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第九十三話 信じたかった、ただそれだけ

 景色が、恐ろしいほどの速さで後方へと流れていく。


 毎度のことながら、自分でも感心してしまう。

 この鱗の感触も、肺を押し潰すような風圧も、獣特有の生臭さも──今では、ほとんど気にならなくなっている。


 つくづく思う。

 本当に、慣れとは恐ろしいものだ。

 かつて、これに殺されかけたというのに。


 あのときは、心の底から絶望した。

 どう足掻いても、勝てるはずがないと、本能で理解させられた。

 今はただ、命を削って無理やり使役しているにすぎない。


 もし、それが解かれる瞬間が来るとしたら──


「⋯⋯今度は、見逃してくれないだろうね」

 ぼそりと呟いたそのとき、眼前の山並みがひとつ、あっという間に視界の端へと消えていった。


 ──もうすぐだ。もうすぐで、シモウサに到着する。


 狙うは、第二王子ただ一人。

 彼さえ仕留めることができれば、他はどうだっていい。

 この身体も、そう長くはもたない

 だから、贅沢は言ってられない。


 ──ただ、気がかりなのは、あの茶髪の少年。


 なぜ、僕の名前を知っていた?

 それに、あれは間違いなく【日本語】だった。


 僕の名を知るのは『無名』のメンバーだけ。

 しかも【日本語】となれば、リンドウさん以外にありえないはずだ。


 考えられるのは、リンドウさんがナガマサさんに伝え、それが彼に届いたという可能性。

 これなら、理屈としては通る。通るのだが──


 ⋯⋯どうにも釈然としない。

 まあ、今考えたところで、答えが出るわけでもない、か。


「どうしたんだい、カガミ。そろそろ準備しな」

「ええ、わかっていますよ」

 ボタンに促されて顔を上げると、視界の彼方にうっすらと建物の影が浮かび上がってきた。


 何年ぶりになるだろうか。


 たしか前に訪れたのは、リンドウさんがナガマサさんに会うため、でしたね。

 ⋯⋯あの頃は、毎日が満ち足りていました。

 今でも、あのときの光景は、昨日のことのように思い出せますよ、リンドウさん。


 そんな思い出にふけっているうちに、街の全貌が徐々にはっきりしてきた。

 無人の街道の先、木造の門の前に、ふたつの人影が佇んでいる。

 近づくほどに、それが妙に小さいことに気づいた。


「あれは──」

「ん? もう見つけたのかい?」

 ボタンが目を細めてそれを捉えた瞬間、ぴたりと表情を凍らせた。

 そして、何も言わずに静かに武器へと手を伸ばした。


「カガミ、アタシが行くよ」

「⋯⋯ああ、そういうことでしたか」

 言葉を交わす間もなく、ボタンは黒竜の背から飛び降りていく。

 あの険しい表情を見れば、あれが誰かなど、考えるまでもない。

 彼女からすれば、他の誰かに行かせるわけにもいかないでしょうし。


「ただ、相性は最悪ですがね⋯⋯」



 ////////



 〜数分前〜


「曇り空、ですね」

 見上げれば、視界を薄灰色に塗りつぶす、味気ない空。

 隣では、カンナも同じように空を見上げているが、特に会話が弾むわけでもなく、ただ時間だけが流れていく。


「なあ、モモよ」

「なんですか」

「竜の鱗から武器をつくるとしたら、何がいいんじゃろうな」

「そんなの⋯⋯武器より防具のほうがいいんじゃないですか」

「おお、やっぱりモモは天才じゃな!」

 こんなやりとりを続けて、もう一時間近くになる。

 ついさっきまで感じていた緊張感も、今ではすっかりどこかへ消えてしまった気がする。

 命をかけた戦いを控えているというのに、果たして、これでいいのだろうか。


「そういえば、その背中の盾⋯⋯そんなの、持ってましたっけ?」

「おお、これか? そんなの昨日一晩かけて作ったに決まっておろう」

「⋯⋯ちゃんと睡眠はとったんですよね?」

「何を言っとる。そんな時間、あるはずが無いじゃろう。あのボタンが相手なんじゃ、生半可な盾では一撃で粉砕されてしまうからの」

「──それもそうですね」

 こればかりは、カンナの言うとおりだ。

 お姉ちゃんは、村では小人族だけじゃなく、土人族にまでその名を知られていた。

 何人がかりでも傷ひとつ負わせることができず、実力は圧倒的だった。


 あの頃は、お姉ちゃんが村に帰ってくるたびに聞かせてくれる武勇伝が私の全てだったな。

 勇敢で欠点なんか一つもなくて。


 それに比べて私は、臆病で、外の世界に興味はあれど、その一歩がずっと踏み出せなかった。


『──もう、この村に帰ってくるつもりはない』

 あのとき、そう言われて。

 私はとうとう、見放されたのだと思った。


『世界は広い。モモ、あなたもそれを経験してきなさい』

 その言葉に従うように、私は村を出た。

 そして、それきり、お姉ちゃんと会うことはなかった。


 なぜ、学園を襲撃したのか。

 なぜ、モネ先生を手にかけたのか。

 家族なのに、何ひとつわからなかった。


 ルドさんからその話を聞かされたときも、信じることなんてできなかった。

 私のお姉ちゃんが、私の大好きな先生を殺すなんて、信じられるはずがなかった。


 今だって、心のどこかで思っている。

「そんなはずがない」って。


 お姉ちゃんは、あの頃のまま、優しくて。

 変わってなんかいなくて。

 きっと会えたら、全部を否定してくれる。

 そう信じたい自分が、まだここにいる


「モモ、来たぞ」

「──はい、わかりました」

 黒い巨大な影が、空を覆う。

 あたりが、一段と暗くなった。


 その瞬間、何かが轟音を立てて地上に降り立った。


「久しぶりですね。と言っても、つい最近会ったばかりですが」

「──本当に、大きくなったね。モモ」


 ぱらぱらと砂埃が舞い、やがてその姿が露わになる。


「⋯⋯私がこれから聞こうとしてること、お姉ちゃんなら、わかりますよね?」

「ああ、もちろんだよ」


 記憶に残る、あの頃のままの姿で。

 お姉ちゃんは、静かに応えた。


「モネという女教師は、アタシが殺した」

「⋯⋯っ、嘘だと、言ってくださいよ!!」


 私は、咄嗟に杖に魔力を込めた。

 そのまま魔法を一発、空へと放つ。

 閃光が炸裂し、黒竜のすぐ傍で破裂音を響かせる。


 ──どうして、どうしてなのお姉ちゃん。


 もう、あのときのお姉ちゃんはいない。

 もう、昔の関係には戻れないんだ。


「カンナ!」

「あいよ!」

 これ以上、みんなに迷惑をかけるわけにはいかない。


 腹をくくれ。

 迷うな。


 私は今日──


「さあ、かかってきな!!」


 ──お姉ちゃんを殺さなければいけないんだ。



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