り替えることなんて、できそうにないってことで。
私にとっての陽太は……ゲームの中の推しでもなければ、攻略対象でもない。
好きな人。単純に、それだけ。
この歳で初恋とか笑っちゃうけど、私は陽太に恋をしてしまった。
……12月まで、あと半年以上もある。
12月の告白イベントまで、この気持ちを抱えたまま過ごすの?
そんなの……耐えられる自信がない。
それどころか、こんな状態じゃ好感度を上げることすら出来そうにない。
このままだと私、確実に振られる。
今回こそって……思ってたのになぁ。
また失敗しそうだよ、私。
◆
放課後のチャイムが鳴った。
ついに……この時が来た。
「ふぅ……」
俺はこれから冬華に告白する。
いつものように一緒に帰り、頃合いを見計らって勝負だ。
「……冬華、じゃ、帰ろうぜ」
「うん……」
冬華が鞄を持って立ち上がった。
昼飯まではぎこちなかった冬華だが、今ではだいぶ普通に戻りつつある。姫川さんのアシストが功を奏したのかもしれない。
校門を出て、いつもの帰り道を歩き始めた。
今日は昨日の豪雨が嘘みたいに晴れている。とても気持ちのいい天気だ。
夕暮れが街を徐々に橙色に染め始める時間帯。
いつもなら楽しく会話しながら歩いているのに、今日はあまり会話がない。
多分、俺が緊張しているせいだ。
冬華も俺の緊張を察しているのか、いつもみたいに話しかけてこない。
そうこうしているうちに、人通りの少ない道に差し掛かる。
……ここだ。
今だ。今しかない。
でも、声が出ない。喉に砂が詰まったみたいにカラカラになっている。
緊張しすぎて手が冷たい。
「ねえ……陽太? 具合悪いの? あんまり話さないね……」
冬華が、少し恥ずかしそうに俺の顔を覗き込んできた。
「もしかして、私のせい?」
「……いや。違う!」
そんなわけない。冬華は何も悪くない。
でも、冬華の顔を見た瞬間、昨日のことが、全部蘇ってきた。
『……でも私、とっても怖いの』
『私ってさ、いわゆるその他大勢でしょ』
震える声で胸のうちを吐露した冬華。
俺の足にもたれて眠ってしまった無防備な冬華。
――そうだよ。俺は決めたんだろ?
蘇った記憶が、俺の背中を押す。
「……冬華」
俺は足を止めて決意を固めた。
「ん?」
「ちょっと……話を聞いてくれないか」
「うん?」
冬華も足を止めた。
傾きかけた太陽が、冬華の横顔を淡いオレンジ色に染めている。
その時、風が吹いて冬華の髪がふわりと揺れる。
とても……綺麗だ。
こんなかわいい人が、自分のことを『その他大勢』だなんて。そんなの、絶対におかしい。
俺にとっては……こんなにも『特別な人』なのに。
「……陽太? どうしたの、急に話って――」
言う……言うぞ。
「聞いてくれ……冬華っ!」
「うん……」
「俺っ……冬華のことが、好きだ……」
言った。
噛まなかった。すこし震えたけど。
ひねりとかない、ストレートな表現だったけど、言えた。
「…………」
冬華が、固まっていた。
目を大きく見開いて固まっている。
「……えっ」
「俺は、冬華のことが好きなんだ。いつからかは……分かんないけど。気づいた時にはもう、冬華のことばっかり考えてて」
「よ、陽太? ちょ、ちょっと待って……」
「俺、実は……冬華が告白されてるの見ちまったんだ。あと、冬華はナンパされてたろ? その時に気づいたんだ。冬華を、誰にも渡したくないって!」
「ふ……ふぇぇ……」
「俺、冬華のためなら何でも出来るから! 冬華は『その他大勢』なんかじゃない。俺にとって冬華は『特別な女性』なんだ」
冬華が、口元を手で押さえている。
目が潤んでいる。
「俺……冬華のことが好きだ。本当に好きなんだ。頼む……いや、お願いします。俺と、付き合ってくれませんか?」
最後の一言を、なんとか絞り出した。
声は震えていたかもしれない。少し格好悪かったかも知れない。
それでも、この言葉だけは、どうしても伝えたかった。
冬華は、黙ったまま俺を見つめていて、答えてくれない。
その……僅かな時間が、永遠にも等しく感じた。
◆
(冬華視点)
嘘でしょ!?
聞き間違い? 空耳? それとも……夢?
陽太が……私に? 私に告白してるの?
ちょっと待って、まだ12月じゃないよね。
告白イベントはまだまだ先のはずなんだけど!
今は5月だよね……告白って半年以上も先の話じゃなかったの?
「……うそ」
こんなのシナリオにも攻略サイトにもない。どのルートにも、こんな展開は存在しないのに。
それなのに、陽太が今、私の目の前で――告白を?
「……うそだよね。だって、まだ……」
自分の声が震えているのが分かる。
「うそじゃない……」
まだ早いよね。まだ全然好感度が足りないはずでしょ。
まだまだ私は頑張らないといけないはずで……。
私は……モブだから、死ぬほど努力しないと陽太を射止められないはず。
何度ループしても……何度挑んでも叶わなくて、もう無理かもしれないなんて諦めかけた事もあるくらいで。
それなのに、なんで?
なんで?
「うそじゃない。俺は本気だよ。信じてくれ、冬華」
陽太の声は、震えていた。
でも、目は逸らさないで真っ直ぐに、私だけを見ている。
――本当、なの?
あの豪雨の中で。私を追いかけてきてくれた時と同じ目をしている。
一生懸命だけど、どこか不器用で。でも、どこまでも真っ直ぐな目。
「よ、陽太……」
――ああ。
ダメだ。もう、ダメ。
涙が、止まらない。
「……っ、ひっ……ぅ……」
嗚咽が漏れてしまう。
こらえようとしても、次から次へと涙が溢れてくる。
何度も……何度もループして。
どれだけ頑張っても辿り着けなかった場所に、今、立っている。
どれだけアタックしても、私を振り続けたはずの陽太が……自分から告白してくれた。
しかも十二月を待たずに。ゲームのシナリオなんか全部無視して。
こんなの……こんなのって。
「……う……ぁ……」
「お、おい……冬華!? 泣くなよ……! ごめん、泣くほど嫌だったか……!?」
「ちが……っ、違う……!」
私は涙を拭いながら、必死に首を横に振った。
「違うの……嬉しいの……嬉しくて……涙が……止まらないの!」
「……冬華?」
「私もっ……私も……陽太のこと、好き……っ」
涙でぐちゃぐちゃの顔は、きっとかわいくない。
大人っぽい冷静さなんてどこにもなくて、ただ恋に必死な女の子だった。
「ずっと……ずっと好きだったの……! ずっと……ずっと……!」
私の「ずっと」の本当の重みを、陽太は知らないだろう。
OL時代からずっと、ゲームキャラの陽太を推していて。
この世界に来てから何度もやり直して。何度も振られ続けて。何度も心が折れそうになった。
だけど、もう一度。もう一度、今度こそって……何度も何度も立ち上がった。
途方もない時間をかけた「ずっと」だってことを、陽太は知らない。
でも、それでいい。陽太はそんなこと知らなくていい。
だって――今、ここにいる陽太は。
ゲームの攻略対象じゃない。シナリオ通りに動くキャラクターでもないのだから。
私のことを、初めて好きだと言ってくれた。たったひとりの男の子だから。
「……冬華」
陽太がそっと手を伸ばして、こぼれ落ちてくる私の涙を拭ってくれた。
その仕草は不器用で、ぎこちない。
でも分かる。伝わってくる。陽太の優しさが……
「……泣き顔の冬華も、好きだ」
「……っ、やだ……今、言うことそれ……なの?」
「ごめん。でも本当のことだし」
「もうっ……ずるい」
涙が止まらないまま、私は笑ってしまった。
泣きながら笑うなんて、前世を含めた人生で初めてかもしれない。
「付き合ってくれる……ってことでいいんだよな?」
「うん……私からもお願いします。陽太……好きです。付き合ってください」
今までこのセリフを何回言ってきたのだろう。そして、その度にさんざん振られてきた。
だけど、今は――
「こんな俺で良ければ……よろしくお願いします!」
陽太が、手をゆっくりと差し出してきた。
その手を見た瞬間、また涙がこぼれそうになった。
私の努力が、初めて報われる。
この手を繋いだら、私たちは晴れて恋人同士になる。
もう「シナリオ」とか「攻略」とか考えなくていい。
でも……それで、いい。
「……うん」
私は陽太の手を、ぎゅっと握った。
大きくて。温かくて。少しだけ汗ばんでいたけど、陽太も握り返してくれる。
陽太が、安心したように、だけど少し恥ずかしそうに笑う。
その笑顔を見て思った。
これは私の……本物の恋だと。
そこから帰り道は、手を繋いで歩いた。
駅に着くまでの短い距離だったけれど、世界で一番幸せな時間に感じた。




