第九十六話 散るときは最愛の名で
「さて、そろそろですかね⋯⋯」
暗殺者が最も得意とするのは一対一。
作戦通りなら、敵は単独で走り出した私の方に、彼女を向かわせるはず。
「──っ!」
気づいたときには、身体が動いていた。
振り返ると同時に身体をひねる。
直後、何かが頬をかすめ、後方で砂煙が舞い上がった。
「⋯⋯ようやく、会えましたね」
「まさか、避けられるなんて」
煙の中から、ゆらりと人影が現れる。
薄紫の髪。槍の色と同じ、血のように紅い瞳。
──どうやら、作戦は成功したようですね。
「誰? 第二王子じゃない」
「⋯⋯私を覚えてすらいないのですね」
「うん?」
首を傾ける無音を見て、ミリアの拳に自然と力がこもる。
──当然ですよね。
だって私はあのとき、グラジオの後ろで怯えてるだけの、ただの役立たずだったんですから。
震えて、足がすくんで、何もできなかった。
そんな私を守って、グラジオは死んだ。
全部、私のせいだった。
だから、誓ったんです。
強くなると。
もう二度と、自分のせいで誰かを犠牲にしないために。
そして、もし、あなたにもう一度出会うことがあったなら。
その時は、この手で。
──”復讐”できるように。
「⋯⋯ッ!!」
無音と呼ばれる女が振り返るのと同時、雷槌が背中に直撃した。
しかし、吹き飛ばされた勢いそのままに、急旋回。
槍の切っ先がミリアの首元をかすめていく。
⋯⋯距離を取っていたつもりでしたが、想定がまだ甘かったようです。
ミリアは即座に後退しながら杖を構える。
「そう簡単にやられないでくださいね。無音さん」
複数の魔法陣が地面に展開され、足元から冷気が立ちのぼる。
白霜が広がり、無音が踏み出した瞬間、あたり一帯が凍土へと変貌する。
不安定な足場。
それでも、無音の速度は落ちない。
尖塔のように氷柱を乱立させても無音は身を捩り、槍の一撃で粉砕してみせる。
「少しは、止められると思ったんですがねっ!」
ミリアが周囲に展開させた魔法陣が一斉に光を放った。
礫が飛び、風刃が駆け、濁流がうねり迫る。
だが、それでも無音は流れるように回避し、間合いを詰めてくる。
「これでもっ⋯⋯」
目前に迫ったその影に、ミリアは杖を突き出した。
「遅い」
低く呟く声。
瞬間、鋭い衝撃がミリアの肩を貫いた。
「くっ⋯⋯!」
無音の槍が深々と突き刺さる。
ミリアがすぐに氷塊を出現させると無音はすぐさま槍を引き抜き、後方へ飛び退いた。
服が裂け、血がじわりと腕を伝って落ちていく。
ミリアは肩を押さえながら、乱れた呼吸を整える。
⋯⋯大丈夫。もう少し、もう少しだ。
ミリアは再び距離を取り、同じように魔法陣を展開させた。
「もう、いい加減終わらせる」
走り出した無音に、魔法が次々と降り注ぐ。
彼女は、また同じように体をひねる動作に入った。
だが──
「⋯⋯えっ?」
一発の魔法弾が、その身をはじいた。
衝撃による、ほんのわずかな硬直。
それが、起点となった。
すぐさま、次の魔法が直撃し、連撃が畳みかけるように襲いかかる。
無音は荒い息を吐きながらもなんとか体勢を立て直し、再び接近を試みる。
けれど──また一発。
さらに、もう一発。
「どうしてっ⋯⋯」
そして、ついに無音は地に膝をついた。
彼女は理解できなかった。
魔法の種類も、速度も、何一つ変わっていない。
だから、避けられるはずだ。
避けられるはずなのに⋯⋯
「これは──」
「ようやく気づいたんですね」
視界の端で、白い霧が揺れている。
吐く息と重なるように現れ、すぐに消える。
息を吸い込むたび、喉を刺す冷たさが肺の奥まで染み込んでくる。
「さあ、無音さん。その体で、果たしてこの攻撃を避けられますか?」
無音の視界が、光で満たされる。
視界に映るは、無数の魔法陣。
とっさに立ち上がろうと足に力を込める──が、パキッ、と氷を砕くような音だけが響いた。
視線を落とせば、服に霜が張りつき、凍てついた布が肌に貼りついて離れない。
──ああ。
ゆっくりと顔を上げる。
すると、そこには⋯⋯
七色の光が視界いっぱいに広がっていた。
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人々が行き交う姿を、ずっと眺めていた。
「⋯⋯ぅ」
おなかの音がなっても、誰も見向きもしない。
胃がきゅう、と痙攣するのをこらえて、また身体を丸める。
気がついたときから、ここにいた。
もうずっと、何も食べていない。
──どうして、こんなところにいるんだろう。
なにも、わからない。
たべものがほしいのに、もう立ち上がる気力さえ湧かない。
日差しでジリジリひりつく腕を押さえていると、腕の隙間から、誰かの足が見えた。
「大丈夫か、お嬢ちゃん」
「⋯⋯?」
声が聞こえた。
顔を上げると、そこには人が立っていた。
「⋯⋯大丈夫じゃなさそうだな」
そして突然、その人に抱きかかえられた。
抵抗する力なんて、あるはずもなかった
「ほら、これ」
差し出された革袋の中で、水音がぽちゃんと鳴った。
とっさに口を開けると、その人は容器をゆっくり傾けてくれた。
乾いた口の中に、ひんやりとした水が流れこむ。
ごくんと喉が動いたとき、その人がほっとしたように笑った。
「お嬢ちゃん、名前はなんていうんだい?」
「なま、え」
問い返すと、一瞬だけ、その人の表情が陰った。
でもすぐに、ふっと笑って言った。
「そうか、名前を思い出せないのか! それなら、君の名前は”ひまわり”だ」
「⋯⋯ひ、ま?」
「そう、”向日葵”。ひまわりは、太陽のほうを向いて、まっすぐ咲くんだ。そして、それを見た人の心を、勇気づけてくれる」
その人はもう一度こちらを見て、満面の笑顔で言った。
「まさに君にぴったりな名前だと思わないかい?」
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確実に直撃した。
無事で済むはずがない
舞い上がる砂埃を見つめていると、かすかに、声が聞こえた気がした。
ミリアはすぐに魔法陣を展開する。
「今度こそ終わりです。無音さん」
「──ちがう」
「え?」
砂煙を突き破るように、彼女が飛び出してきた。
全身血まみれ。
それでも、手に握った槍を高く掲げ、無音は叫ぶ。
歯を食いしばり、今は亡き人の姿を思い浮かべながら。
「わたしのなまえはっ⋯⋯”向日葵”だァッ!」
残された最後の力を、その一撃に込めた。
瞬間、数多の光が無音の身体を貫いた。
「⋯⋯っ」
槍は届かず、空を切った。
そしてそのまま、力尽きた身体ごと、地面に崩れ落ちる。
──決着は、ついた。
「ひまわり。いい名前ですね。その名前、忘れません」
静かに彼女に背を向ける。
見ていますか、グラジオ。
きっとあなたなら、これを見て、叱るのでしょう。
でも、後悔はしていません。
止まらない出血を押さえながら、ゆっくりと歩み始める。
⋯⋯待っていてください。カインさん。




