最終話 『悔いのない人生を』
紫光が煌き、大気を唸らせた。
「ここは私に任せてください」
「ああ、頼んだ」
カインは即答した。
モモは思わず、口角を挙げ、拳に力を込めた。
短い時間だったけれど、心の底から尊敬できた恩師の姿を思い浮かべて、杖先に魔力を集中させる。
見上げた先、その巨口から光が横一線伸びたかと思えば、圧力を伴う重低音が、鼓膜を激しく揺らした。
瞬間、高熱を帯びた流星が発射された。
喰らえば即死。
そう、誰もが直感できる。
骨すら残らないだろう。
でも、後ろで構える二人はそんなのお構いなしだ。
ミリアは杖を掲げ、彼は静かに抜刀の構えに入っていた。
あの攻撃が当たるなんて思いもしてないのだろう。
そして、それは私も同じ。
傍目に確認したモモは、今度は歯を見せて喜んだ。
信頼される喜び。
それに──"応えられる喜び"
全身の魔力が沸騰するように熱を持ち始めた。
恩師との想い出が脳内を駆け巡り、記憶の中の彼女が口にした言葉が詠唱となって喉からこぼれ落ちる。
『創生魔法 魔力障壁』
杖から放たれた蛍火は、周囲の空気を吸い上げ、硬質な結晶へと変えていく。
濁りない正六角柱が隙間なく並び、球状に三人を包み込んだ。
目前に紫白い流星が迫る。
⋯⋯モネ先生、どうやら私も叶えられなかったみたいです。ですので、私もあなたと同じように。好きな人の横に立つために、全身全霊をもって。
──彼の期待に応えてみせます。
燦爛たる流星が障壁に直撃した。
白光が覆い尽くし、世界が真っ白なキャンバスへと変貌する。
魔力の壁が震えだし、それに呼応するように杖先も振動し始めた。
両手でそれを静止しようと、爪が手のひらに食い込み、足趾の根本で後退しないように土を掴むも、支えきれず片足が土を巻き込んで後ずさりする。
「──っ!!」
喉から絞り出すような声が漏れる。
頭が痛い。
血管が破裂しそうだ。
奥歯をこのまま噛み砕いてしまいそうになる。
それでも、これ以上下がるわけにはいかない。
私が絶対、この一撃を⋯⋯防がなきゃいけないのだから!!
いまだ景色は白一色。その眩しさの中、魔核が微かに軋むのが見えた。ヒビが稲妻のごとく奔り、まるで急激に圧縮されたかのように弾けた。
──パリンッ。
世界が崩れる音がした。
硝子が割れるように、障壁は無数の菱形となって砕け飛ぶ。
その破片が風に乗って、モモの皮膚を割いた。
熱気が肌を焼き、髪を逆立てる。
咄嗟に目をつむった。
激痛が走るのを覚悟した、その刹那。
ひんやりとした風が頰を横切った。
「⋯⋯百点満点です。モモさん」
背後で魔法陣を展開していたミリアが杖を空に向ける。
視界は晴れ、竜の姿がはっきりと見えた。
「私も負けていられませんね」
その体から放たれる圧倒的な魔力に、地面の砂粒が震え、小さな石が浮き上がる。
その魔力は宙で渦巻き、綺麗な白髪が舞う。
ミリアは反動に備え、姿勢を正した。
杖の先端に光の粒が集まり始める。
それは雷のように激しく瞬き、炎のように揺らめきながら、一つの点へと収束していく。
その光が極限まで凝縮された瞬間、周囲は無音に包まれた。
『超級魔法 天撃』
大気が弾けるように。
一筋の放光は、空気を断ち、一直線に黒竜へ伸びる。
狙うは、胴体?
否。その大役を担うのは、私じゃない。
私はあくまで、彼の一撃が届くように。
あれを、撃ち落とすまで⋯⋯!
光る軌跡が黒竜の飛翼を突き破り、天を翔ける。
「グガ■■■■■■■ッ!!」
それはただの咆哮ではなかった。
黒竜の悲鳴が、キーンと鼓膜を震わせ、脳に直接響く。
片翼を失い、体勢を崩した黒竜は、天から拒絶されるように、その巨体ごと急降下する。
「あとは、お願いします」
「行ってください!」
二人の声が重なり、彼の名が呼ばれる。
「カインさん!」
「カイン!」
──ドクンッ。
痛む心臓。
体の中心で警鈴が鳴り、悲鳴を上げている。
それでも、少年は一歩も引かず、大地を踏みしめた。
「二人とも。ありがとう」
駆け出した足は速く、音速を超える。
刀の柄に手を掛けたまま、これまで絶えず鞘内に供給され続けてきた魔力が、鍔と鞘の隙間から、紅い光となって漏れ始めた。
視線の先、黒竜が地面に叩きつけられるのが見えた。
舞い上がった砂埃の中、再度、その口元に淡い紫光が灯る。
「⋯⋯ッ!」
だが、ここで足を止めるわけにはいかない。
二人が命がけで作ってくれたこの好機を、無駄にしないために。
そして、加賀美との約束を果たすために。
頭の中で、無数の選択肢が駆け巡る。
より速く。
より確実に。
この一撃を放つために。
そのとき、声が思考を断ち切った。
俺の名を呼ぶ、二人とは違う声が。
「カインさんっ!」
「──ウィル!」
純白の魔力を身に纏ったウィルは、全力でこちらに手を伸ばした。
その魔力の揺らめきに老人の姿がふっと浮かび上がる。
呼応するように、カインの胸の中心に魔法陣が出現した。
「受け取ってください!」
それは、全魔力をもってただ一人を強化する、学園長が生み出し、学園長のみが使えた魔法。
それは、この瞬間のために、彼がウィルだけに託した唯一無二の魔法。
そして──それは、カインを真の最強に成り上がらせる、もう一つの魔法。
『創生魔法 限界突破』
魔法陣を突き破り、白炎がカインの全身を覆い尽くす。
けれど、不思議と熱くない。
それどころか、全身から力が、魔力が湯水のごとく湧き上がってくる。
ギアを一段階上げた。
黒竜の全貌が視界からはみ出す。
あと、少しだった。
もう数秒、時間があれば、間合いに入っていただろう。
しかし、それよりも早く、巨口からすべてを焼き尽くす紫光が地面に向かって発射された。
吐き出された息吹が地表を舐め、耳を劈く轟音と熱波をまき散らしながら、弧を描いて走り迫る。紫光は、灼熱の津波となって大地を溶かし、辺りを地獄へと化していく。
「クソッ⋯⋯!」
カインは飛んで避けるしか無かった。
その時、空中にいるカインの視線と、黒竜の視線が交差する。
気付いたときには、手遅れだった。
息吹を吐き続けたまま、黒竜の首が回る。
地表を焼いていた紫の光線が、軌道を変え、カインを捉えて空へと持ち上がる。
──間に合わない。回避出来ない。
息吹の放つ熱が、全身の水分を奪っていく。皮膚が焼かれ、眼球が蒸発しそうだ。
ここまできたのに、俺はやっぱり⋯⋯
刀への魔力供給が途切れかけた。
死のイメージが脳内を満たす。
もう、対処のしようがない。
こんなとき、いつも駆けつけてくれる人がいた。
その人は、いつも俺のためにボロボロになって。
それでも、駆けつけてくれるんだ。
「カイン!」
──こんな、風に。
赤い軌跡が、稲妻の如く割り込んだ。
純黒の長髪を揺らしながら、彼女は現れる。
たとえ向こう側にいても、彼女はいつだって、俺がピンチのときは絶対、助けに来てくれる。
⋯⋯ずっと、信じてましたよ。
「師匠ッ!」
「足を向けろ!」
刀を鞘ごと振り上げた師匠を見て、俺は咄嗟に身体を回転させ、指示通り、足を向けた。靴裏の隙間に鞘が押し込まれる。
「カイン、すまなかった。私は⋯⋯」
「いいんですよ」
俯いていたツバキが顔を上げた。
「俺が師匠を恨むことはありませんから」
「──本当に、お前ってやつは」
柄を握る手に、力がこもった。
ツバキはわずかに笑って、その全ての力を刀に込めて、振り下ろした。
「いっけえええええ!!」
カインの身体が黒竜の胸元めがけ、弾丸のように撃ち出される。
振り返った視界の隅で、満足そうな表情をしたツバキの姿が、光に包まれ、消えていくのが見えた。
「⋯⋯ありがとうございます、師匠」
かすれそうな意識の中で、俺は途切れかけた魔力供給を、もう一度だけ繋ぎ直す。
限界はとっくに超えていた。
その時が近づくたび、心臓は悲鳴を上げ、これまでの思い出が、走馬灯のように駆け巡る。
俺は、多くの大切な人を失ってきた。
そのたびに、自分の無力さを思い知らされた。
思えば、前世以上に後悔だらけの人生だった。
本当に、何が"後悔のない人生"だよ。笑わせてくれる。
後悔しないようにと決めて選んだ道が、より多くの後悔を生んだ。
まるで逆効果じゃないか。
──でも、今なら言える。
後悔のない人生なんて、そんなものは存在しない。
未練を残し、反省ばかり。
理想とはかけ離れ、どうしてこうなったと泣き叫ぶ。
後悔して、後悔して、後悔し続けて、それでも進み続けて。
悔しさも悲しみも抱えたまま歩いた、その足跡こそが──俺の、人生なんだ。
「我、異世界より来たれり」
今にも掻き消えそうな、か細い火が灯る。
全身から絶叫が聞こえる。
身体が限界だと叫んでいる。
「名を──【宮野連】」
視界は滲み、口内が鉄の味で満ちていく。
今にも崩れ落ちそうだ。
だが⋯⋯止まるな。
人は、後悔すると、そう分かっていても尚、歩み続ける生き物なんだ。
歩み続けることを、俺たちは止められない。
だから、選び続けるんだ。
傷ついても、間違っても、それでも選び続ける。
少しでも、悔いの残らない道を。
少しでも⋯⋯
「────悔いのない人生をッ!!」
俺は魂の限り、叫んだ。
【煉転】
白炎と紅炎が交じり合い、それは烈炎のごとく燃え上がる。
魂の細火は、灯滅せんとして光を増す。
眼前に見えるは、一枚だけ逆さに生えた漆黒の鱗。
握る柄が、極限まで熱を帯びる。
息を吐いた。
魔力で充満した鞘は、今にも破裂しそうに唸り、朱い亀裂を走らせる。
魔力は底を尽き、生命さえ削り尽くした。
残された気力で放てるのは、たった一度だけ。
だが、それで十分。
”一撃必殺”
そのために、肉体も、魔力も、魂すらも、燃やし尽くせ。
奴を倒せるなら俺は⋯⋯!
正真正銘、存在全てを、この一刀へ。
空気が爆ぜ、圧縮された魔力が朱光となって迸る。
引き抜かれた刀身は、白銀と緋を孕み、灼煌が刃の輪郭を溶かしていく。
「覚悟しろよ、黒竜。これが、俺の⋯⋯俺たちの最後の一撃だ」
煌めきが天を衝く光となり、その軌跡を残す。
『天衝』
放たれた光は大地を砕き、伸びた一閃が、逆鱗へ突き進む。
「■■■■■■■ァ゛!!」
衝突した瞬間──世界が白緋の閃光に覆われた。
咆哮が轟き、二つの力はただ一点でせめぎ合う。
指先の感覚はとうに消え、鼓動だけが聞こえた。
空間そのものが軋み、地面が輪紋のように波打つ。
拮抗したまま、時間だけが永遠かのように引き伸ばされ、世界は呼吸を忘れていた。
その無界の中、あらゆる攻撃を防いできた逆鱗が、ついに悲鳴を上げる。
バキッ──。
幾多の挑戦者が刻んだ微傷の蓄積が、一筋の裂け目から無数の亀裂を引き起こした。
「うおおおおォォッ!!」
研ぎ澄まされた刀身が、逆鱗に深く沈み込んでいく。
連鎖する破断音。黒曜の鱗は層を剥ぐように割れ、砕け散った破片が光の奔流に呑まれて蒸散する。
そして、露わになった。
逆鱗に守られていた、魔獣の最大の弱点。
薄紫の宝石──"魔核”
もはや、それを遮るものは何も無い。
──ベル、みんな。俺に力を、貸してくれ。
琥珀色のペンダントがひときわ強く輝いた。
白炎が柄を押し上げる支えとなり、灼炎が刃に集束する。
振り抜いた一閃は、魔核を貫き、一縷の線を走らせた。
その裂け目から光が噴き上がり、瞬く軌跡が空へ駆け上る。
その軌跡は大地を割り、雲を断ち、そして──
天をも、切り裂いた。




