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第七十四話 私の先生

 遥か遠くで、空に向かって伸びた光線が空を裂くように輝いていた。


「はあ、ッ⋯⋯はあ⋯⋯」

 その光を背に、血に塗れたモネが荒い息を吐きながら、膝をついていた。

 目の前には小人族の戦士、ボタン。彼女の実力は本物だった。


 モモさんの姉であるなら、魔法も駆使してくる魔戦士だと考えていたのに、その予想は完全に外れていた。

 彼女は斧一本で全てを破壊する。言ってしまえば、『狂戦士』。


 魔法使いは例外を除いて、一対一に弱いのが普通ですが、まさかここまで圧倒されるとは思ってもいませんでしたね。


「⋯⋯あなた、モモさんのお姉さんなんですって?」

「そうだよ。モモはアタシにとって、世界で一番、大事な妹。もし、モモが世話になっていたのなら、礼を言うよ」

「なら、どうしてモモさんが悲しむようなことをするのですか」

 私の問いに、ボタンは迷いのない目で淡々と答えた。


「それが、モモのためになるからだ」

「全くもって、意味が分かりませんね。彼女はこの学園で多くのことを学んでいる。そして、大切な人もいる。それなのに、ここを襲撃することが彼女のためですって?」

 私は震える足を抑え、杖に体重を預けながらなんとか立ち上がる。


「そんなの、ふざけんなって話ですよ!」

「⋯⋯最初から同意を得られるとは思っていないよ。こちらにも譲れない事情があるからね。せめて、一瞬で逝かせてあげる」

 ボタンがじりじりとこちらに近づいてくる。斧を片手に、その圧倒的な存在感が迫ってくる。私は咄嗟に杖を掲げ、何十にも連なる植物で防御の壁を作り出した。しかし、あの馬鹿力の前ではそれはほんの僅かな時間稼ぎにしかならない。


 すぐにバキバキッという鈍い音とともに突破される。


「無駄だよ」

 ボタンの冷たい声が耳に響く。同時に、私は必死に蔓を操り、一本を彼女の肩へと貫いた。しかし、ボタンは痛がる素振りすら見せず、まるで小さな虫でも潰すかのように、片手で蔓を握りつぶし、肩から引き抜いた。


「くっ⋯⋯」

 彼女の足は止まらない。私の必死の攻撃は何の意味もなさない。ボタンが、着実に、確実に、私の元へと迫ってくる。

 ここまで接近されたら、私にはもう、彼女を止める手立てが残っていない。


 ──どうやら、私の出番はここまでのようですね。


「無駄だと言っているだろう。まあ、安心しな。あの学園長とやらともすぐに会わせてやるさ」

 ボタンが斧をゆっくりと振りかざす。

 すると、まるで時間が引き伸ばされたかのように、すべてがスローモーションに見えた。


 ⋯⋯すみません、エドワード先生。


 視界が揺らぎ、振り下ろされた斧が眼前に現れた瞬間、頭の中で走馬灯のように過去の記憶が駆け巡った。



 ////////



「いつもありがとうね。私の授業を真剣に聞いてくれて」

「いえっ、そんな!」

 会話が飛び交う教室の中で、一番前の席で彼と向かい合いながら話す。

 二人だけに聞こえる声量で二人きりで話せるこの時間が私は何よりも好きだった。


 この学園では、教師よりも生徒の方が立場が上だ。

 生徒の大半は貴族や王族、あるいは莫大な資産を持つ者の子供たち。つまり、ほとんどが権力者の血筋だ。

 そのため、ただの一介の魔法使いでしかない教師たちは、彼らに逆らうことができない。

 かつては、優れた魔法使いが集まっていたこの学園も、そんな状況が続くうちに年々その数は減っていき、今では優秀と呼べる教師はごくわずかしかいなくなってしまった。


 ただ、このエドワード先生だけは違う。

 授業で扱う魔法は全て上級レベルで、時には超級魔法さえ教えてくれる。

 最初はこの学園のレベルの低さに驚いたけど、この先生に教わることができるというだけで通う価値がある。


「では、次の時間は植物魔法について教えるので、闘技場に集まってください」

「はいっ!」

 私は先生の後を追うように、急いで卓上の荷物をバックに詰めた。そのときだった。突然、そのバックが何かに弾かれたように宙を舞い、中の荷物が床に散乱した。


「──ねえ」

「⋯⋯なんですか」

 後ろを振り向くと、ニヤニヤと笑う人族の女性の集団が立っていた。

 私は無視して床に散らばった教科書を拾おうとしゃがみ込むと、その瞬間、背後から強い力で肩を押さえつけられた。


「ちょっ、なにするんですか!」

「なにって、一緒にサボるお手伝いをするだけだよ。あんなゴミ教師の授業なんて、出る必要ないでしょ?」

「はあ?! 馬鹿言うのもほどほどにしてください。それに彼を馬鹿にする権利なんてあなた方にありません!」

「ふーーん、私に逆らうんだ。人族と精霊族の間に生まれた中途半端なハーフエルフのくせに」

 彼女は目を細め、手のひらに魔法陣を展開すると、小さな炎の球を作り出し、私の教科書に向けて放ち始めた。


「やめて!」

「ふふっ、はははっ!」

 彼女の高笑いがこだまする中、私の教科書は炎に包まれ、黒く焦げたカスが床に散らばっていく。燃え尽きたページの灰が舞い上がり、無情にも空気中に消えていった。


 授業開始のチャイムが鳴っても、その笑い声は一切止まなかった。


「あーいけないんだ! いくら授業がめんどくさいからって教科書を燃やしちゃうなんてー」

「このッ⋯⋯!!」

 思わず拳を振り上げたその瞬間、教室のドアが開かれる音がした。


「モネさん、ここにいらしたのですか。授業に来ないから心配したのですよ」

「エドワード先生⋯⋯」

「──これは一体誰がやったのですか?」

 彼は、私の足元に散らばった教科書の焦げた破片を拾い上げながら、静かに問いかけた。


「それはッ──」

「モネさんが自分で燃やしましたー」

「なっ⋯⋯」

 私の言葉を遮るように、彼女が彼の前に出た。


「みんなも見てたよねー?」

「見た見た」

「ハーフエルフの彼女が燃やしていましたー」

「ちがっ⋯⋯」

 誰も私の味方をしてくれる人なんていなかった。

 このままでは、本当に私がやったことにされてしまう。

 なんとかしなくちゃ、と打開策を考えようとするが、焦りと緊張で頭が働かない。

 言葉がうまく出てこなくて、状況はどんどん悪化していく。


 ──もう、だめだ。そう思った時、彼が私の目を見つめながら、こう尋ねてきた。


「モネさん、これは誰がやったのですか?」

「え?」

「誰があなたにこんな仕打ちをしたのですか?」

 私は黙ったまま、視線だけで眼の前の彼女を指すと、彼はその様子を見て、静かに「わかりました」とだけ言い、立ち上がった。


「私の大事な生徒にこんなことをして、ただで済むと思わないでくださいね」

「ちょっ、なんでそのハーフエルフの言い分だけ聴くのですか!? 私達だってあなたの生徒ですよ? そんなの教師としておかしいですよね」


 彼女が憤りを露わにして声を上げる。しかし彼は、首をかしげ、不思議そうにこう答えた。


「なにもおかしくないですよ。だって、私の生徒は『モネさん』だけなんですから」

「はあ?」

 その言葉を聞いた彼女は見るからに態度を急変させた。


「たかが教師のくせに私達に歯向かうっていうの? 私のパパ、この国では、それなりに高い地位に就いているんだけど?」

「⋯⋯そうですか。それは失礼しましたね。ちなみに、私はこの国の『元宮廷魔法師』ですが、それより高い地位なのですか?」


 一瞬の沈黙の後、彼女の顔色がみるみる変わっていく。


「──きゅ、宮廷魔法師!?」

 彼女の声が裏返り、周りの取り巻きたちもその名を聞いた途端、余裕に満ちていた表情が一転して、焦りの色を帯びた。


 でも、それもそのはず、『宮廷魔法師』というのは、この国では、国王に仕える専属の魔法使いのこと。

 その地位は国王の血縁に次ぐもの。ここにいる生徒たちの親がどれほど権力を持っていようが、到底対抗できるレベルではない。

 ましてや、王族ででもなければ、宮廷魔法師に口出しできる立場にすらない。


「あなた方は即刻除籍処分です。何か言い分はありますか?」

「いや、その⋯⋯」

「今すぐ、この教室から出ていきなさい」

 エドワード先生のその一言で、彼女たちは血相を変え、慌ただしく教室から逃げ出していってしまった。教室が静まり返ると、エドワード先生はゆっくりと教壇に立ち上がった。


「それでは、予定を少し変更して、教科書を使わない授業をしましょうか」

「⋯⋯はいっ!」

 ガランと人がいなくなった教室で、先生は改めて私を見つめた。


「これまで、よく頑張りましたね」

 その言葉が耳に届いた瞬間、抑えていた涙がポロポロとこぼれ始めた。

 涙でぐしゃぐしゃになった顔で、それでも私は笑って、元気よく答えた。


「はいっ!」



 //////////



「──皆さん、最期まで役目を果たしてくれたんですね」

 エドワードはボロボロの身体を支えながら、微かに笑みを浮かべた。

 その様子を見たカリオスは、不思議そうに首をかしげて問いかける。


「どうして笑っている?」

「いえ、何でもありませんよ」

 すでに満身創痍な私を見て、カリオスは静かに目を伏せた。


「エドワードよ、できるなら私もお前を失いたくないのだ。なにより、本気のお前とは戦いたくない」

「⋯⋯まさか、あなた様からそんなお言葉を頂けるとは。人生、何があるかわかりませんね」

 私は静かに、カリオスに目を向けた。

 すると彼は、諦めたように小さく息を吐いた。


「──本当に、お前は変わらないな」

「ふぉっふぉっふぉ、師匠ほどではありませんよ」

 短い沈黙が流れた。そして、彼が手を掲げるのに合わせるようにして、私もゆっくりと杖を彼に向けた。


 彼に弟子入りしていた頃、幾度となく挑んでは、完膚なきまでに叩きのめされてきた。一度たりとて、彼に勝てた試しはない。


 ⋯⋯それでも、だ。ここでただ死を待つわけにはいかない。

 皆、こんな私の願いを聞いてくれた。『その命を、学園のために使わせてくれ』という、無茶な願いに応えてくれた。


 だからこそ、たとえ敗北がわかりきっていたとしても、最後まで足掻かせてもらいますよ。そうでもしなければ、皆に顔向けできませんからね。


「覚悟はできてるな」

「ええ、当たり前です」

 私は短く返事をし、静かに深く息を吸い込んだ。


 眼前には、数多の魔法陣が次々と展開され、まるで別世界のような神々しい光景が広がる。

 その圧倒的な魔力が空間そのものを揺るがし、肌に突き刺さるような強烈な圧迫感が全身を襲う。


 ──だが、怯むことはない。


 私は、自身に残されたすべての魔力を、一点に集中させた。拳を握り、足に力を込め、最後の一撃を繰り出す準備をする。


「⋯⋯あなた様に看取ってもらえるなら、本望ですよ」

 ──もう、十分に生きました。これといって思い残すことはありません。ですが、ただ一つだけ。


 最期に、モネさんに感謝を伝えたかった。

『私の生徒になってくれて、そして三十年もの長い間、こんな私についてきてくれて、本当にありがとう』と。


 ⋯⋯もう、叶わない願いですがね。

 ですので、せめて、この命尽きる最期の時まで、あなたに慕ってもらえる先生でいましょう。あちらでも、胸を張れるような教師でいましょう。


 それが、不器用な私にできる、せめてもの恩返しです。


「ゆくぞ、エドワード・ヴァルデック!!」

「ええッ!!」


 そして、世界は眩いほどの色鮮やかな輝きに包まれた。

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