第一話.小田原の町(八)
時間は少し遡り、綱島-三郎が手下をういろう屋の前に集めていると、石舟斎は遠目でお市の敵がいないことを確認すると、小田原城の外堀をさっと飛び越えて中に侵入し、問注所の門を叩いた。
問注所は綱島-主典の息子三郎が手下を集めて、ういろう屋を囲んでいると聞いて騒然となっていた。
主典は三郎を止める為に兵を集めて出陣するところだった。
「何者だ」
「石舟斎と申す。ういろう屋の騒動はこちらで片付けますので、手出し無用でお願いいたします」
「何の権限をもって止めるというのだ」
「権限などありません。ただ、お願いに参った次第」
「話にならん」
「どうしても行くと申されるならば、力尽くで止めさせていただきます」
「引っ捕らえよ」
集まっていた兵が一斉に石舟斎に襲い掛かった。
さっと身を躱すと、次々に倒してゆく。
梯子や手押し車でも止められない。
石舟斎は門に居座ったままで、まるで掛かってくる猫を転がすように次々と兵をのしていった。
時間が過ぎてゆく。
主典の中で焦りが走った。
「主共引け、儂がやる」
兵を引かせて、主典が刀を抜いて対峙した。
ぐわぁ、地面を蹴って、石舟斎の方へ飛び掛かり、勢いのままに上段から刀を振り下ろす。
刀は脇にさしているが、石舟斎は抜く気配もない。
がしっ、一瞬で間合いを詰めたかと思うと落ちてくる刃を両手で挟みとった。
『真剣白刃取り』
柳生の秘技が炸裂し、無手で刀を止めた。
それに主典が目を丸くした。
次にギュギュッと刀を捻り、引き寄せたところで石舟斎の蹴りが腹にずしんと響いた。
主典が地面に転がって勝負は決した。
「そこまでだ」
門の外で風格のある老人が戦いを止めた。
「北条の城内での騒動。それなりの覚悟があってのことだろうな」
「その威厳と風貌から察するに、北条-宗哲様とお見受けいたしますが、間違いないでしょうか」
「如何にも宗哲だ」
「某は石舟斎。とある方からの依頼で小田原に参りました。北条-氏康様へのお目通りをお願いしたい」
そう言うと、石舟斎は懐から白紙の書状を取り出して宗哲に投げた。
受け取った宗哲は書状を開けて眉を潜めた。
白紙の書状の中に、公方様の印が刻まれた書状が入っていたからだ。
小田原城の評定の間に氏康と北条の重臣が集められ、宗哲が受け取った書状をひらいた氏康が唸った。
読み終えて書状を重臣に回す。
石舟斎は氏康の前でピクリとも動かず、返事を待っていた。
読み終えた頃に、北条のご意見番である宗哲に氏康が訪ねた。
「宗哲様。どう返事をするべきとお思いか」
「北条の領内で、公方様の手下が勝手に動くのは拙い」
「しかし、公方様と関白様のお願いでございます」
「一先ず、この者を殿の家臣として、殿の命で動いているとすれば、問題はないでしょう。その方、依存はあるか」
「某は名も無き影でございます。お市様の護衛ができるなら、肩書きなど何でも問題ございません」
「と、申しております」
氏康の意は決した。
柳生-宗厳を一時的に北条-氏康の直臣とし、関東の勝手御免状を与え、関東巡検使の役職を与えた。
勝手御免状とは、その場でうち捨てても一切の責は氏康が預かるというものである。
これはこれで物議の種だ。
石舟斎は氏康の温情に感謝して頭を下げた。
城の騒動が終わったところで城下の問題に移り、当事者である綱島親子と外郎-藤右衛門が呼ばれた。
入ってきた綱島親子と藤右衛門が頭を下げる。
氏康が問うた。
「三郎よ。城下の治安を保てと言ったが、騒ぎを起こせとは言っておらんぞ」
「昨日、小娘が城下町に入って暴れました。放置する訳に参らず、捕らえようと手下を集めただけでございます」
「で、返り討ちにあったと」
「誠に申し訳ございません」
「主典よ。お前は息子を監督できておったのか」
「三郎なりに頑張っていると思っております」
「藤右衛門はどうだ」
「治安は頑張っておられますが、いささか威張りちらし、袖の下を要求し過ぎていると思われます」
「藤右衛門殿。証拠はございますか」
「残念ながら、今は集めているところでございます」
「殿。三郎なりに頑張っております。行き過ぎたところがありましたかもしれませんが、ご容赦いただきたい」
主典がそう言った瞬間、重臣らの目が冷ややかなモノに変わったことを感じた。
氏康が問う。
「藤右衛門。その娘とは、旗屋-市で間違いないか」
「間違いございません」
「旗屋は織田家に推薦で京の呉服屋となった。旗屋-金太なる者が京に徘徊する盗賊を退治したという話は有名だ。主典は聞いたことはなかったのか?」
「申し訳ございません」
「旗屋-金太とは、織田-魯坊丸様のことだ。娘の早川が嫁いでおるので義理の弟となる。旗屋-市とは、織田-お市様の仮の名であり、義理の義理であるが儂の妹となる」
そう聞いた瞬間、綱島親子が真っ青になった。
主君の義理とはいえども、妹に手を出したとなれば打ち首は免れない。
運がよくて切腹だ。
「お待ちください。私が止めた意味がなくなります」
氏康の次の言葉を遮ったのは石舟斎であった。
「命をやりとりはどうでも宜しいが、お市様の名がでるとお忍びの旅が続けられません。それだけはご容赦ください」
「なるほど。旗屋-市として捌けということか」
「ご明察の通りで」
「相判った。主典、問注所の奉行職を解任する。炭奉行からやり直せ」
氏康も内心でほっとした。
北条家は内政ができる家臣が足りなくて火の車状態であり、綱島-主典が出世できたのも人材不足だったから、その貴重な人材を殺さずに済んだ。
裁きが終わると、綱島親子と藤右衛門が評定の間から出ていった。
それを見てから、宗哲が石舟斎に訪ねた。
「お市様はお忍びで鹿島の塚原-卜伝殿に会いに行かれるようだが、本気でお忍びのおつもりなのか?」
「本気でとは?」
「城下であれだけの騒ぎを起こして、バレぬと思っておいでなのかという質問じゃ」
「なるほど。では、お答え申す。たったの一刀で三河を盗られた方の考えなど、常人の某にわかるはずもござらん」
「なるほど。氏康、覚悟しておけ。早川の手紙で、魯坊丸様もお市様だけは何を仕出かすかわからんと嘆いておられるそうだ」
「宗哲様。脅かさないでください」
「脅かしではない。儂の勘が騒いでおる。『河越の夜戦』より覚悟がいる一大事がおきるとな」
「叔父上様」
氏康は宗哲の勘が騒ぐといった言葉に寒気を覚えた。
宗哲の勘は外れたことがない。
関東が平穏となってきたというのに、野分(台風)が通り過ぎようとしていた。