第八十話 禁忌の魔法
はるか昔、この世界は一匹の竜に支配されていた。その分厚い肉は刃を通さず、漆黒の鱗は魔法を弾き返す。
植物は草食動物に食べられ、それを魔獣が捕食し、さらにその魔獣を人類が狩る。そして、そんな人類を待っているのは、黒竜による無慈悲な蹂躙。
長い歴史の中で、人類はただ、黒竜の腹を満たす存在にすぎなかった。
しかし、ある日を境に、精霊族でも獣人族でもない、新たな人類が世界各地に出現し始めた。独自の言語を使い、膨大な魔力を秘めた彼らは、この世界に突如として現れた異質な存在だった。
その人種は武器を手に取り、黒竜に立ち向かい始める。どれだけ命を落としても、新たな者たちが次々と補填されるように現れ、各地で黒竜に挑み続けた。
この異常な人種を、この世界の住人たちは嫌悪を込めて『異世界人』と呼んだ。
それから何百年もの間、数多くの異世界人が黒竜に挑んだ。それにもかかわらず、あの黒竜には傷一つ付けることができなかった。黒竜はそれほどまでに圧倒的な存在だった。
その中で、一人の異世界人が一つの魔法を生み出した。それは、自らの生命を犠牲にして、莫大な力と魔力を手に入れる禁忌の魔法。しかし、他の種族がその魔法を試みても発動しなかった。何度も試行を重ねるうちに、その魔法の発動条件が次第に明確になっていった。
「それってもしかして──」
「その条件とは⋯⋯『魂がこの世界のものではないこと』」
どうやら、俺の予測は間違っていなかったようだ。転生者の俺でも未完成ながら発動できたのだから。
「この条件を満たせば、発動は簡単じゃ。あとは詠唱を唱えるだけ。一つ目、自身が異なる世界から来たことを誓え。二つ目、自身の名を叫べ。そして三つ目、この技の名を口にせよ。さすれば、命という燃料が持つ限り、そのものは正真正銘、最強に至る。ただし⋯⋯」
「ただし⋯⋯?」
老婆は一呼吸置いて、ゆっくりとその口を開いた。
「その燃料が尽きれば、その者は燃え尽き、『灰』となる」
「人が、灰にですか?」
「うむ。これまでに数え切れぬほどの者が灰と化してきた。お主は黒竜に対抗する兵器を探しに来たと言ったな。つまり、その兵器とは──わしら、『異世界人』のことなんじゃよ」
「⋯⋯っ!」
だから最初、このおばあさんは教えるのを拒んだんだ。これが世に知れ渡れば、異世界人はまさに兵器として扱われることになるからな。どれだけ死んでも、すぐに代わりが補充される。そして、言語が通じず、孤立しやすい彼らは、騙されやすい。使い潰すには、これ以上ないほど適した存在ってわけだ。
「ですが、現に黒竜は生きている。それってつまり、その禁忌魔法をもってしても、敵わなかったということなのでは⋯⋯?」
「確かに、わしの知る限り、これまで黒竜を討った者はいない。しかし、何百年という歴史の中で、先人たちが放ってきた一撃一撃が、確実に黒竜の身体に蓄積されている」
すると、ミリアもこちらを振り向いて続いた。
「カインさん、おそらくですが、この方の言う通りだと思いますよ。たしか、黒竜はリンドウ様と同じ冒険者パーティーのカガミさんを背に乗せていたと聞いています。カガミさんは噂によると使役魔法の使い手。使役魔法は一度、自身が下した魔獣を従える魔法ですので、カガミさんたちは、すでに黒竜との戦闘に勝利しているはずです。つまり、黒竜は以前と比較するなら、瀕死の状態にあると言ってもいいでしょう」
「あれで瀕死だなんて、笑わせてくれるな」
──でも、それなら少しは勝ち目があるような気がしてくる。
「⋯⋯『煉転』は、転生者でも完全な状態で使用できるのですか?」
「それは保証しよう。転生者、つまり魂はこの世界のものではないということ。条件は満たしている」
老婆は静かに俺の目を見つめた。
「⋯⋯ただ、よいのか? これはただの勘だが、使用すれば無事には済まないぞ」
「もう、とっくに覚悟はできています」
「──お主の健闘を祈っている。何か手伝えることがあれば、何でも言いなさい」
「ありがとうございます」
俺は一礼し、立ち上がったその瞬間、血相を変えたミリアが腕を掴んできた。
「カインさん、それ、どういうことですか?」
「ミリア、このことはみんなに黙っててくれないか」
「じゃあ、カインさんは本当にこの世界の人では⋯⋯」
俺が少し微笑むと、ミリアは黙ってその手を離した。
あのおばあさんはこう言った。燃料が尽きれば灰となると。つまり、尽きなければ死ぬことはない、という意味でもある。
だが、どうやらおばあさんも感じ取っていたようだな。俺も感じているよ。
⋯⋯俺の背後に佇む、死神の影を。
ミリアには本当に申し訳ないことをした。ナガマサさんも、きっとそれを望んで託したわけではないだろう。
でも、どうか許してほしい。
だから──
「⋯⋯待ってろよ、カガミ」
俺はお前を、許さない。
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