第九十七話 それは世界で一番の
斧を振り下ろした瞬間、金属が擦れる濁音とともに、火花が散る。
ここまで頑丈な盾を作るなんて、さすがは土人族といったところ。
でも、たった数撃受け止めただけで、もう顔をしかめてるじゃないか。
腕も小刻みに震え始めてる。
そのまま押し切ろうと斧を強引に振り抜く寸前、すかさず魔法が飛んできた。
「おっと。やるじゃないか、モモ」
あの小さくて、よく泣いてた妹が⋯⋯
今や、このアタシに魔法を撃ってくるなんてさ。
ほんと、成長したね。
──思わず、頬が緩みそうになる。
「カンナ!」
「あいよっ」
火力の高い魔法を撃つときは、巻き添えを避けるための連携が不可欠。
その点、土人族との連携も抜かりない。
あの不器用だったモモが、これだけ人を動かせるようになったんだ。
「⋯⋯ほんとに立派になったね、モモ」
アタシはその場で足を止めた。
モモの放った巨大な豪炎球が、うねりを上げて真っ直ぐこちらに向かってくる。
熱波が押し寄せ、皮膚が焼けるようにヒリつく。
──だけど、これじゃあ足りない。
「モモ、自分でもわかっているでしょ?」
アタシは斧を構え、肺の奥まで空気を吸い込む。
刹那、振り抜いた一閃が、空気ごと豪炎を真っ二つに断ち割った。
炎は霧散し、残ったのは焦げた匂いと、揺らめく煙だけ。
──モモ、あんたは優しすぎる。
きっと、自覚していないんだろうね。
本気で撃ったつもりのその魔法には、命を奪う覚悟が込められていない。
それじゃ、アタシは殺せない。
アタシは、もう嫌ってほど罪を重ねてきた。
リンドウを救いたくて、あがいた。
そのために、ルドベキアを襲って、一つの国を滅ぼした。
笑っちゃうよね。
あれだけ必死にあがいて、あれだけ多くを傷つけて。
その果てに得られたものは、何ひとつ無かった。
⋯⋯もう疲れたよ。
生きて贖うには、遅すぎた。
だから、これはアタシからの──最後のわがまま。
──モモ。
アタシを、殺してくれ。
あんたの手で終われるなら、それが、いちばん幸せなんだ。
「死ぬ気で来なッ! モモッ!!」
「⋯⋯っ!」
声を張り上げて叫んだ瞬間、モモの肩がびくりと震えた。
それでも、逃げなかった。
目元に浮かんだ涙をそのままに、ゆっくりと足元に魔力が集まり始める。
光の粒が渦を巻き、地面に巨大な魔法陣が展開された。
⋯⋯そうだ、モモ。
それでいい。
拳を再度握りしめ、アタシは一気に駆け出した。
けれど、すぐに土人族の少女が立ちふさがる。
「ここから先には絶対に行かせん!」
「ああ、そうかいッ!」
怒鳴り返すように、斧を振り下ろす。
鉄と鉄がぶつかる音。だが今回は、斧は盾の表面を弾いて地面へと突き刺さった。
ゴン、と地が割れる音と共に、斧が深々とめり込む。
それでも構いやしない。
アタシは地面ごと、その斧を振り上げる。
「モモっ! 長くは持たないぞ!」
「わかってますよ!」
モモの声が震えていた。
杖先も、手も、微かに揺れている。
こんなときでさえ、迷っているのかい。
やっぱり、あんたは変わらないね。
ほんとに、ほんとに──優しすぎるよ。
⋯⋯だから、決断させてあげる。
咆哮のような気合いと共に、全身全霊の力を斧に込めて叩きつける。
「あっ⋯⋯」
「カンナッ!!」
盾にめり込んだ一撃が、重く、金属が軋み、甲高い音が響き渡る。
ギシギシと悲鳴を上げる盾は、瞬間、耐え切れず音を立てて無残に砕け散った。
破片が宙に舞う。
もう土人族の少女の前には、何一つ、遮るものはない。
アタシは、無言で斧を高く掲げた。
その影が、彼女の小さい体をすっぽりと覆い尽くす。
⋯⋯いくらでもアタシを憎んでくれていい。
こんなお姉ちゃんで、ごめんね。
「せめて、楽に逝かせてあげる」
眼前の少女の表情が、恐怖に歪む。
──刹那。
斧が、振り下ろされた。
////////
「おかえりなさい!」
「ああ、ただいま。モモ」
家の扉を開けると、世界で一番かわいい存在が飛び込んでくる。
この瞬間が、何よりも好きだった。
「もう、最近全然帰ってこないから、心配したんだよ!」
「ごめんごめん。ちょっと依頼が立て込んでてさ」
「まあ、それなら仕方ないね。それで、今日はどんな話を聞かせてくれるの?!」
「はいはい、そしたら今日はね。あのドラゴンと戦った話をしてあげる」
「ええっ!? お姉ちゃん、ドラゴンと戦ったの?!」
「ああ、そうさ!」
両親を早くに失ったアタシらに残されたのは、お互いの存在だけだった。
どんなときも村では一緒で。
朝も、夜も、いつだって隣にいた。
⋯⋯でも、それが怖くもあった。
アタシたちは依存しすぎていた。
もし、どちらかがいなくなったら、残されたほうは、生きていけなくなる。
そんな気がして仕方なかった。
そして、その不安は日に日に大きくなっていった。
だから、アタシは村を出た。
モモを置いて、冒険者になることを選んだ。
月に数回だけ、こうして会って、たくさん話をする。
それくらいの距離が互いのためになると思って。
⋯⋯なんてカッコつけてるけど。
本当はアタシが、会えない時間に耐えられないだけなんだけどね。
「それでね⋯⋯」
「お姉ちゃん?」
──でも、この数少ない幸せな時間にも、終わりを告げなきゃいけない。
今のアタシは、首都ルドベキアから指名手配されてる身。
この村は閉鎖的だから、まだモモには知られていないけど⋯⋯
もし、先に村の誰かが知ってしまったら。
モモがどんな目に遭うか分からない。
この村は異質なものをひどく嫌うからね。
アタシが冒険者になったときでさえ、白い目で見られていたんだ。
それが、今度は"犯罪者の妹"だなんて──確実に、村八分にされる。
この先、今まで以上に暮らしづらくなる。
ほんとに、アタシのせいで。
いつも迷惑ばっかりかけて、ごめんね。
「モモ、実はね。アタシ、もうこの村に戻ってこないことにしたんだ」
「えっ⋯⋯? ちょっと待ってよ! そんなの聞いてないよ!」
「今日はそれを伝えるために来たんだ」
「そんな⋯⋯それじゃあ私は、これからどうやって生きていけばいいの?! お姉ちゃんの話が、私の全部だったのに!」
今にも泣き出しそうな顔で、アタシの服にぎゅっとすがりついてくる。
その細い腕の力で引っ張られるたびに、胸が何度も締め付けられた。
思わず、今言った言葉を撤回したくなる。
辛い。アタシだって辛いさ。
モモと会えなくなるなるなんてこと、考えたくもない。
でも、こうするしかないんだ。
⋯⋯あんたが、アタシなしでも強く生きていけるように。
「──世界は広い」
「え?」
「モモ、あなたもそれを経験してきなさい」
そう言って、モモの手をほどき、アタシはゆっくりと背を向ける。
「待って、待ってよ! お姉ちゃん!」
「⋯⋯ッ!!」
──振り返りそうになる。
今にもあの小さな体を抱きしめたくなる。
でも、それをしたら、きっと二度と離れられなくなる。
ごめんね。
ごめんね、モモ。
こんなお姉ちゃんでごめんね。
////////
思わず、目を瞑った。
モモの大切な人を殺す様なんて、もう見たくなかったから。
「⋯⋯?」
でも、おかしい。
確かに斧を振り下ろそうとしたはずなのに、腕が途中で止まったまま、まるで凍りついたように動かない。
恐る恐る目を開けて視線を移すと、肩から伸びた植物の蔓が、がっちりと腕に巻き付いていた。
「まさか、あのときに──」
「──モネ先生、ありがとうございます」
モモの声が聞こえ、ハッと振り向く。
すると魔法陣の中心に、一輪の巨大な蕾が姿を現していた。
それは静かに花開き、柱頭に光の粒が集まり始める。
「⋯⋯やればできるじゃないの」
「な、おいっ」
アタシはすぐに斧の側面で、眼前の土人族の少女を突き飛ばした。
──これで遠慮なく撃てるでしょ。
花がより一層花弁を広げ、柱頭に集まったエネルギーが眩い光を放つ。
そして、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、彼女は叫んだ。
『超級魔法 星蕾砲』
極限まで凝縮された光が、線となって放たれた。
それは地面を抉りながら、音を立てて、こちらへと迫ってくる。
⋯⋯これは、喰らったらひとたまりもないね。
ありがとう、モモ。
ゆっくりと目を閉じて、直撃を覚悟した。
──けれど。
どれだけ経っても、痛みも何も感じない。
おかしい。あれだけの魔法が無傷で済むはずがない。
ゆっくり目を開けると、そこにはアタシのすぐ横をかすめるように、地面が一直線に抉れた跡だけが残っていた。
「これは、一体どういう⋯⋯」
「──撃てるわけないじゃないですか」
その小さな呟きを、アタシは確かに聞いた。
急いで、モモの方を見る。
「どんなことがあっても、お姉ちゃんは、私のたった一人の家族で、憧れで⋯⋯大好きなお姉ちゃんなんです! だから、撃てるわけないじゃないですかっ! お姉ちゃんを、殺せるわけないじゃないですか!!」
「⋯⋯モモ」
「だから、もうやめてよ、お姉ちゃん。私はまだお姉ちゃんと一緒にいたいの! 何があっても、お姉ちゃんとお別れなんてしたくないの!!」
「⋯⋯っ」
顔はぐしゃぐしゃ。
声を上げて泣いていた。
こんなにも迷惑をかけて、苦しめて、それでもなお。
一緒にいたいって、そう言ってくれるのかい。
それが言えることが、どれだけすごいことか。
「本当に、つよくなったね」
アタシは斧から手を離し、その場に静かに座り込んだ。
未熟なのはアタシの方だったみたいだね。
「あたしの負けだよ。ごめんね、モモ」
過去は消せない。
一生をかけても償えない罪がある。
でも、それでも。
一生をかけて、償っていこう。
「これから、精一杯生きていくよ。いつか、またあんたと一緒にくらせるように」
「⋯⋯うんっ!」
涙の跡はまだ頬に残ったまま。
でも、世界で一番の笑顔が見れた。
「それで、他の仲間の下に行かなくていいのかい? 他の奴らは容赦がないからね」
「カインさん⋯⋯私、行かなくちゃ」
「ああ、行っておいで。この小人族の子、カンナって言ったかい? この子はあたしがちゃんと手当てしておくよ」
モモはコクンとうなずき、涙をローブの袖でゴシゴシと拭うと、くるりと背を向けた。
「⋯⋯ねえ、お姉ちゃん」
「なんだい」
「私ね、お姉ちゃんに話したいことがたくさんあるんだ。昔、お姉ちゃんが私にしてくれたように」
「──ああ、楽しみに待ってるよ」
それを聞いたモモはふっと、やわらかく笑って。
そのまま、街の方へと走っていった。
その背中を見送ってから、あたしは静かに息を吐いて、立ち上がる。
「さて、約束は守らないとね。それで、大丈夫かい?」
「⋯⋯もちろんじゃ。随分と手加減されておったようじゃからの」
「怖い思いをさせちまった。すまなかったね」
「気にするでない。なにせ──」
そう言いながら、カンナはあたしの手を取って立ち上がる。
服についた汚れを軽く払って、静かに続けた。
「おぬしのほうが、ずっと辛そうな顔をしとったからの」
「⋯⋯絶対、モモにいうんじゃないよ」
「──約束はできぬな」
どうでしたか?




