第六十四話 恋慕
「──さすがに休んだらどうだ」
「はあっ、はあ。大丈夫、まだ、やれる」
早朝、格闘場には鈍い打撃音が響いていた。
「拳を武器とする我々は身体が資本。ここで潰れてしまったら元も子もないぞ」
「⋯⋯それでも、ここでやめるわけには、いかない。カインなら今も、訓練してる、絶対に」
「まったく、これでは勝負以前の話だ。ベル、なにがお前をそこまで焦らせている」
数秒の沈黙の後、静かにベルは口を開いた。
「──わたしは、カインを守らなくちゃいけない。たとえ、この命尽きたとしても、カインだけは⋯⋯だから、強くなきゃいけない。私はカインよりも、強くなきゃいけないの⋯⋯!」
「⋯⋯そうか」
ライゼンは、彼女のような人間に対して、自分が何を言っても無駄だということを痛いほど理解していた。
昔、ライゼンが冒険者としてパーティーを組んでいた頃のことだ。ダンジョンで一人の女性メンバーが取り残されたことがあった。恋仲だった剣士は、こちらの静止も聞かず、無策のまま突っ走っていった。結果として、二人とも無事だったが、一歩間違えばどちらも命を落としていたことだろう。
その面影を、今のベルにライゼンは重ねていた。
「なら、疲れ倒れるまでやるしかないな」
これも教師の役目。ライゼンは再び、ベルと向かい合った。
「もう弱音を吐いても遅いぞ。わしの秘技を習得するまで休めると思うな」
「⋯⋯うん、そうこなくちゃね」
「ふっ、生意気になったな」
──その一方、別の場所では。
「さあ、準備はできてる? モモさん」
「⋯⋯はい」
「大丈夫ですよ、緊張することはありません」
モネが優しく声をかけ、私をなだめる。私はそれを聞いて、一度深く息を吸い込んだ。
「でも、どうして私なのでしょうか」
「ふふっ、それはあなたが私の魔法適性が一番高いからよ」
モネは微笑みを浮かべながら続けた。
「⋯⋯それに、あなた、ずっと何かに悩んでいるみたいね。そのせいで、自分への自信も信頼も見失ってしまっているんじゃないかしら。もしよかったら、先生に話してみてくれない? もしかしたら、何か手助けができるかもしれないわ」
「それは──」
モネの言葉がきっかけで心の奥底にしまっていた感情が溢れ出してくる。必死に抑えようとするも、日頃の蓄積が私の制御を不能にした。
「⋯⋯好きな人がいたんです。でもその人には私が知り合う前からの恋敵がいて、一緒に旅をすればするほど、痛感するんです。私じゃ、敵わないなって」
「──そう」
「どれだけ努力しても、どれだけ頑張っても、届かない。それどころか、彼女との差はどんどん広がっていくんです。あの人の隣に立つのにふさわしいのは私じゃない、と何度も思い知らされてきました。でも、諦めることなんてできなくて、今さら引き返すこともできなくて⋯⋯もう、私はどうすればいいのか、わからないんです」
初めてだったかもしれない、ここまで自分の気持ちをさらけ出したのは。隠し続けてきた本音を口に出した瞬間、恥ずかしさが一気に押し寄せ、顔が熱く火照ってくるのを感じた。
「つまり、叶わない恋に悩んでるってわけね」
「⋯⋯はい」
認めたくないけど、あの人のことが好きな私が一番良くわかってる。
⋯⋯あの人が、本当は誰を想っているのかくらい。
「──なんだ、それなら私と一緒ね」
「え⋯⋯? 先生がですか?」
キョトンとした顔でモモはモネを見つめた。
「ええ、それも三十年前からずっと」
「三十年も⋯⋯ですか。先生ほどの美人な方が恋愛に悩んでいたなんて想像ができないです」
「ふふっ、ありがとう。でも、それなら私も同じ意見よ。あなたほどの可愛い子が悩むなんてね。現実って、なかなか思うようにはいかないものね」
モネはそっと私の頭を撫で、優しい笑みを浮かべた。その感触に私は居心地の良さを感じ、身を委ねる。
「⋯⋯先生はどうしてその人のことを好きになったんですか」
「そうね⋯⋯もう、ずっと前のことだから忘れちゃったわ。正直、何度も諦めようと思ったの。私なんかふさわしくない、新しい人を探したほうがいいって、自分に言い聞かせてね」
モネは少し視線を落とし、過去の記憶に触れるように言葉を続けた。
「それでも、結局あきらめきれなかった。そして、きっとこの先も私はあの人を追い続けてしまうと思うの。だからね、モモさん⋯⋯」
彼女は優しく微笑みながら、私を見つめた。
「諦めなくていいのよ、あなたが満足するまでは」
「⋯⋯そう、ですかね」
「ええ、断言するわ」
三十年も片思いを続けてきた先生が言うのだから、もう少しだけこの気持ちを抱いていてもいいのかもしれない。
そう思うと、今まで心に抱えていた重荷が少しだけ軽くなった気がした。
「⋯⋯あ、それで先生」
ふと、何か思いついたかのように私は口を開いた。
「あら、どうしたの?」
「先生が好きな人って誰なんですか?」
「えっ!? そ、それは⋯⋯」
モネは驚きの表情を浮かべ、顔が一瞬で真っ赤になった。彼女は視線を逸らし、俯きながらゴニョゴニョと何かを言ったが、その声は小さすぎてほとんど聞こえない。
でも、そんなことは気にせず、私はさらに追撃する。
「先生お教えて下さい!」
モネはしばらく目を閉じ、何かを考えるように沈黙していたが、やがて観念したように大きなため息をついた。そして、私に耳を近づけるよう手招きする。
「このこと、絶対に他の人に言っちゃだめだからね!」
「はい、もちろんです!」
モネは再び顔を俯かせ、数秒間の葛藤の後、私の耳元で小さくささやいた。
「ふむふむ⋯⋯ええ──!!!!」
「こら! 声が大きい!」
「だ、だって、先生の好きな人があの⋯⋯」
「しー! これは二人だけの秘密でしょ!」
私は、赤面して慌てるモネ先生の姿に思わずくすっと笑ってしまった。いつもの冷静で優雅な先生とはまるで別人みたいだ。
「あれ、そうでしたっけ?」
「もう、流石に怒りますよ!」
ぷくっと頬をふくらませる先生を見て、私はまた笑った。
「⋯⋯先生、ありがとうございます」
「──もう大丈夫そうね。さ、特訓を再開するわよ」
「はいっ!」
こうして、私とモネ先生の特訓が開始した。
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