初めての恋敵
私は鈴城陽貴。ミステリー作家だ。
3年前に新人賞を受賞し、華々しくデビュー。デビュー作の映画化が決定するなど、今話題の作家として全国にその名を轟かしている。
多彩な表現能力、緻密な情景描写、そして誰もがあっと驚くようなトリック。控えめに言っても、私は天才に部類される人間だと自覚していた。
そんな天才な私だからこそ、正直言って同年代の同業者の作品で感銘を受けることはまずなかった。
どいつもこいつも、ありふれた小説ばかり書きやがって。この前デビューしたミステリー作家なんて、トリックが破綻していたぞ。
このままでは、日本の小説という文化が低俗的なものになってしまう。だからこそ、この私が皆を牽引していかなければならない。
天才である以上、それは最早義務だと言えた。
「それでは鈴城先生。新作は、廃村を舞台にした作品ということで。よろしくお願いします」
この日も担当編集との打ち合わせを終わらせた私は、一刻も早く執筆活動に励むべく、編集部をあとにしようとした。
すると、ふと魅力的な黒髪が視界に入る。
「あれは……」
彼女はこの私が認める、唯一の同年代の作家・芦屋京先生だった。
芦屋先生の作品もまた、私の作品に負けず劣らずで美しい。それでいて、当たり前のことながら面白い。
加えてあの美貌だ。才色兼備とは、まさにこのこと。
私は彼女を一目見て、彼女の小説を一度読んだだけで、心底惚れ込んでしまったのだった。
こうして編集部で会ったのも、何かの縁だ。いいや、運命だ。うん、そうに違いない。
私は芦屋先生に声をかけることにした。
「芦屋先生」
「あっ、鈴城先生。打ち合わせだったんですか?」
「えぇ。そういう芦屋先生も?」
「はい。今さっき、終わりまして」
「それは奇遇ですね。……実は私も、丁度打ち合わせを終えたところなんです。なので、もしよろしければこの後食事でもどうですか?」
自然な流れで、私は芦屋先生を食事に誘う。
断らないだろうとたかを括っていたのだが、なんと彼女の返事は「NO」だった。
「ごめんなさい。実は今、人を待っているの」
「人、ですか?」
聞き返すと、「おーい、京」と言いながら一人の青年が近づいてきた。
何だ、この男は? 芦屋先生に、馴れ馴れしい。
しかし馴れ馴れしいのも当然。どうやらこの青年が芦屋先生の待ち人だったみたいだ。
「真太郎、遅いわよ」
「悪い悪い。思いのほか、打ち合わせが長引いてな。……っと、もしかして話し中だった?」
「偶然出会したから、ちょっとした雑談をね。……彼は鈴城陽貴先生。ミステリー作家よ」
青年は「あぁ、あなたがあの有名な」と呟きながら、私に手を差し出してきた。
「はじめまして。漫画家の、猪狩真太郎と言います。よろしくお願いします」
「……鈴城陽貴だ。こちらこそ、よろしく」
猪狩……聞いたことあるぞ。
最近売れている漫画家だったよな。
しかし彼がどんな作品を描いているのかや、才能があるのかどうかなんて、この際どうでも良い。今はもっと重要なことがある。
「ところで芦屋先生、一つ確認したいことがあるんですが」
「何ですか?」
「猪狩先生とは一体……どういう関係なんですか?」
この青年・猪狩は先程芦屋先生のことを下の名前で呼んでいた。そして芦屋先生もまた、彼を下の名前で呼んでいる。
名前で呼び合うなんて、そんなのまるで……
私は芦屋先生に尋ねたというのに、なぜか答えたのは猪狩の方だった。
「こいつの彼氏になる代わりに、おっぱい揉ませて貰う関係だ」
なっ、何だってぇ!?
彼氏になる代わりに胸を揉ませるよう強要するなんて……この男、最低にも程がある。
「芦屋先生! 本当に彼が恋人なのですか!?」
「それは、その……はい、そうです」
おっぱいが目当てだと公言されながらも、なぜか顔を赤らめる芦屋先生。今の彼の発言のどこに、赤面する要素があったのだろうか?
「芦屋先生は、彼のどこが好きなんですか? 女性に「付き合ってやるから胸を揉ませろ」だなんて言う男ですよ?」
「そこが良いんですよ。彼が私の胸を揉むのは、自身の作品をより良くする為。そしてその為だけに、私と付き合っている。……作品にひたむきなところに、私は惚れたんです」
……何なんだ、その理由は? 私には芦屋京という一人の人間が、わからなくなった。
……でも、そんなミステリアスなところもまた魅力の一つだ。私は一層、あなたのことが好きになったよ。
そして同時にこうと思う。こんな女性をおっぱいとしか見ていないクズに、あなたみたいな素晴らしい女性の隣に立つ資格なんてない。
あなたには、もっと才気あふれる……それこそ私のような男が相応しいのだ。
「芦屋先生、待っていて下さい。いつかあなたという大いなる謎も、私が華麗に解き明かしてみせますよ」
「……えぇ、ありがとう?」
だからそれまでは、彼女を猪狩に預けておくよ。
決め台詞を残して、私は実にカッコ良くその場を去っていくのだった。
◇
鈴城が立ち去ると、京は俺・猪狩真太郎に尋ねてきた。
「鈴城先生は、何を言いたかったのかしら?」
「お前、ラブコメ作家なのにわからないのかよ? ……あいつ、多分お前のこと好きだぞ」
「えっ、そうなの?」
「十中八九、間違いないね。だからお前がもしあいつでも良いって思うのなら、本物の恋愛が出来るんだぞ」
幼馴染で互いのことをどれだけわかっていたって、それは所詮親愛でしかない。
俺は京の彼氏を演じ、京は俺に胸を揉ませる。俺たちの交際とは、そういう歪なものだ。
「鈴城先生と付き合えって言うの? 絶対に無理。あんなナルシストと本物の恋愛をするくらいなら、あなたと偽物の恋愛を続けていた方がずっとマシよ」
そう言って向けてきた笑顔に、俺はドキッとなって。
……クソッ、可愛いじゃねーか。
でもだからって、ここで彼女を抱き締めたりしてはいけない。
京は作品にひたむきな俺が好きだと言った。
だから俺にとってこの恋人関係はあくまで作品を良くする為の材料で。俺も京も、互いに作品が一番大切なのだ。
でも、もしどちらかの気持ちが本物になってしまったら。
一番が作品ではなく、相手の存在になってしまったら。
……なんてことを、考えるのはよそう。
そんな状況に陥ったとしたら、恐らく俺たちは破局することになるのだから。