第七十三話 思い出のマフラー
「本当に良かったんだな? 今ならまだ間に合うぞ」
ナガマサが遠くを見つめながら、わたしに言った。
「カインはここで犠牲になっていい人じゃない。カインを生かせるなら、それでいい」
「ハッ、あいつは幸せ者だな。こんなにも愛されて」
「うん、わたしはカインを愛してる」
「──ハッ、そうかそうか! それなら納得だ。道理で、あんないい眼をするわけだ」
その言葉を聞いたナガマサは腹を抱えて笑った。
「それに、あの黒い竜にこれ以上、大切な家族を奪われるわけにはいかないから」
「それはオレも同意だ。ただでやられようとは微塵も思ってねえ。一発ドカンとでかいのを喰らわせるぞ」
「うん、そんなの当たり前」
すると、その時が訪れた。
巨大な翼を羽ばたかせ、漆黒の竜がゆっくりと空から降り立つ。そして、その竜の背には、異世界人特有の顔立ちをした青年が冷たい眼差しでこちらを見下ろしていた。
「王子と、あの茶髪の少年はどこに行ったんだい?」
「知らねえな。それより、お前はたしかリンドウの仲間だったよな」
「ええ、そのとおりですよ。リンドウさんのお師匠様」
その言葉を聞いた途端、ナガマサの声が荒々しくなった。
「ハッ、リンドウを殺した張本人が、その名を騙るなッ!」
「──やはり、そうでしたか。リンドウさんを殺害したのは『わたし』じゃない」
「うるせえッ! なら、今そいつに乗っているのはなぜだ。リンドウはそれを討伐しに行ったんじゃねえのかッ!」
「⋯⋯っ、あなたを殺すつもりはなかったのですがね。話が通じないようなら仕方ありません。せめて、一瞬で楽にさせてあげますよ」
青年の声に呼応するように、黒竜は空気を震わせるほどの咆哮を放つ。
「──ッ、最初から全力で行くぞ!!」
「もちろん」
カインとの戦いを経て、確信した。今のわたしなら、半獣化を超える、さらに上位の形態へと到達できるということを。
自分の中に流れる獣の血を、限界まで解き放つ。
獣毛が逆立ち、その色は純白へと変わる。爪はさらに鋭く、牙は一層太く。
体を覆う稲妻がパチパチと音を立て、周囲の空気を揺るがせながら広がっていった。
「お前、その姿──」
突然、ナガマサが刀を下ろした。
「どうしたの」
「⋯⋯なあ、シキって名前を聞いたことあるか」
「どうして、お父さんの名前を?」
「──そうか、そうだったのか」
なぜか、ナガマサが心底安心したような、柔らかい表情を浮かべた。
「よそ見とはずいぶんと余裕だね」
「ッ、来る!」
わたしが叫んだと同時、わたしたちは左右に散開した。黒竜の息吹が凄まじい勢いでわたしたちの間をかすめ、地面がえぐれるような衝撃が響く。
「このまま行くぞ!」
「⋯⋯うんッ」
着地と同時に、その巨体へ向かって一気に距離を詰めた。
その動きを見て、黒い竜は尾を振り払おうとした。大地を巻き込みながら、凄まじい勢いで薙ぎ払ってくる。
一撃、一撃が致命傷。しかし、どれほど強力でも、当たらなければ意味がない。
素早く身を翻し、紙一重でその攻撃を回避する。
「喰らえッ!」
ナガマサの抜刀とタイミングを合わせ、わたしは黒竜の腹部に渾身の蹴りを叩き込んだ。自分の何十倍もある巨体がぐらりと後退する。
「よし!」
その一瞬の隙を逃さず、わたしたちは追撃のためにさらに接近を図る。しかし、次の瞬間、再び黒竜の口元が不気味に輝き始めた。
「チッ、バカのふたつ覚えかよ」
放たれたブレスが地面に衝突し、衝撃が円状に広がっていく。
このままだと巻き込まれる。そう瞬時に判断し、地面を蹴って上空へと飛び上がった。
するとその時、黒竜の背に乗る青年と目が合った。
「──まずは、君からだ」
青年が不敵な笑みを浮かべながら口を開くと、そこに魔法陣が展開された。
「そんな⋯⋯」
そこから、黒竜と同じ淡い光が漏れ出し、空気が歪む。
咄嗟に回避しようとするも、空中にいるせいで思うように身動きが取れない。
直撃を覚悟し、全身に力を入れたその瞬間、背後から声が響いた。
「危ねえッ!」
身体に衝撃が走った。
一瞬、視界に映ったのはナガマサの微笑んだ顔。
「──俺たちの分まで、一発ぶちかませよ」
「⋯⋯わかった」
その言葉を最後に、ナガマサは眩い光に包まれた。
歯を食いしばり、わたしは地面に着地する。振り返る時間なんてない。臆することなく、すぐに黒竜の胸元に向かって駆け出す。
黒竜はその巨体ゆえに、飛び立つまでに予備動作がいる。
もし飛び立たれたら、わたしにはもう攻撃手段が残されていない。だから、今しかないんだ。
全力の一撃を、ライゼンに教わった秘技を放つチャンスは、今しか⋯⋯
「宣言どおりにとはいかなかったけど、すぐに彼の後を追わせてあげるよ」
「⋯⋯うるさいッ!」
──ただ、全力で力を込めれば込めるほど、その後の隙は大きくなる。
そして、きっとわたしは黒竜の反撃を避けられない。
つまり、この秘技を放った時がわたしの最期。
それで終わる。もう、カインとは二度と会えなくなる。
⋯⋯覚悟してたはずだった。だけど、心のどこかではまだ、生きていたいと思ってた。
もっと、カインと一緒にいたい。
もっと、カインと触れ合っていたい。
ここで終わりだなんて、信じたくないよ。
まだまだ、カインと話せてないことがいっぱいある。
例えば、カインがわたしを置いて一人で旅に出たとき、どれだけ辛かったとか。
ようやく一年ぶりに再会できたと思ったら、周りに女の人がたくさんいて、どれだけ不安だったかとか。
それに、あれから3年も一緒にいたのに、一度もカインから『好き』って言われなかったことは今も根に持ってる。
カインはほんとに女心をわかってない。わかってなさすぎるよ⋯⋯
黒竜との距離が縮まるにつれ、わたしのタイムリミットが迫ってくる。
「──足りない、全然足りないよ」
思いが溢れてくる。だけど、もうそれは叶わない。引き返すことなんてできない。
ここで足止めしないと、カインが殺されてしまう。
──それだけは、わたしが絶対に許さない。
わたしは勢いよく飛び跳ね、黒竜の懐へと一気に飛び込んだ。
目の前に迫るのは、その胸の中心にある、一枚だけ逆さまに生えた鱗。
このときのために、調べ尽くしてきた。
黒竜の最大の弱点『逆鱗』
わたしは拳を構える。
ライゼンから教わった秘技は、実にシンプル。ゆえに強力。
全神経をただ一点に集中し、腰を捻りながら溜めていく。
ただし、力んではいけない。
相手に拳が届くその時まで、拳は軽く、そして流れるように。
寸前、全てを拳に集約し、一気に放つ。
拳は真っ直ぐ垂直に。
放った拳と逆の手は腰へと引き寄せ、体のバランスを保ちながら、さらなる力を生み出す。
こうして放たれる一撃はどんなものにも届く。
重く、鋭く、ただ一点を穿つために。
この一撃にわたしのすべてを乗せる。思いも、願いも、そのすべてを。
ありがとう、ずっとわたしを救ってくれて。
ありがとう、ずっとわたしのそばにいてくれて。
ありがとう、わたしの大切なカイン。
さようなら、わたしの大好きな人。
「──これがわたしの、『会心の一撃』だッ!!」
素早く振り抜かれた拳は、雷をまといながら逆鱗と衝突する。
パキッ──ッ。乾いた音と共に、鱗に亀裂が走った。
次の瞬間、黒竜が怒りの咆哮を上げる。それと同時に、猛烈な痛みが全身を襲い、わたしは空中に弾き飛ばされた。
「ガハッ⋯⋯!」
思わず呻き声が漏れる。
「──まさか、ここまでやられるとは思わなかったよ」
黒竜がその大きな口を開き、再び淡い光が灯り始める。
時間がゆっくりと流れ出す。
本当に、わたし⋯⋯死んじゃうんだな。
家族の仇は討てなかった
因縁の相手につけた傷は、ただのヒビ一つ。
でも、十分に時間は稼げた。
カインは強い。今日は勝てたけど、明日になればカインの方がもっと強くなってる。
どんどん強くなって、必ずカインは、あの黒竜を倒してくれる。
だから、この勝負は──
「わたしたちの、勝ちだ」
わたしは勝ち誇った笑みを浮かべた。
天高く舞い上がった身体は、重力に引かれて徐々にその落下速度を上げていく。視界は次第に光に包まれていった。
「あっ⋯⋯」
ふと、首元に巻かれたマフラーに手先が触れた。
ぼろぼろで、糸があちこちで解れている。
思えば、ずっと身につけてた。どんなときも、いつだってわたしのそばにいてくれた。
身体が炎に包まれていく。
わたしは燃えないように、マフラーを抱きしめる。
──ああ。
「あったかいなあ」
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