番外編 危険な婚約者(前編)
「クライヴ、今日は送ってくれなくてもいいわ」
放課後、シャロンがクライヴにそう言うと、彼は不思議そうな表情をした。
「どうしてです」
「生徒会室に行かないといけないの」
「今日は生徒会活動のない日では?」
「ええ。そうなんだけれど」
いつも授業が終われば、クライヴに寮まで送ってもらっている。
だが今日の昼、ライオネルからの伝言があった。
放課後、生徒会室へ来てほしい、と。
シャロンは生徒会役員で、生徒会長はライオネルである。
「臨時の集まりがあるのかも」
「……そうですか」
それでシャロンはクライヴと中庭で別れた。
生徒会室に行って、扉をノックすると、中から返答が聞こえた。
「どうぞ」
「失礼します」
扉を開ける。
机の前にいたライオネルが立ち上がり、麗しく微笑んで長椅子にシャロンを誘った。
「シャロン、掛けて」
「はい」
ライオネルと天鵞絨の椅子に腰を下ろす。
格調高い調度品の置かれた生徒会室には、他のひとの姿はみえなかった。
まだ誰も来ていないようだ。
この間の舞踏会、ライオネルの部屋で一緒に過ごし。
その翌日には、屋敷に来た彼に抱きしめられて。
こうして二人きりになるのは、それからはじめてだ。
(緊張してしまうわ……)
それに今日は朝から少し熱っぽかった。
「どうしたの?」
「あ、あの」
シャロンは周りを見回す。
「今日は臨時の集まりでしょうか。皆さまいらっしゃいませんが」
「生徒会活動じゃないよ」
ライオネルは髪をさらりと揺らし、首を横に振る。
なら今日の呼び出しは何だろうか。
金の髪の下、青の双眸が艶めく。
「僕が、どうしてここに君を呼んだと思う?」
「わたくしに何かお話があるのでしょうか?」
生徒会の集まりでないとすれば、何らかの話だろうか。
ライオネルはにっこり笑う。
「うん。君と話もしたい。でも用事があるわけじゃなく、ただ君と二人きりになりたかったんだ」
彼の眼差しは甘美で、シャロンはどきりとした。
「公爵家に行ったあと、こうして会う機会がなかった。クラスも違うし、しばらく生徒会の集まりもない。ここだと二人で過ごせる」
至近距離に、麗しい王子様がいて。
焼けるほどの視線に絡めとられ、耳まで赤くなったシャロンは距離をとろうとした。すると腰に手を回された。
「逃げないで」
「に、逃げようとなんて……」
ただ近すぎる気がするのだ……。
彼はシャロンの顎を指で摘まんだ。
「会いたかった」
瞳を覗き込まれ、シャロンは目が潤む。
「わ、わたくしもライオネル様に会いたかったです」
でも二人きりというのは……焦ってしまう。
なんだか空気が桃色に染まるし、学校で会うなら校庭など密室でないほうが、まだ緊張しない。
ライオネルは吐息の触れる距離で告げる。
「キスしてもいい?」
(え)
その言葉に、シャロンは心臓が跳ね上がった。
とん、と長椅子に押し倒される。
金縛りにあったように硬直してしまいながら、喉から声を押し出した。
「ラ、ライオネル様……! ……ここは学校ですし、それに今、昼間ですし」
学校ではなく、昼間以外でも焦るけども。
「僕たちは婚約している」
ライオネルは首を傾げる。
「誰もいない。僕たちだけだ」
彼は指先でシャロンの頬を辿った。
「好きだよ」
間近でまっすぐな言葉を囁かれ、指の間に指を絡められて、シャロンはどうにかなってしまいそうだった。
世界には自分達だけしかいないように感じられ。
胸の奥がきゅんとなる。
「……結婚するまではと……?」
キスしない、と言っていたような。
彼の指先がシャロンの唇に触れた。
「しない、と言ったね。でも君とキスしたい」
彼の黄金の髪が頬に振りかかった。
セレストブルーの美麗な双眸に捕らわれる。
「いいね?」
否、とは言えず──。
彼の端整な顔が近づいてきて、力が抜け、シャロンがきゅっと目を瞑った瞬間。
コンコンとノックの音が鳴った。
ライオネルは静かに身を起こす。
「信じられない……また邪魔が……!」
彼は髪をかきあげ、シャロンの背を抱き起こしてくれた。
シャロンは吐息を零す。
ライオネルは扉のほうを向き、冷ややかに誰何した。
すると扉が開いた。
「失礼いたします」
入ってきたのは──クライヴだった。
(クライヴ?)
シャロンは、彼は帰ったと思っていた。
「また君か」
ライオネルは眉間に皺を刻む。
「シャロンの部屋に行ったときも、室内に入ってきたね」
「はい。そのときはお茶菓子をお運びいたしました」
「今日は何? お茶菓子を運んできたわけではないだろう」
皮肉げにライオネルが問えば、クライヴは目を伏せて答えた。
「お嬢様は体調が優れないようでしたので、心配で」