27.予感
※※※※※
ライオネルは宿屋から出た。
殊のほか、時間がかかった。
街の人々の暮らしを直接自分の目で見るため、お忍びで街にやってくることがある。
それで知り合ったひとがいる。
宿屋の主人もそのひとりだ。いつもなら快く相談に乗るが、今日はシャロンと来ている。
デートなのに、ロクに彼女と過ごせていない。
いつもと違う変装をすべきであった。
しくじった。
(それに……)
弟もやってくる始末である。
ポケットの中の髪飾りを握りしめる。
これはいったい何だ?
なぜ弟がシャロンにプレゼントをする?
(シャロンの婚約者は僕なんだが)
ライオネルは激しく苛立っていた。
宿屋の前で待っていたアンソニーを、冷ややかに一瞥する。
「兄上、話は終わりましたか」
足を止めず歩くライオネルに、弟はついてくる。
「どうしたのですか。悩み相談は解決しなかったのですか?」
「解決した。何の真似だ、アンソニー」
弟は首を傾げる。
「え?」
「なぜシャロンに関わる?」
アンソニーは瞳を揺らせる。
「おれは」
「どうして今日きたんだ、おまえは?」
弟は口ごもった。
「ですからそれは……」
はっきり釘を刺しておくべきだ。
「彼女は僕のものだ。おまえの婚約者ではない」
アンソニーは頬を強張らせる。
「もちろん、わかっています」
シャロンに近づくのは、弟であっても許せない。
──ライオネルにとってシャロンは、大切な少女である。
定められた婚約者。はじめはそれだけだった。
好きも嫌いもなく、ただ結婚する相手というだけ。
将来王位に就く自分と、釣り合う令嬢のなかから、最終的に彼女が選ばれた。
候補者の誰が婚約者となっても、ライオネルは同じ態度をとっただろう。
尊重し大事にするつもりだった。それは王妃となる相手を守ろうと思っていただけで、関心があったわけではない。
だが。
シャロンと過ごすうちに、心惹かれるようになっていた。
四年前、彼女が階段から落ちたあとから。
それまで彼女は自己中心的で、辟易するほどべたべたしてきたが、一切それがなくなった。
彼女の興味はライオネルから、勉強や武術へと移ったのだろうか。
ひたむきで一途な眼差しで。思いやりがあって。
笑顔や挙動が可愛らしい。見つめると、戸惑いをみせ頬を染めるのも愛らしい。
真剣にライオネルのことを考えてくれているのはわかるが、彼女は何か抱えているようにみえる。
結婚する日をライオネルは待ち遠しく思っているが、アンソニーがシャロンに好意を抱いている気配があり、嫌な予感がしていた。
※※※※※
シャロンとクライヴは公園から大通りに移動した。
そこでしばらく待っていたら、王子ふたりが帰ってきた。
「何度もすまないね、シャロン」
「いいえ。お気になさらないで」
「では俺は失礼します」
クライヴは頭を下げ、去っていった。
ライオネルはまた誰かに会ってしまうかもしれないからと、さらなる変装をするため帽子を購入した。
「これで大丈夫なはずだ」
黒い鳥打帽により、きらきらしたライオネルの雰囲気が若干和らいだ。
それから彼が知り合いに声を掛けられることはなく、陽が暮れるまで街で過ごし、隠し通路を使って、王宮に戻った。
いつもとは違う一日で、シャロンは楽しかった。
公爵家に帰宅したあと、クライヴのフォローをしておいた。
自分がクライヴに用事を頼んでいたから、彼の帰りは遅れたのだと。
屋敷内でクライヴの評価が落ちてしまえば申し訳ない。
クライヴは、シャロンがお忍びで街に出ていたことは、誰にも話さないでいてくれた。
やはり彼は信頼できる。
シャロンは居間にクライヴを呼んだ。
「今日はありがとう」
「いえ。あれから、楽しめましたか?」
「ええ」
街で過ごすのは良い気晴らしになった。
「公園で子供たちと遊んだのも楽しかったし」
するとクライヴはふっと笑った。
「転ばれたのは驚きました」
「それは忘れて」
クライヴは笑顔で言う。
「どうぞお気をつけください」
シャロンは頷く。
今日一番楽しいと感じたのは、ライオネルといるときだった。
初恋相手なので、どきどきするし一緒にいると心が弾むのだ。
失恋するのは確定だが……。
ゲームのキャラとして捉え、失恋も仕方ない、と諦め悟っている。
(あ、そういえば)
今日アンソニーに髪飾りを贈られ、ライオネルに預かってもらっていて、そのままだった。
ライオネルも忘れていたのだろう。
今度会ったときに話そう。
※※※※※
王宮に戻り、着替えたライオネルは、髪飾りを手に取った。
弟がシャロンに贈ったもの。
冷ややかにそれを眺めた。
「…………」
力を入れると、パリンと音を立てて呆気なく割れた。
壊れたそれを屑箱に放る。