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第八十六話 罠

 ルドベキアについたアタシたちはすぐに、王城へと向かった


「⋯⋯にしても、未だ慣れないねえ。気にしなくて良いとは言われたけど、貴族なんて、マナーや礼儀如きで首が飛ぶ世界なんだろ?」

「まあまあ。僕たちにこの依頼をする代わりに多額の支援をしてくれたじゃないか。きっといい人だよ」

「まったく、だとしても誰のせいでこの危険度が高い依頼を断るわけにいかなくなったと思ってんだい。あんたがいくら困ってる人を見過ごせないからって、自分の取り分を全部、寄付に回すなんてね。ただでさえ、高ランクパーティは出費が多いってのに」

「それはごめんと思って──」

 その言葉の途中で、リンドウの身体がぐらりと大きく傾いた。


「お、おいっ」

 アタシは慌てて彼の肩を支えた。

 リンドウは「ごめん」とだけ短く言うと、無理やり体勢を立て直した。

 けど、その足取りは弱々しく、ふらついている。


「リンドウさん、大丈夫ですか!?」

「ああ、このくらい、どうってことないよ」

 笑ってみせるその顔はいつも通りだけど、よく見れば足が小刻みに震えている。


 ⋯⋯アタシは、なんて馬鹿なんだ。

 なんでもっと早く気づいてやれなかったんだ。

 リンドウが、とっくに限界を迎えていたことくらい、わかってやれたはずなのに。


「今回はこのまま宿に戻ったほうがいいんじゃない?」

「いや、僕たちはあそこまで支援してもらったのに依頼に失敗したんだ。なら、依頼人の元に真っ先に報告しにいかないと」


「⋯⋯わかったよ。ただし、話が終わったらすぐに治療を受けて一週間は安静にしてもらうからね」

「もちろん、いつも無理言ってごめんね」

「はいはい。それじゃあ、そろそろつくんだから、背筋くらいは伸ばしな」

 そう言うと、リンドウはゆっくりと足腰に力を入れ、よろけながらも、いつもの立ち姿に戻った。


 今日はいろいろと考えさせられることが多かった。

 でも今は、目の前のことに集中するとしよう。


 王城の門をくぐり、衛兵に案内されて進むと、やがて重々しい扉が目の前に現れた。

 それが開かれると、その先には、あの王様が以前と変わらず、控えめな玉座に佇んでいた。


 ただ、どこか違和感があった。何かが違う、そんな気がした。


 ⋯⋯部屋を模様替えしたのか?

 そんな曖昧で漠然としたものだったため、深く考えることなく、アタシたちはそのまま入室した。

 それと同時に部屋の扉がゆっくりと閉まっていく。


 ──そのときだった。


「⋯⋯ィ」

 かすかに聞こえた声。

 なんと言っていたのかはわからなかった。

 しかし、長年の経験が反射的にアタシに警告してきた。

 そう、これは──


「伏せろ! 魔法だ!」

 そう叫んだ瞬間、足元に部屋を丸ごと包む巨大な魔法陣が展開された。


 ──キィィィンッ!


 耳鳴りのような音とともに部屋中の魔力がどんどん膨れ上がり、肌がビリビリと震えた。

 すぐにヒマワリとカガミの様子を確認したが、状況を飲み込めていないのか、呆然と立ち尽くしている。

 咄嗟に対応策を考えようとしたとき、思いつくよりも先に、リンドウが先に動いた。


「許せッ!」

 その言葉が響くと同時にリンドウの刀を握る手がこちらに向かって振り抜かれた。

 鞘に収めたままの刀が "シュン" と風を裂き、爆発的な風圧がアタシたちを襲った。


 部屋中の空気が一方向へとなだれ込み、その風圧に抗えないまま、遥か後方へと吹き飛ばされた。


「うわっ!」

「きゃっ」

 閉まりかけていた扉を、先ほどの風が押し返すように開き、アタシたちはそのまま廊下にはじき出された。

 床を転がりながら、どうにか勢いに飲まれないよう踏ん張り、すぐに体勢を立て直す。


 そして、振り返った。


 扉の隙間から見えたのは、見たこともない紫光を放つ巨大な魔法陣。

 その中心に、彼一人だけが立っていた。


「リンドウッ!」

 思わず、その名を呼んだ。

 けれど彼は、その場から一切動こうとしない。


 ⋯⋯いや、違う。


 動けないんだ。


 さっきの風圧を生んだ反動か、それとも足の負傷が限界を迎えたのか。

 彼の膝がわかるほどに細かく震えている。


 体重を支えきれていない。

 動ける状態じゃない。


「どうしてッ⋯⋯!」


 そういうのは勝手に自分の役割だと思っていた。

 なのに、どうして⋯⋯アンタが残ってしまうのか。


 魔法陣の輝きが。見る見るうちに増している。

 すると──なぜかリンドウの胸の中心から深紫の光が滲み出した。


 それはまるで、氷が静かに広がるように。

 結晶のようなものが、彼の身体を覆い始める。


 胸、肩、そして首筋へと、それはパキパキと音を立てながら広がっていく。


「⋯⋯成功だ」

 王の口から漏れたのは、震えるような声と、薄ら笑い。

 悲願を果たしたような、あまりに醜い、満足げな表情。


 それが何を意味するのか、アタシたちにはまだわからない。

 だけど、一つだけ、確かなことがある。


 このままじゃ──リンドウが死ぬ。


「⋯⋯一体、何がどうなってるって言うんだいッ!!」


 理解なんて追いつかない。

 ついさっきまで黒竜との死闘を生き延びたばかりなのに。

 なぜ、こんな──

 なんで、リンドウがっ⋯⋯!


「──クソっ!」

 でも、嘆いてる暇なんてない。

 変えたいなら、動くしかない。


 アタシはすぐに足に力を込めて、リンドウの元に駆け出そうとした。


 ──その時だった。


 彼は、ゆっくりとこちらを見た。

 その表情は、どこまでも穏やかで、優しくて、いつもと何も変わらないで。


「⋯⋯頼んだ」

 ただ、それだけ。

 でも、それだけで、すべてが伝わった。


 アタシは唇を噛みしめ、すぐに彼に背を向けた。


「ヒマワリ、カガミ! 逃げるよッ!!」

「えっ、でもリンドウさんが⋯⋯!」

「どういう、こと⋯⋯?」

 二人の戸惑いと混乱が交差する。

 だけど、アタシは歯を食いしばり、声を張った。


「いいからッ!!」

 迷ってる時間なんてない。

 混乱する二人を、無理やり両腕で抱きかかえる。


 そして、力を振り絞って一気に地面を蹴り出した。


 紫の閃光が、背中越しに爆ぜる。

 けれど、振り返らない。

 振り返ってしまえば、決心が鈍ってしまうから。


 だからアタシはただ、全速力で走った。

 走ったんだ。

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