初めての避妊具
「エッチがしたい」
京と夕食を取りながら、俺は考え得る限り最低の発言を口にした。
別段夕食の材料にすっぽんが含まれているわけじゃない。今夜は京手作りのハンバーグだ。
リビングのテレビでいやらしいビデオが流れているわけでもない。今観ているのは、可愛い動物特集だ。これでムラムラしたら、かなりヤバい人間だと思う。
つまり俺は現在置かれている環境に関係なく、突然エッチがしたいと口にしたわけだ。
……うん。ヤバい人間であることには、変わりないな。
意味不明な俺の発言に京は案の定「はあ?」と言い返した後、俺に尋ねる。
「何? 欲求不満なの?」
「おいおい、ちょっと待てよ。俺をそこらの性欲にまみれた彼氏扱いしないでくれ。俺は単にエッチがしたいだけなんだ。ぶっちゃけ相手はお前じゃなくたって構わない」
「発言だけ聞くと、そこらの性欲にまみれた彼氏より最低よ。……で、どういう意図でそんな発言をしたの?」
幼馴染である京は、俺が性欲のままに発言しているわけじゃないとわかっている。
作家である京は、俺の口に出していない真意があることを察している。
本当、話が早くて助かるものだ。
「実はな、お前のお陰で最近エッチな描写が上手くなったって、担当編集に褒められたんだ」
「確かに。今週号でももれなく主人公がヒロインの胸を揉んでいたけど、その時の表情はかなり臨場感あふれていたわね。私が男だったら、きっとコンビニであることを忘れて勃っていたわよ」
立ち読みならぬ勃ち読みってか? 流石は作家、上手いことを言う。
「それでだな、担当編集から勧められて……今度は青年誌で描くことになったんだ」
「肌色が多い系のやつ?」
「あぁ、肌色が多い系のやつ」
要するに、ギリギリ全年齢対象のエロ漫画である。
「話自体はありがたいし、褒められて調子に乗っていたってのもある。だから、その……二つ返事で引き受けてしまいまして」
引き受けたは良いものの、俺には大きな問題がある。
俺は童貞なのだ。
「何の知識もない状態で漫画を描くなんて、そんなのプロ失格だ。昼の間ひたすらダウンロードしたAVを視聴し続けて研究したさ」
「大学サボって何してるのかと思ったら、本当にナニしてるのよ? ……あと、音量気を付けてよね。家に入る時お隣さんから、「昼間からお盛んでしたね」って軽く注意されたんだから」
「だけどやっぱり観るだけじゃ上手く描写が出来ない! この下描きを見てくれよ!」
俺は今日1日の成果とも言える一コマを、京に見せる。
その一コマは、主人公とヒロインが行為に及んでいるシーンだった。相手が京でなければ、普通にセクハラである。
下描きを見た京は、あからさまに舌打ちをした。
「どうしてヒロインが私と似ても似つかないのよ。ムカつくわね」
「何か言ったか?」
「何でもないわ。……あなたの言う通り、このコマの出来栄えはイマイチね」
「だろ? そしてその理由は、明白だ。……俺がエッチをしたことがないからだ」
俺が最高の漫画を描く為には、性行為を行なうことが必須だ。
そして幸いにも、今の俺には恋人がいる。
「頼む、京! 俺とエッチをしてくれ!」
俺は深く頭を下げる。
作品を良くする為ならば、土下座でも何でもしてやるさ。俺の軽い頭に、印税程の価値はない。
作品を良くする為に何でもしたいという俺の気持ちを、同じクリエイターである京はちゃんと理解している。
彼女は溜息を吐いてから、「仕方ないわね」と呟いた。
「……コンビニに行くわよ」
「いや。流石に初めてを、コンビニで経験するのはちょっと……」
「バカじゃないの。……どうせ避妊具持っていないんでしょ? 買いに行くわよ」
言われてみれば。なにせそんな道具とは、これまで無縁だったからな。
一瞬バルーン用の風船でも代用出来ないかと思ったが、すぐに無理だと悟った。俺はそこまで巨大じゃない。
◇
コンビニに着いた。
「コンビニに売っていない物はない」とはよく言うけれど、まさか避妊具まで揃えているとは思わなかった。
避妊具を手に取った俺は、途端にキョロキョロし始める。
別にいけないことをしているわけじゃないのに、なんだか周囲の目が気になって仕方ないのだ。
そんな俺を見て、京は首を傾げる。
「何をソワソワしているのよ?」
「いや、周りに変に思われないかと思って」
「誰もその箱が避妊具だとは思わないわよ。わかる人がいたら、同類だけ。変に構えている方が不自然だって。それでも恥ずかしいって言うのなら……」
京はかごを持ってくると、その中にお菓子やジュースを放り込んだ。
「ほら、それも一緒に入れちゃって」
成る程。カモフラージュということか。
それから俺たちは、会計をするべくカゴをレジへ持って行く。
レジ担当は、若い女の子だった。見た目から推察するに、恐らく女子高生だろう。
避妊具を手に取るなり、彼女は顔を仄かに赤らめて、俺と京を交互に見る。あっ、これは察したパターンですね。
「ありがとうございました。えっと、その……楽しんで下さい」
女子高生店員の気遣いが、なんとも恥ずかしかった。