プロローグ
寛永八年 (1631年)、天下は織田家のものになっていた。
第三代将軍織田-秀信が那古野に名古屋城を築城し直して、名古屋幕府を立ち上げた。
先代将軍であった信忠は関白となっていたが、その職を信照の子に譲ると、右京山ノ内に聚楽第を建てて隠居して太閤となっていた。
その聚楽第にたくさんの本を抱えた小瀬-甫庵が登城した。
「太閤殿下におかれまして、お元気そうで何よりございます」
「甫庵。心にもない世辞はよせ」
「いいえ、太閤信忠様がいらっしゃるので天下は安んじていると心から思っております」
「其方が言いたいことはわかっておりが、これも叔父上が決められたことだ。儂如きが変えることはできん。それだけはわかってくれよ」
叔父上とは前征西大将軍 兼 前南海王の織田-信照のことである。
すでに亡くなっているが、信照が作った官僚組織は盤石であり、太閤の権限で織田家の方針を変えることなどできなかった。
慶長十六年(1611年)に発行された大田-牛一の『信長公記』には、信勝と信照の活躍は書かれていたが、自他共に認められている『奥州王』のお市の名がなかった。
当然、お市の家臣として活躍した羽柴-秀吉の名もない。
甫庵は悔しかった。
牛一は柴田-勝家の家臣であり、その主人である信勝が奥州を平定したと『信長公記』で自慢していた
だが、津軽をはじめ、西東北を平定したのはお市とその家臣らであり、信勝はそのお零れを授かったに過ぎない。
だが、織田本家より活躍する分家などあってはならないと信照は自らの活躍とお市の成果を正史から消した。
だが、甫庵はそれに納得できなかった。
故に、正史ではない、軍記物として『太閤記』を三年前から執筆していた。
今回は、その第三部となる『奥州王、織田お市編』をもってきたのだ。
「甫庵が書く父上は実に面白い」
「ありがとうございます」
「牛一の書いた本は、父上が格好良過ぎだ。本能寺で大往生とは何だ? 甘党の父上は大福をほおばって喉に詰まらせて死んだのだぞ。事実を公表できないこっちの苦労を考えみろ」
「それこそ、正史に書けぬことでございます」
「少し駄目なくらいが父上らしい」
「信照様、お市様が凄すぎたのです」
「まったくだ。奥州の者から聞いたぞ。籠城する城に単身で乗り込んで、家臣らを薙ぎ倒して降伏を迫ったとか」
「凄いお方でございました。付いていくだけで、命が足りないと秀吉様も何度も嘆かれております」
「器用者の秀吉が泣いたか?」
「泣きながら走ったと言っておりました」
「では、さっそく読ませてもらおう」
そう言うと信忠は、甫庵が持ってきた『太閤記』第三部を読み始めた。