第九十八話 かつての仲間として
「久しぶりの戦闘だが、大丈夫か? ミア」
「ええ、もちろん。こうして、あなたの隣に立つと、あの頃を思い出すわ」
「やめてくれ。あのときの記憶など、思い出したくもない」
「何言ってんだよ。すぐに嫌という程、味わうことになるのによ」
「ハア、少しは現実逃避くらいさせてくれ。あれだけは十年以上経ってもトラウマなんだ。今すぐにでも、シオンと代わりたいくらいだ」
──なぜ、この人たちはこの状況で笑っていられるのだろう?
今から僕たちが戦うのは、あの黒竜。
人間が一度も勝つことができなかった存在だというのに。
「それじゃあ、ウィルちゃんは私の近くから離れないでね」
「はっ、はい」
「よしッ! それで作戦は?」
「うむ、そうだな。それなら、まずはダイン、お前が一撃ぶち込んであの竜を地面に落とす。その後はワシが抑えて、お前はあのバカに続けてもう一発ぶち込め。それでどうだ?」
「そんな、適当な──」
「おっ、その作戦、気に入った!」
「⋯⋯」
もはや、理解できなかった。
まともな神経をしてるとは思えない。
それなのに、どうして──この人たちの背中は、こんなにも頼もしく見えるのだろう。
「さ、来たようだぜ。全員、戦闘準備!」
その掛け声で一斉に自分以外が戦闘態勢に入る。
遅れて空を見上げると、たしかに奴の姿があった。
ここからはまだ距離があるのに、風を切る音がここまで聞こえてくる。
威圧感、というべきか。
極度の緊張で身体が固まって動かない。
──くそっ、何をやっているんだ、自分は。
今日、僕たちは全員で勝ちに来たんだ。
みんな命を賭けて戦っている。僕だけ、怖じ気づいているわけにはいかない。
すると、肩にぽん、と手が置かれた。
「そんなに緊張しないで大丈夫よ。私たちを信用して」
「そうだぞ! それじゃあ、支援魔法頼むぞ」
「──わかりましたっ!」
ウィルが魔法を発動すると、ダインはその効果を肌で感じたのか、口角をわずかに上げ、一歩後ろへ。
次の瞬間、地面を強く蹴り、弾丸のごとくライゼンへ突進する。
「ふんっ!」
ライゼンは迫るダインの脚を手で受け止め、そのまま全力で真上へと放り上げた。
視界が一気に開け、上昇したダインの眼前に、ちょうど黒竜の広い背が現れる。
そして──
「よお。頼まれた通り、来てやったぜ」
「まったく⋯⋯どんな登場の仕方してんのよ」
その目に映るのは、黒竜の背に立つツバキの姿。
ダインは迷わず剣に魔力を込め、振り下ろした。
「まずは一回目ェ!」
光をまとった剣閃が、黒竜の肩口を薙ぐ。
巨体がのけぞり、重力に引かれるように落ちると、そのまま地面へ叩きつけられる。
轟音とともに大地がうねり、土煙が一気に視界を呑み込む。
その向こうで黒竜がゆっくりと頭をもたげ、耳を劈く咆哮を上げた。
「さ、今度はわしの出番だな」
「──グガアァァッ!!」
地に伏した竜を見据え、ライゼンが拳を打ち合わせて構える。
直後、黒竜の口縁に不気味な光がじわりと滲み出した。
「もうその手は通用させんぞ」
ライゼンは一気に駆け、口が開ききる前に渾身の蹴りを顎へ叩き込む。
鈍い衝撃音。噛み合わされた牙が火花を散らし、巨体がよろめいた。
──が、怯む間もなく黒竜は咆哮とともに大翼を打ち、爪と尾を暴風のように乱れ撃ちに振るう。
「流石に近寄れん──」
飛び退いた刹那、竜の視線がこちらを射抜いた。
竜爪が横一線に走り、ライゼンの身体は容赦なく切り裂かれる。
鮮血が弧を描き、上半身と下半身が無惨に二つへと弾け飛んだ。
「ライゼンさんっ!!」
ウィルの叫びが響く。
たしかに彼の身体は引き裂かれた。
無事かどうかという次元ではない。
──これじゃ、黒竜を止められる人が⋯⋯
しかし、絶望がよぎるウィルの横で、ルミアは静かに一歩、前へ出た。
「もう、油断してるからですよ」
目の前で仲間の身体が切り離されたというのに、彼女は表情ひとつ変えず、魔法をライゼンへ向けて解き放つ。
淡い緑の光が空中に漂い、切り裂かれた肉体をやさしく包み込んだ。
「まさか、そんな──」
見る間に断たれた肉体が吸い寄せられるように繋がり、傷口が音もなく閉じていく。
瞬きするほどの時間で、彼は立ち姿のまま、完全な形を取り戻していた。
「⋯⋯ああ、久しいなこの感触。まったく、最悪な気分だ!」
「それなら、これ以上怪我しないでくださいね」
「悔しいが、それは保証できないなッ!」
そう言い放ち、ライゼンは再び黒竜へと飛びかかる。
その傍らでは、二人の剣士が向かい合っていた。
「本当に、来てくれるなんてね」
「当たり前だろ。おめえをぶっ飛ばさないと、こちらの気がすまねえからな」
「ダインさん、援護します」
「いや、その必要はなくなった。お前はカインの下にいけ」
「え、でも──」
「気が変わった。いいから行くんだ」
「⋯⋯わかりました」
ウィルがシモウサの街へ駆け出しても、ツバキは微動だにしなかった。
「あの王子を追いかけなくていいのか? お前らの目的はあいつだろ?」
「わかりきったことを聞かないでくれ」
「そうだな。じゃあ、本題だ──ツバキ、あのふざけた文章は何だ」
「ふざけてなんかいないさ。本気で言っている。うちはもう、後戻りできないところまできてしまったんだ。生きて償えるとは思っていない。でも、ただで殺されるわけにもいかないんだ。だって、それをしたら、うちがやってきたことをすべて、うち自身で否定することになる」
「⋯⋯」
「たしかに、うちは間違った道に進んでしまった。それは自覚している。ベルが死ぬ原因を作ったのは、ほかでもない自分だ。けど、そうでもしなければ、お父さんを看取ることすらできなかった。
だから、もし同じ選択を迫られるときが来ても、うちは同じ過ちを犯すよ。ダイン⋯⋯うちを信頼して預けてくれたのに、こんな形になってしまって、本当にすまない」
ツバキは静かに鞘から刀を抜き、正眼に構えた。
ダインも大きく息を吐き、応じるように剣を握り直す。
「だから、けじめをつけさせてくれ。こんなことを頼めるのはお前らしかいない。うちはもうこれ以上──生きているのが辛いんだっ!」
「チッ⋯⋯!」
ツバキが地を蹴り、刃光が一直線に迫った。
ダインはそれを正面から受け止めると、火花が散り、甲高い音が耳に響く。
以前のような繊細さはない。太刀筋も荒い。
──それでも、ツバキはダインを手数で圧倒していた。
上段からの振り下ろし。横薙ぎ。突き。
ダインは最小の手首で受け流し、半身で角度を殺す。返す刀を読んで、鍔迫り合いに持ち込むと、膝で肋に一撃。
──が、すぐにツバキは頭突きで間合いをこじ開けた。
額に鈍い音が響き、視界が一瞬白む。
「⋯⋯やっぱ強えな、お前」
ツバキは息を荒げ、なお踏み込むと、刃が跳ねた。
振り下ろされた一撃が、ダインの右腕を肘から先ごと綺麗に断ち切る。
しかし、ダインは余裕の表情を浮かべたまま、その足を止めない。
「だが、忘れたわけじゃないよな」
「──あら、忘れていたとしても、すぐに思い出させてあげるわ」
「⋯⋯っ」
切り離されたはずの右腕は、次の瞬間には完全に復元されていた。
肉が貼り合い、骨が噛み合い、血が魔力で補填される。致命のはずの傷が、致命であることを拒む。
いったい何度、斬り伏せただろう。とうに戦闘不能であるべきなのに、止まらない。
止まることを知らない。
止められることを知らない。
背後に立つルミア──あの化け物がいるかぎり、この男が負けることはない。
いくらでも再生し続け、不死の如く戦い続ける。
だから、彼らはこう呼ばれるようになったのだ。
朽ちることのない、永遠にむけられる牙の如く。
そう、『不滅の狼牙』と。
⋯⋯やっぱり、敵わないな。
ツバキは歯を食いしばり、もう一度踏み込む。
突きつけた刃先がダインの左胸を抉り、肋骨に噛んで止まった。
「⋯⋯くっ!」
急いで引き抜こうとしても、刀はびくともしない。
ダインは右腕を大きく振り上げ──そして、その拳がツバキの顔面へと叩き込まれた。
首がのけぞり、ツバキはそのまま地面に倒れ込む。
「これで、少しは頭冷えたか、馬鹿野郎」
身体が限界だったのか、それとも精神が先に折れたのか。
空を見上げたまま、彼女は起き上がらない。
「お前がどれだけ悩んでたかなんざ、知らねえがよ。だがな、お前はまず、オレたち以外に謝らなきゃいけねえ相手がいるだろ。それもしねえで、死ぬなんて許さねえぞ」
「⋯⋯」
ツバキは腕で顔を覆ったまま、返事はしなかった。指の隙間から、かすかな息だけが漏れる。
「なあ、そっちは終わったのか!」
「チッ、そういえばまだ残っていやがったな」
ダインが駆けつけようとした刹那、黒竜が翼を広げ、咆哮を上げた。
その体表に、鎖のような文様がふっと浮き上がる。
「なんだ?」
「これは⋯⋯」
直後、ひびが走り、パリン、と乾いた音が連鎖していく。
二人は同時に走り出したが──手遅れだった。
「クソッ、間に合わない!」
黒竜は一直線に空へと急上昇し、旋回。
ダインたちには目もくれず、一瞬にしてシモウサのある東へ飛び去っていった。
「⋯⋯やべえ、カインが危ねえ!」
二人もすぐにその後を追う。だが、距離はみるみる開いていく。
最悪の光景が脳裏を掠め、ダインは奥歯を軋ませた。
「──ほんと、お前の言う通りだよ」
砂上で仰向けていたツバキが、ゆっくりと身を起こした。
唇が裂け、鉄の味が口内に広がる。
空を仰げば、滲む視界の端にまだ小さく黒い影が残っていた。
「──ルミア!」
「ツバキ、あなた⋯⋯」
自身の名を呼んだ彼女の眼を見て、ルミアは諦めたかのように微笑んだ。
「どうせ、止めても無駄なんでしょ」
「──ありがとう」
淡い緑が身体を覆うと、ツバキは即座に地面を蹴って、走り出した。
ツバキの纏う緑はすぐ朱へと転じ、すぐさまダインたちを追い越していく。
「なっ、おまえ⋯⋯!」
横を掠める瞬間、ツバキの口元が小さく動いた。
声は、風に紛れて聞き取れなかった。
だが、それだけで十分だった。
「⋯⋯すぐに追いつくから無理すんじゃねえぞ」
その言葉が届いたかどうかは、わからない。
ただ、朱の残光だけが、遠ざかる黒い影へまっすぐ伸びていた。




