エピローグ
後年、兵衛は宣言した通り、牡丹姫の婿を藤堂家の跡継ぎに据えた。婿は若く、優しい性質だったが、白鷺姫が子も持たず、結婚もしなかったことを利用して、数多の親族を排除し、成功させたのであった。
その後も兵衛は北条秀正(藤堂家の主筋、大途家)の元で要職に重用された。しかし後年、裏切った。北条秀正の異母弟である宇都宮秀治の子が起こした離反に加わったのであった。そして、この人物が東夷大将軍に就く見通しが立つや、出家した。しかし、史料からわかるのはここまでで、その後の足取りは不明である。彼の一妻女に過ぎない瑠璃については、もちろん何もかも不明である。
しかし、後世の風聞によれば(近代まで華族として続いた藤堂家や青葉家で語られた話では)、兵衛の出家は世事から逃れる口実であって、二人は南蛮船に乗り込み、渡海したという。
もともと、珍奇なものを好んだため、真実味のある伝説ではある。知られている通り、後年、南蛮に関係した者は何人たりとも、ヒノモトへ帰国できなくなったから、一言も叙述がないのも当然であろう。
ところが、不思議なことに瑠璃の故地、東の国トーグァンの一之宮領には、二人のお墓と伝えられている石塔がある。山里の墓地に建つ二基の五輪塔で、当地特産である砂岩製のためだいぶ摩滅しており、文字はほとんど読み取れない。そのため、これをもって二人の終焉の地とするのは不可能であろう。
だいたい、南蛮の地を踏んだとすれば、ヒノモトに埋葬されることはなかったろうから、渡海の風聞と墓塔の存在は矛盾している。
ただ、わかることは、石塔は風雨に晒され、長い年月のうちに風化していった。数百年間、墓地の桜樹は花をつけ、風に散り、古びた石塔には花びらが降り注ぐ。――そのような風景が、毎春この地で繰り返されたことだけは確かであろう。
バウバウタル コカイニ フナワタリシテ
ソクサンヘンヂノ フソウニ アトヲトドメ
(茫々たる巨海に舟渡りして 粟散辺地の扶桑に跡を留め)
「天草本平家物語」より
(了)